名作『ワイルド・スタイル』から紐解く日本のブレイクダンス史。パリ五輪でメダル期待の選手も – CINRA.NET(シンラドットネット)

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ヒップホップやグラフィティ、ブレイクダンスといったストリートカルチャーを描いたメルクマール的映画『ワイルド・スタイル(原題:Wild Style / 1982年)』が、製作40周年を迎えたのを記念し、9月2日より特別上映が行われる。
ニューヨークのゲットーから誕生し、いまもなお世界のストリートで展開し続けている、この力強いアートフォームのカルチャーであるヒップホップは、例外なく日本にも大きな影響を与えた作品だ。
日本において本作は、物語の中心であるグラフィティや、ヒップホップの視点から語られることは多くあるが、ブレイクダンスの視点から語られることは少ない。ブレイクダンスはほかのストリートカルチャーと比べて、陰に隠れがちかもしれないが、2024年パリ五輪の新種目として採用され、今後注目が集まるカルチャー/競技である。
本記事では、自身もストリートダンスを実践する社会学者の有國明弘が、ブレイクダンスの視点から本作の魅力、日本における受容と発展の歴史を解き明かす。
(メイン画像:©Pow Wow Productions, Ltd. All Rights Reserved)
映画『ワイルド・スタイル』のトレイラー / サウンドトラックを聴く(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く
※本記事には、映画『ワイルド・スタイル』の内容に関する言及があります。あらかじめご了承ください。
舞台はニューヨークのサウス・ブロンクス地区。荒廃した建物や瓦礫が散乱している街並みが印象的な同地区は、大都市ニューヨークの中心市街地の近くに位置しながらそれとは対照的に、社会的に抑圧されている失業者や移民といった貧困層の人々が多く暮らし、つねに貧困や犯罪、公害などの危険と隣り合わせの「ゲットー」と呼ばれるエリアである。
ブロンクスに住む若者は、そのフラストレーションのエネルギーを喧嘩や暴力ではなく、スポーツやラップ音楽、ダンス、グラフィティといった文化的創造性へと向けていた。
それは彼らを抑圧から解放し、自身が何者であるかを主張するための重要な手段ともなっていた。街の壁などにスプレー缶で落書きをする「グラフィティ」で自己表現する主人公レイもその1人である。
主人公のレイ(中央) / ©Pow Wow Productions, Ltd. All Rights Reserved
彼は深夜に操車場に忍び込み、地下鉄の車両に『怪傑ゾロ』をモチーフにしたグラフィティを描き、その傍らに「ZORO」というサインを残していた。
翌日地下鉄が動き出せば、車両に描かれた彼の作品は多くの人々の前に現れることになる。これまでにないデザインや色使いで一際目を引く彼の作品はたちまち注目を浴び、彼の作風を真似る者も現れるなど、街はゾロのグラフィティやその正体の話題で持ちきりになった。
レイは自分が巷で噂になっているZOROであることを隠しつつ、その様子を見て楽しんでいた。というのも、地下鉄の車輌にグラフィティを描くことは犯罪行為で、正体を知られるわけにはいかない。
それでも彼は、危険を犯しながらも誰もが目にしたり、使用したりする公共物を「キャンバス」に見立て、アートをとおして自身を表現できるグラフィティにアイデンティティーを見出していた。
そんななかレイに転機が訪れる。数多くのアーティストを世に送り出している敏腕の新聞記者ヴァージニアと知り合うのだ。彼女に連れられて参加したモダンアートコレクターたちが集まるパーティーで、グラフィティ製作の依頼を受ける。
アートを職業にできる大きなチャンスを手にしたが、仕事としてのアート活動と、これまでのストリートでの活動とのギャップに揺れ、レイは葛藤していく……。
ブロンクスに訪れた記者のヴァージニア / ©Pow Wow Productions, Ltd. All Rights Reserved
葛藤の末、レイは何を見出し、どのような作品を描くようになったのか、また彼はそれにどのような思いを込めたのか? クライマックスでの彼の作品や表情、そして会場の熱気からぜひ感じ取ってもらえればと思う。
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本作は、ヒップホップ文化を構成する4つの要素である、ラップ、DJ、ブレイクダンス、そしてグラフィティが誕生し、培われていく当時のブロンクスの状況や空気感を知ることができる資料的価値も非常に高い。
上述したようにヒップホップ誕生の背景には、ブロンクスに住む人々を取り巻く社会状況が大きく関係している。ギャング同士の抗争の際、銃や暴力によって血を流さない平和的解決のために、ブレイクダンスやラップで競ったり、情報交換のためにグラフィティが用いられていたともいわれており、そうした反社会的な背景を持つカルチャーである。
しかし同時に、レイのような若者たちが直面している、貧困や犯罪があふれるストリートから抜け出すため、または自身の可能性やアイデンティティーを確認し、保つための実践という側面も持ち合わせていた。
そのようなヒップホップの教育的側面に着目すると、自身もギャング団のリーダーでありながら、ヒップホップの力で多くの若者を困難な状況から導いたアフリカ・バンバータが「ヒップホップの父」と呼ばれていたことからも、黎明期のヒップホップが社会や若者にとってどのような意味を持っていたかがわかるだろう。
アフリカ・バンバータ“Wild Style”(1983年)を聴く(Apple Musicはこちら
1983年に『ワイルド・スタイル』は日本で公開され、ヒップホップをはじめとするストリートカルチャーを日本にもたらしたのだが、日本でいち早く浸透していったのは、本作で中心的に扱われているグラフィティやラップ、DJでもなく、じつはブレイクダンスである。
音楽の間奏(ブレイクビーツ)のあいだに合わせて踊ったことに由来するブレイクダンスは、作中でもたびたび登場し、印象に残っている人も多いのではないだろうか。
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日本に『ワイルド・スタイル』が上陸したのは1983年。このとき映画のプロモーションとして、レジェンドダンサーのCrazy Legsをはじめとするブレイクダンスチーム「Rock Steady Crew」が来日し、原宿のクラブ「ピカテン」などでショーケースを行なった。
Rock Steady Crewは、本作や同年に公開された『フラッシュダンス(原題:Flashdance)』にも出演し、ハリウッド映画で初めてブレイクダンスを披露したチームだ。ユニークかつパワフルに踊る海外のブレイクダンサーたちに、当時の日本の若者たちは心躍ったに違いない。
『ワイルド・スタイル』のプロモーションツアーで来日したときの様子 / ©︎Sho Kikuchi
当時の東京では、ディスコでトラブルを頻発し、締め出され居場所を失っていた若者が「竹の子族」や「ローラー族」となり、原宿の「ホコ天(歩行者天国)」で「ストリートダンサー」として踊っていた。そんな彼らの存在により、映画やショーケースに感化された若者もホコ天でブレイクダンスの練習をし始めていった。
のちにRock Steady Crewの日本支部長となり、日本のブレイキング・シーンを牽引した「B BOY PARK」の発起人でもあるCRAZY-Aも、『フラッシュダンス』をとおしてブレイクダンスに感銘を受け、ホコ天に行ったという(*1)。
こうした意味では、『ワイルド・スタイル』、『フラッシュダンス』が日本で公開され、ブレイクダンサーが登場し始めた1983年は、まさに日本の「ヒップホップ元年」といえよう。しかし、このときヒップホップは、ブロンクスの若者たちによる文化的ムーブメントにルーツがあるということは完全には理解していなかったという(*2)。
その背景には、ラップのリリックのように言語や文化的な翻訳を介さずとも、ブレイクダンスは非言語で視覚的、そして身体の使い方を真似て習練すれば習得できる「誰にでも開かれた身体技法」であるということがいえよう。
翻訳が必要な「海外映画」という視覚的要素に大きく依存しがちなメディアによってヒップホップが上陸したこと、また日本ではブレイクダンスが根付く土壌がすでにあったことが重なり、何よりも先駆してもたらされ、日本のヒップホップシーンを牽引していったのは、じつはブレイクダンスであったということを特筆しておきたい。
翌1984年には、ブレイクダンスの波が全国に広がっていく。原宿歩行者天国ではダンス・ヴォーカルユニットTRFのSAMなど、のちに日本ダンスシーンの中心人物となる若者たちが活動を始めていく。ストリートシーンのみならず、俳優・タレントの風見しんごやジャニーズグループの楽曲にもブレイクダンスが採用され、お茶の間へも次第に浸透していく。
マイケル・ジャクソンがストリートダンスを取り入れながら「ニュー・ジャック・スイング」と呼ばれる新たなダンススタイルを披露していた1980年代後半から90年代前半頃、この魅せるダンスを取り入れ、日本で圧倒的な支持を得たZOOが活躍したのもまさにこの頃で、ここから現在のEXILEにまでつながっていく。
マイケル・ジャクソンの爽快なダンス・ナンバー“Remember The Time”
90年代には『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の企画による「ダンス甲子園」や、ダウンタウンの『ダンスダンスダンス』、『とんねるずのみなさんのおかげです』の企画「SOUL TUNNELS」など、ダンス関連のテレビ番組も多く放送され(*3)、ブレイクダンスやニュー・ジャック・スイングなどを含めたストリートダンスはますます社会に浸透していく。
その人気ぶりは学校現場にも及んでおり、2012年には中学校体育において武道とともにダンス領域が必修化、また部活動でストリートダンスに取り組む生徒も増加し、その様子がメディアで取り上げられ、目にすることもしばしばである。
また近年では、2016年に三浦大知が楽曲“(RE)PLAY”のミュージックビデオのなかで、世界で活躍するストリートダンサーたちと共演し話題となった。
s**t kingzやTaisuke、Hilty & Bosch、GOGO BROTHERSなどの日本のダンサーたちに加え、ブロンクス出身でストリートダンスのオリジネーターの1人であるMr. Wigglesや、現Rock Steady CrewメンバーのYNOTといった海外のレジェンド的ダンサーたちも一堂に会してパフォーマンスするさまは圧巻であった。
三浦大知“(RE)PLAY”
2021年には、ストリートダンスのさらなる発展と普及を目指し、世界初のプロのダンスリーグ「D.LEAGUE」がスタートした。
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2024年のパリ五輪では、新種目としてブレイクダンス(ブレイキン)が採用される。これに先駆け、2018年にブエノスアイレスで行われたユースオリンピックでは、日本のRam(河合来夢)は金メダル、Shigekix(半井重幸)は銅メダルを獲得し、パリオリンピックでも日本のブレイクダンサーたちの活躍が期待されるほど、日本のダンスレベルは世界屈指である。
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幾度にもわたるダンスブームを生み出し、世界トップレベルのダンスカルチャーを育んできた日本のストリートダンスシーンのルーツは、日本のヒップホップ音楽と同等、いやそれ以上に『ワイルド・スタイル』なしでは語れないのだ。
今後ますます注目が集まるであろうブレイクダンス。今回初めて『ワイルド・スタイル』を視聴しようと考えている読者にとっては、そんなブレイクダンスが生まれた当時の雰囲気はむしろ新鮮に感じてもらえるであろう。
すでに視聴したことがある読者も、記事で紹介してきたような、本作が日本に与えた影響を念頭に置きながらチェックしてもらえると、これまでとはまた異なった楽しみ方をしてもらえるのではないだろうか。
*1:Condry, I., 2009, Hiphop Japan Rap and the Paths of Cultural Globalization, Dratleaf.(=2009,田中東子・山本敦久訳『日本のヒップホップ――文化グローバリゼーションの〈現場〉』NTT出版.)
*2:関口義人, 2013, 『ヒップホップ!――黒い断層と21世紀』青弓社.
*3:安田昌弘, 2019, 「第6章 東京のストリート・ジェネレーション」南田勝也編『私たちは洋楽とどう向き合ってきたのか−日本ポピュラー音楽の洋楽受容史』花伝社.
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