【洋楽を抱きしめて】「すべてをあなたに」で始まったホイットニー・ヒューストンの快進撃 – オーヴォ

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『そよ風の贈り物/ホイットニー・ヒューストン』(SMJ)
『そよ風の贈り物/ホイットニー・ヒューストン』(SMJ)

 容姿端麗。天賦の歌の才能。そのうえ毛並みの良さ。成功することが最初から約束されていたかのような歌手。それがホイットニー・ヒューストンだった。
 ホイットニーは、1963年にニュージャージー州ニューアークで生まれた。母のシシィは実力派のゴスペル・R&Bシンガーとして知られ、叔母にはディオンヌ・ワーウィックがいるという血筋の良さ。幼いころから母親にゴスペルを教えられて育つ。
 ルックスの良さからモデルとしての活動をしながら、母シシィのショーのバック・ボーカルなどをして経験を積んでいった少女時代のホイットニー。
 初レコーディングは15歳の時。エピック、エレクトラなどのレコード会社から契約の申し出があったが、すべてを断った。マネージャーとなっていたジーン・ハーヴェイは「焦らずにアーティストして伸び伸びと育てようと思った」という。
 ’83年、満を持してアリスタのクライヴ・デイヴィス社長のオーディションを受け、見事合格。アリスタは新人アーティストの売り出しにしては例がないほどの力を入れ、’ 85年にようやくデビュー・アルバム『そよ風の贈りもの(Whitney Houston)』をリリース。
 アルバムからのファースト・シングルは「そよ風の贈りもの(You give good love)」だった。これはまずブラック・マーケットで売れるようにしたかった、というクライヴの意向だった(フレッド・ロビンソン著「ビルボード・ナンバー1・ヒット」音楽之友社)。
 そして第二弾シングル「すべてをあなたに(Saving all my love for you)」が大ヒット、初の全米首位を獲得する。ソウルフルな力強い歌声が印象的なナンバーで、当時NHK-FMの番組で渋谷陽一氏が「頭の血管が切れそうな力み方」と評していたことが懐かしい。
 ホイットニーはこの曲から7曲連続でナンバーワン・ヒットを記録することになる。
 続いた6曲とは――「恋は手さぐり(How will I know)」、「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール」、「すてきなSomebody(I wanna dance with somebody)」、「恋のアドバイス(Didn’t we almost have it all)」、「やさしくエモーション(So emotional)」、「ブロークン・ハート(Where do broken hearts go)」である。まさに絶頂期にあったホイットニー。
 次なるキャリアのピークは ’92年に訪れる。自身も主演を務めた映画『ボディガード』のサウンドトラックが記録的なヒットとなったのだ。中でも「オールウェイズ・ラヴ・ユー(I will always love you)」は14週連続で全米1位。サントラも全世界で5,000万枚を売り上げ、日本でも300万枚近くを売り上げる大ヒットになった。
 2000年代に入るとドラッグや、夫のR&B歌手ボビー・ブラウンの暴力による家庭内トラブルで彼女は本業以外でとり上げられることが増えていった。2004年に離婚が成立。再起をかけて2009年夏にリリースされたアルバム『アイ・ルック・トゥ・ユー』で復活するが、2012年2月に不慮の死を遂げてしまった。48歳の若さだった。
文・桑原亘之介
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