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8日に亡くなったオリビア・ニュートン・ジョンさんは1970年代後半から、日本でも広く親しまれた洋楽のスターだった。ビートルズ、カーペンターズ、ビージーズ、サイモン&ガーファンクル、アバと並んで、お茶の間レベルまで浸透していた。杏里のヒット曲「オリビアを聴きながら」(78年、尾崎亜美・作詞作曲)は、オリビアさんが「淋(さみ)しい心なぐさめてくれる」と歌った。多くの日本人の心をなぐさめてくれた歌手だった。
「そよ風の誘惑(ハブ・ユー・ネバー・ビーン・メロウ)」(75年)や「カントリー・ロード(故郷へ帰りたい)」(76年)などを歌うオリビアさんの清らかな声は、当時の一般的な日本人が抱いていた欧米のお嬢さまのイメージそのもので、明るく、健康的で、しかも知的だった。
オリビアさんの母は54年にノーベル物理学賞を受賞したマックス・ボルンの娘だ。ボルンは量子力学の創始者の一人で、物理学者のアインシュタインと親友だった。母が幼い頃、アインシュタインが頻繁に家を訪れ、ボルンの弾くピアノに合わせてバイオリンを弾いたという。
父はウェールズ出身でケンブリッジ大学に学び、ドイツ語を完璧にマスターしたため、英国空軍中佐になり、後に空軍の情報部員になった。第2次世界大戦では、ナチスドイツの暗号を解読するエニグマ計画に関わったとオリビアさんが「オリビア・ニュートン・ジョン自伝」で明かしている。自伝によれば、オリビアさんの美声は「バス・バリトンの素敵な歌声の持ち主だった」という父から受け継いだようだ。
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