矢井田瞳、デタラメ英語だからハマった!大ヒット曲「my sweet darlin'」…大学4年の快挙 – スポーツ報知

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 シンガー・ソングライターの矢井田瞳(44)が、レーベル移籍してから初のアルバム「オールライト」を9月7日に発売する。代表曲「my sweet darlin’」(2000年)がヒットし、サビのフレーズから“ダリダリ旋風”を巻き起こした。歌手生活22年を振り返り、曲に関する秘話や、母になったことでの変化、今後の展望を語った。(増田 寛)
 2000年にデビューし、アーティストとして22年、人生の半分を音楽家として歩んできた。関西出身だが、「もう東京に住んでる方が長いなぁ」とこれまでを懐かしそうに振り返る。
 「デビューから一緒にいるバンドメンバーはもはや家族みたい。デビュー10年間は早かったけど、22年間はいろんなことがあった。音楽は答えもキリもないので、目の前の課題や、ライブでやりたいことなどをやってたら今になってました」
 今年3月にレーベルを移籍し、9月に移籍後初アルバムを発売する。「今までで一番の時間をかけて作った。曲ができてはレコーディングを繰り返し、それが一つの塊となったのが今回のアルバムです」と明かす。
 「心機一転という感じ。2、3年前からずっと、計画がありました。時間的なストレスがなく、じっくりとできて、すごく有意義だった。レコーディングは、ちょうどコロナが収まる谷間の時期。スタジオでメンバーと会えて、一つ一つの作業が楽しくうれしく、愛(いと)おしかったです」
 4~7月には有観客で5年ぶりに弾き語りツアーを完走し、すっかりギターを担ぐ姿が板についているが、ギターを始めたのは関大生の19歳の時。歌手デビューの約2年前だった。
 「大学に入った時に、解放感がすごくて。当時は格好つけて授業をサボってた。その解放感の延長で、今までとは違う自分と出会いたかった。全く違うことに挑戦したかった。そんな理由で、触れたことのない弦楽器のギターを弾こうと思いました」
 初めて買ったのは、YAMAHAの1万2000円のアコースティックギター。当時は貧乏学生で1万円を握りしめて楽器屋に行った。
 「私が物欲しそうな目でギターを見ていたらしくて、店員のお兄さんが見かねて値引きしてくれた。割り引いてくれなければギターは買ってなかったかも。アーティスト・矢井田瞳は生まれなかったかもしれないですね」
 意外にも、小中高と楽器経験は小学生時代の習い事でのピアノ以外なかった。情熱のほとんどをスポーツに傾け、小学生の時は水泳、中高生の時はバレーボール部に所属していたという。
 「中学時代は“ムキムキバレー部”と言われるくらい、練習が厳しくて。あの当時、私の腹筋が割れていた。でも当時のスポ根魂がギターの練習で生かされた。『もう少し頑張ろう!』という持続力が、ギターの練習の挫折を乗り越えさせてくれました」
 弦楽器に幼少期から触れてはいなかったが、音楽は身近にあったという。父親が音楽好きで、70年代ポップス、洋楽、映画音楽など、日常的に音楽は家に流れていた。
 「自分で洋楽の歌詞カードを写して、英語が分からないから発音を調べてカタカナで書いて歌ったりした。あの時に歌うことの楽しさを知らなかったら、ギターの弾き語りはやっていなかったかも」
 特に影響を受けた洋楽は、米歌手のジョーン・オズボーン(60)の「Relish」(1995年)だったという。
 「それまではアコギって楽しいかも程度だったけど、この曲を聴いて、ベースやエフェクターの意義を考えた。ぶーんぶーんと鳴っている音が最初はベースの音と分からず、エレキギターのかすれた音の出し方もエフェクターを使うとは知らなかった。レコーディングや作る側に興味を持たせてくれました」
 「英語は得意ではないし、今もイマイチです」というが、矢井田の知名度を爆発的に広めた「my sweet darlin’」の歌詞のほとんどが英語だ。
 「曲を書く時に、デタラメ英語で下書きすることが多くて、今でも作曲や作詞でやる手法。英語は言いたいことが詰め込め、柔らかくなる。『my―』も最初はデタラメ英語で作ってた。ダリダリ~ンと鼻歌程度で口ずさんでいたら、ぴたっとマッチ。その名残でほぼ歌詞が英語になりました」
 “ダリダリ旋風”を巻き起こした時、矢井田は関大4年生。卒論にいそしむあまり、「全く旋風を起こしていたことが分からなかった」と笑うが、当時のヒットを「日本語でないからハマった」と分析する。
 「あの歌詞を日本語で歌うと、すごいカタコトになると思う。英語だから滑らかに音に乗って伝わった。1番のAメロにありますが、色と自分の気持ちを重ね合わせるのは、洋楽でよく出てくる技法。でも、自分にとっては自然なことだから、父の洋楽が無意識に効いているのかな」
 「my―」で名を上げた矢井田だったが、ヒット後は体を壊した時期もあった。平日は大阪で大学に通い、土日に東京で仕事。最終列車で大阪に戻り、朝一の大学講義に出席する毎日を送っていたという。
 「洗濯機の中にいるような目まぐるしい日々。チームの『これからドンドン行くぞ!』という雰囲気もあって、当時は限界まで仕事をしていた。体を壊して入院したこともあった。当時はプレッシャーを感じてたのかな。プロモーションの仕事を飛ばしたこともあり、罪悪感にさいなまれました」。デビューして1、2年は年に2~3回、過労で倒れ、3週間入院したこともあったという。
 倒れてもなお、不規則な生活は続き、「深夜に曲を作って、朝日を感じたら寝酒をあおって映画を見て、昼過ぎに起きていた」。そんな不健康生活を強制的に変えたのが、2009年に生まれた長女(12)だった。生活リズムは一変し、「良い意味で“9時5時ミュージシャン”になった。健やかな言葉が出やすくなったし、効率も上がりました」
 長女からの影響はほかにもあるようで、「音楽にしたいテーマが増えた。自分の知らない感情を知った時に歌詞として書き留めたり、曲にしたいと思うことが多い中、子育てを経験して、こんな思いになるんだとか、発見の毎日です。今回のアルバム収録曲『駒沢公園』は、娘に『何で戦争なんてするの?』と聞かれてドキッとしたから作曲しました」
 アルバム「オールライト」のリリース記念ライブとして、「矢井田瞳 release tour 2022『オールライト』」(10月7日、東京・LINE CUBE SHIBUYA/10月22日、大阪・メルパルクホール)も開催されるが、次の節目はデビュー25周年。2025年は関西万博開催と重なる。「楽しい25周年を計画してます。いつも以上に外に出たい。そこで、万博と盛り上がっているタイミングが合うと最高ですね」。次の旋風を巻き起こすべく、矢井田は音楽を作り続ける。
 ◆矢井田 瞳(やいだ・ひとみ)1978年7月28日、大阪生まれ。44歳。2000年5月に「青空レコード」より関西限定シングル「Howling」でインディーズデビュー。同年7月に「B’coz I Love You」でメジャーデビュー。デビュー20周年となる20年に初主催となる無観客生配信ライブを実施。07年に音楽関係の仕事をしている一般男性と結婚。09年に長女を出産。

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