森山良子特集、歌手活動55周年の歴史を自選曲とともに振り返る – マイナビニュース

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日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2022年11月の特集は「森山良子55周年」。1967年、19歳の時に日本の新しいキャンパスカルチャーのヒロインとしてデビューし、今年歌手人生55周年となる。今月は森山良子本人をゲストに招き、2022年2月に発売された8枚組159曲が収録されているアルバム『MY STORY』から毎週8曲を自薦して頂き、55年にも渡る歴史を辿る。パート1ではアルバムのDisc1とDisc2を中心に、曲を作る人間にはなりたくないという想いで歌手デビューした頃から、フォークシンガーとしての転換期まで楽曲とともに掘り下げる。
田家秀樹:こんばんは。「J-POP LEGEND FORUM」案内人・田家秀樹です。今流れているのは森山良子さん「人生はカクテルレシピ」。8月30日に配信発売された6年振りの新曲です。作詞作曲は森山良子さん。乾杯の歌ですから、いろいろなお酒が出てきます。今ちびちびやりながらラジオをお聴きのあなた。あなたの歌でもあります。今月の前テーマはこの曲です。
今月2022年11月の特集は「森山良子55周年」。1967年フォークソングに端を発した日本の新しいキャンパスカルチャーのヒロインとしてデビューしたのが19歳になったばかり。55周年です。先月の特集は「ベルウッド50周年」だったのですが、それを遥かに上回るキャリアの方です。今年の2月に発売になった55周年記念ボックスはなんと8枚組。159曲、初めてのオールタイムコレクション。全部のシングル62曲が入っているのですが、それでもその何倍かあるという膨大なボックスです。今月は良子さんご本人をお招きしてアルバムの中から曲を選んでいただきながら進めていこうと思います。森山良子55周年『MY STORY』、今日はパート1です。こんばんは。
森山良子(以下、森山):こんばんは。田家さんお久しぶりですー!
田家:お久しぶりです。ラジオをお聴きの方はあれ? 時間間違えたかなという方がいらっしゃるかもしれませんが、良子さんの「ミュージック10」はこの後10時から始まります(笑)。今月11月は9時から12時までが森山良子さんの時間です。この『MY STORY』8枚組159曲、あらためてすごいなと思いました。
森山:まあ本当に知らない間にこれだけ溜まっていたという(笑)。私もちょっとびっくりしました。それでなかなか選べないですよね。これだけたくさんの中から。私が見てもよくこの曲選んだなっていう忘れていた曲とかそういうのも掘り起こしてピックアップしてくださったので、ありがたいアルバムです。
田家:そのアルバムを使いながらお送りしていこうと思うのですが、「人生はカクテルレシピ」は入ってませんね。
森山:ちょっとズレちゃいましたね。出来上がってからこちらが勝手に作っていたものです(笑)。
田家:詞曲はご自分でお書きになって。
森山:いつも仲良しで飲んだり、音楽の話をしている永積崇くんとその仲間たちと。それからコーラスアレンジには直太朗のお嫁ちゃんのまみこちゃんが入ってくれたり。いろいろな年代の人たちの音楽を楽しみながら愉快に作っていく現場で、すごく楽しかったです。
田家:ご家族の話はこの後4週間何度か出てくると思うのですが、「人生はカクテルレシピ」は1つの到達点のような歌ですね。
森山:始まりかな(笑)?
田家:これですよ! 55周年をお迎えして、始まりかなっていう言葉が出てくる。しかもいろいろなお酒も出てますからね。
森山:自分発信の自分らしい曲はたくさんの曲と出会っても、なかなかないので。このアバウトな性格の中から自分らしい出発点が生まれたかなと思います。
田家:そういうアバウトとおっしゃる方に、159曲の中から毎週8曲ずつ選んでいただいちゃったんですね。恐れ多い(笑)。
森山:選ぶって難しいことですね。これはもう田家さんに丸投げしたいって感じです。
田家:で、丸投げされずにいや、お願いしますということで選ばれた1曲目がこれです。1967年1月発売のシングル「この広い野原いっぱい」。
田家:やっぱりこの曲から始まりますね。
森山:私にとってある意味因縁の曲みたいなところがありまして(笑)。曲を作る人間にはならないという強い意志を持っていたんですね。ずっと子どもの頃から描いていた想いがあって私は純粋な歌い手でありたい。ですからフォークの仲間と歌っている時もただ歌だけに参加して、それがうれしかったんです。でもラジオ番組の中でリスナーから詞を募集して、それにメンバーが曲をつけるコーナーがあって。私はその時どこかにトンズラしちゃったマイク真木のピンチヒッターで。モダン・フォーク・カルテットという真木のバンドの人たちが次から次へとその曲を作って「もう逃さない」と言うので、「いやいや私は逃げます」と言って逃げ回っていたんですけど、今日のノルマは果たさなきゃダメってスタジオに入って。そしたらスタジオの上に置いてあったスケッチブックの背表紙か何かに小薗江圭子さんの綺麗な詞が載っていたので、見ているうちに〈この広い野原いっぱい咲く花を〉って読んでいるような感じで「これでいい?」って言って。その日の収録が無事に済めば、あとはもう知らないって思っていたんですね(笑)。そしたらこの曲に次からリクエストが来るようになって「えー! むりむり!」とか言いながら、なぜか曲が独り歩きして、それでレコード会社の方もこれをデビュー曲にするということになったんです。いやいやって。本当に私にとっては出発点がどうあるかってことが、こんなに自分の人生を変えていくということがよく分かりました。
田家:思いがけないことですね(笑)。自分で曲なんか作らないと思っていた方が曲を作ることで始まる55周年特集という4週間でもあります。今日の2曲目、1967年8月発売「今日の日はさよなら」。
田家:御茶ノ水にあった大学の学園祭でこれを聴いておりました(笑)。
森山:あーそうですか(笑)!
田家:同じ世代でこういう人がいるんだ、青春だなと思ってました(笑)。
森山:まあこの頃は青春ですねー本当ですねー。
田家:この曲は思い出の一曲になるんでしょうしね。
森山:「スチューデントフェスティバル」というみんなでやっていたフォークのコンサートにいろいろな人が出て、最後になると必ずこの「今日の日はさようなら」、〈また会う日まで信じ合う喜びを大切にしよう〉って歌詞が恥ずかしくて(笑)。
田家:素朴な(笑)。
森山:そうなんです! そのまま単刀直入でピュアな気持ちを金子詔一さんが書き綴ったということで、自分がこの曲を歌うの恥ずかしい! と思っていたんですけども、今になってみるとたくさんの人がこの曲を学校で習ったり、同世代の人はみなさん歌えていて。私の歌だと思って勘違いしてらっしゃる方もいらっしゃる。自分自身がレコーディング化したことによって、私の歌のように思われているんですけどもあの頃の学生たちの青春の歌だったんじゃないかなと思います。
田家:この曲で日本のジョーン・バエズと呼ばれるようになっているわけですもんね。
森山:きゃー! そうなんですか(笑)!
田家:そうなんですかって(笑)。
森山:困りましたね、本当に(笑)。微妙なことがいっぱいありますね、生きていく上には。
田家:微妙なことがいっぱいありながらの55周年ということで、今日の3曲目です。1968年1月発売、「愛する人に歌わせないで」。
田家:これは作詞作曲が森田公一さんですね。
森山:実は森田さんはトップギャランの前に原トシハルとB&B7という歌謡コーラスグループにいらしたんです。私はデビューする時に父のお友だちのベーシストがいらした事務所に、知り合いだから心配がないだろうと預けられたんですね。その中に森田さんが所属しているグループがいらして。あの頃はいっぱいツアーがありましたので、毎日彼らとツアーをしていたんです。森田さんはピアノを弾いて、音楽面は全部担当していらしたんですけど、ある時、「良子ちゃん、僕こんな曲書いてみたんだけれどちょっと歌ってみない? これは僕の真実の話なんだよ」「僕の母の話なんだ」って。森田さんは信頼できる真面目な方だったんです。こうやって曲を書いてらっしゃるんだなと思ってすぐにレコーディングをしたわけなんです。それからしばらく経って、あのトップギャランを結成なさって。
田家:「青春時代」はこの9年後ですから、かなり前ですもんね。世の中に出た作曲という意味ではこれが最初に近いんじゃないですかね。
森山:たぶんそうだと思います。
田家:ご自分のお母様のお話なんですね。
森山:お父様が戦地に行って帰ってこなかった話を伺いながら、すごく切ない気がして。森田さんはとてもやさしい方だったので、つらい日々を過ごしただろうなと思いながら。一緒に回っているコンサートで歌い始めて、レコード会社の方たちもすぐレコーディングしようと言ってくださって。
田家:本城(和治)さんが。
森山:そうですね。
田家:本城さんの特集も番組で1ヵ月やったことがあるんです!
森山:そうなんですか! わ! 多岐にわたる。
田家:良子さんの話、たくさん出てきました。
森山:そうですかーありがとうございます。
田家:いろいろな方が脚光を浴びる前に良子さんのところで音楽活動、作曲活動をされている、次の人もそんな一人です。今日の4曲目、1968年5月発売「雨あがりのサンバ」。
田家:作詞・山上路夫さん、作曲・村井邦彦さん。このお二人もまだそんなに世の中には。
森山:そうですね。レコーディングの日にピアニストが現れなかったんです。待っても待っても来なかったの。そしたら本城さんが「僕の友だちでピアノ弾くやついるからそいつ呼ぶよ!」って、村井さんが「ひょ~ひょろり~」なんて登場したんですね。それで楽曲を弾いてくださった後に、「ねえねえ、僕さ、こんな曲あるんだよ」っていろいろな曲を弾いてくださった。本城さんはグリークラブにいて、村井さんは学生時代はジャズバンドにいたんですね。その曲がすごくジャズっぽくてうれしかったんですよね。今までフォークフォークしたものを歌わされていたから(笑)。フリーな感じで歌える曲。その時にいくつか弾いてくださった曲の1曲が「雨あがりのサンバ」です。「いい! いい! こういうのをやりたい!」ってようやく自分がリラックスして歌いたいみたいな。
田家:こういう歌がやりたかった(笑)。
森山:それがこの曲だったと思うんですよね。それですぐに山上さんに詞をお願いしてそこからこのコンビの楽曲を随分歌わせていただきました。
田家:この曲もストーリーがたくさんありそうですねー。
森山:だんだんフォークが衰退していって、歌謡曲が全国区の音楽であろうと。歌手・森山良子の行く末を心配した当時フィリップス・レコードが路線を変えるという。私はね、そんなこと思ってもないんです(笑)。それを当時プロデューサーたちが検討をして、三木(たかし)先生にお願いをしようということでこれが生まれたわけなんですけれども。
田家:作詞・山上路夫、作曲・三木たかし。
森山:はい。スタジオに行きましたらとにかく雰囲気が、今まで私はただ「へ~へ~へ~♪」って歌っていたのが……(笑)。
田家:音楽って楽しいなみたいなね(笑)。
森山:そうです、そうです。例えば、〈禁じられても〉のところはノンビブラートで抑揚なく歌って、〈恋は〉っていうところから〈恋は命と同じ〉ってこぶしを入れて歌ってくださいって言われて。もうそんなこと言われたくないし、勝手に歌わせてっていう。若い頃って大人に対する反発みたいなものがすごくいっぱいありました。
田家:いっぱいありましたよ(笑)!
森山:ありましたよね! それがもうむらむら湧き上がって。でもやっぱりそんな小娘の反発なんかもろともしないぐらい三木先生とスタッフのみなさんのこれをヒットさせようという信念が燃えたぎっているんですよね。行く先が見えている感じで。でも、私みたいな小娘が何を言ってもダメだなというのが分かって、あとは身を任せておっしゃる通りに歌いましたけども。ヒット曲というのは私にとってそんなに価値のあるものでなかったんですよね。でも、本職の人たちが絶対にヒット曲を出すんだというプロ魂、執念があったので、これが本当の仕事というものなのかもしれないとすごく反発しながらもものすごく感動したんですよね。
田家:それを批判した当時の幼いフォークファンがたくさんいたわけですが、シングルチャート1位を獲得しました。今日の6曲目、1972年7月発売です。「遠い遠いあの野原」。
田家:作詞・松山猛、作曲・加藤和彦。8枚組ボックスのDisc1とDisc2には50曲入っているんです。それを今週1週間で辿っているわけでこんなに無謀なことはないと思うのですが、ブックレットが素晴らしかったですね。
森山:すごいです! 私が知らないことまで書いてありました。あ、そうだったわ! って。
田家:こんなに私的なこともというのもあって、1971年1月に極秘結婚をされて引退をすることになって、レギュラー番組の最後の収録の日にお兄さんが亡くなった。
森山:NHKの「歌の祭典」というかなり大きな歌番組の司会をしていたんです、谷啓さんと2人で。最終日に兄が亡くなったんですね。それでちょっと気持ちもおかしくなってしまったような感じがありますよね。
田家:1971年12月に出産をされて、しばらくお休みをされていたんですよね。
森山:そうですね。もう歌を辞めようかなぐらい考えていたんです。あまりに私生活の中でいろいろなことがあったので、もうこのまま引退かなと思っていたんです。
田家:「遠い遠いあの野原」は復帰作だった。
森山:そうですね。強い強いみなさんのお誘いをありがたくいただいて、それでこの曲を歌ったんです。ここで「遠い遠いあの野原」を歌うのに私は地声で歌いたいんですよ。でも、本城さんとか周りの方たちは森山良子らしい高さの裏声で歌ってほしいって。私は一度辞めたから新しい自分になろうと思って「キーを下げさせてください」って言って、もっと自分が求めている音楽の方に近づいていきたいと思っていたんですね。それは時々ファルセットも使うけど実は地声で歌いたい想いを遂げたんですけど、後になって考えると、みんなのイメージ通りファルセットで歌った方が耳心地よくみなさんによく届いただろうな、森山良子らしかったんだろうなと思ったり。今聴いてそう思いました(笑)。
田家:でもこの「遠い遠いあの野原」の野原の中には「あの広い野原いっぱい」も歌われているわけでしょ?
森山:いろいろな積み重ねの中でこの曲が出来上がったと思うので、みなさんいろいろなことを思考しながら作り上げてくださったと思うのに申し訳ないなと思って。
田家:復帰作だったということですもんね。復帰されて次の曲は今日の7曲目、1973年7月発売のシングルから「ブライト・シャインズ・ザ・ライト」。アルバム『森山良子 in ロンドン』からシングルカットされました。
田家:シングルだったんですね。
森山:さっきファルセットと地声の話が出ましたけれども、あちらで選んで私にくれた曲が、こういうロックっぽい地声から出る曲だったのですごくうれしかったですね。森山良子に対する先入観がないから。だから地声の部分をピックアップしていただいたのがとてもうれしかったのと、全曲英語だった。イギリスにいるエミール・ビーン・ゾグビーというディレクターさんが全部英語で歌うプロデュースをしたかったらしいんです。いろいろなタイプの曲があったので1曲1曲歌ってみたんです。スタジオのライトを薄暗く消して、私とエミールだけが見えるようにしたり。私が歌っているマイクの前で、エミールが例えば「give」って言ったら〈give〉って。「take」って言ったら〈take〉って。〈love you〉とかそこでパントマイムみたいに感情をお芝居をしてくれるんですよ。こんなレコーディングないなってくらいおもしろかったし、私はコピーしてただ好き勝手に歌っているだけだったけれど、ただ〈love you〉って言うだけじゃないんだって。「come easy」って曲があるんですけど「come…! easy…!」みたいに究極にオーバーにまず歌わせるんです。そこから削いでいくというか。どこに行ってもできないような勉強をさせてもらった、実り多いレコーディングでした。
田家:詞曲を提供している人の中にはヨーコ・オノさんとかポール・ウィリアムズさんとか、バリー・マンとかロジャー・ニコルスとかっていうすごい人たちが。で、1973年のミュージックライフの女性歌手の人気投票で1位になった。
森山:は~…! そうなんですね。
田家:今日最後の曲です。1974年4月発売、「ある日の午後」。
田家:この曲の入ったアルバム『ある日の午後』は全曲日本語でした。
森山:はははは! そうですね。この曲は私の大好きだった安井かずみさん、おしゃれでチャーミングで温かくて。ムッシュのとても仲良しなお友だちでもあったのと、作曲してくださった岩沢幸矢さんも学生時代からずっと一緒に音楽をやっていたお兄ちゃんだったので2人のチャーミングさが合わさったいい曲だなと思って大好きです。
田家:先程の英語のロンドンで歌唱指導をされた後に日本語を歌うようになって、日本語の表現の仕方は変わったりしました?
森山:変わったのかもしれませんね。もしかしたら。やっぱり経験というのは知らない間に体の中に積み重ねていくものだと思うので、きっと歌に対する想いというのも言葉に対する想いも変わったかもしれませんね。
田家:最初は曲を作るつもりなどなく、そういうところから始まって思いがけない出会いとかきっかけがあって変わってこられている。歌い方も変わってきたんですね。
森山:なんて言うんでしょう。自分でも1回終わったものってものすごく未熟に思っちゃうんですよね。だからもう聴きたくないというか。レコーディングし終わったそばから聴きたくないんですよね。直したくなっちゃうから。でも、直していってもキリがないのであるところで断念しなきゃいけないわけですね。これが1つのものとして外に出るということ。そういう断念を毎回してきているので、そういうことの積み重ねで歌い手は少し前に向いて少し先に一歩を踏み出していくのかなと思ったりします。
田家:8枚組ボックス『MY STORY』は159曲あるわけですね。全シングルで62曲。残りはアルバムの中、カップリングの中、ご紹介したい曲もたくさんあるのですが、それはご自分でということになります。
森山:ぜひ聴いていただければ。
田家:それぞれにストーリーがあるということがお分かりいただけると思います。来週はDisc3とDisc4からお聴きいただきます。来週もよろしくお願いします。
森山:お願いします。
田家:FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM 森山良子55周年 MY STORY」。今年の1月にデビュー55周年を迎えた森山良子さん、8枚組ボックスセット『MY STORY』を1ヵ月に渡ってご紹介しております。8枚組159曲、その中から良子さんに毎週8曲選んでいただけないでしょうかということでお願いをしてお送りしています。今週はDisc1とDisc2の曲でした。流れているのはこの番組の後テーマ、竹内まりやさん「静かな伝説」です。
8枚組159曲ですからね。55年という時間に歌ってきたものの膨大さに圧倒されました。アルバムが出たのが2月で、もうちょっと早く特集を組むこともできたのですが、どうやってやろうかなということがあったり、他の方の企画もあったりで時間がちょっとズレてしまったりして。そしたら8月に新曲が出るので、その時にお願いできませんかということで秋になってしまったのですが、あらためてこの159曲を辿り直してどうやって作ったんだろうと思うくらい丁寧にいろいろな作品を掘り起こしてまとめられている。まずこのボックスセットを作られた方に敬意を評したいなと思いながらお送りしました。
洋楽と邦楽というふうに簡単に僕らは分けてしまいますけれども、ポップスとかクラシックというジャンルも、まあそんなに関係ないことだよねーっていうふうに思わせてくれるぐらいにいろいろな要素の音楽を歌われております。そして、そこに刻まれた人生もあるわけですね。良子さんはフォークソングの女王みたいなイメージが未だにありますから、それは本当に入り口だけだったんだと思っていただけるとという1ヵ月でもあります。
ブックレットを読んで初めて知ったこともたくさんあるんです。森山良子さんという人はいろいろなことに導かれるように、そして彼女がその中で望んできたように歩かれてきた55年なんだと思いながら今週のパート1、Disc1とDisc2を終わろうと思います。来週はDisc3とDisc4です。
<INFORMATION>
田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp
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