【特集1982年】アイドル全盛の音楽業界 中森明菜の登場は衝撃だった – NEWSポストセブン

中森明菜の2枚目のアルバム『バリエーション<変奏曲>』
 日本の音楽業界において、1982年はまさに「アイドル全盛」の時代だった。この年にはシブがき隊、小泉今日子、中森明菜らがデビューし、「花の82年組」と呼ばれた。当時を知る音楽プロデューサーに1982年を振り返ってもらった。
 1976年にレコード会社、CBSソニー(現・ソニーミュージックエンタテインメント)に入社し、1978年から邦楽ディレクターとして活躍した吉田格さん(「」内、以下同)。
「1982年は、弊社から出した松田聖子さんの『赤いスイートピー』がヒットしたことが大きかったですね。作詞はロックバンド『はっぴいえんど』の松本隆さん、作曲は呉田軽穂(松任谷由実)さんでした」
 これまでの作詞家といえば、故・阿久悠さんや故・なかにし礼さん、作曲家といえば故・筒美京平さんや都倉俊一さんといった、職業作家だったが、この頃から、松任谷由実や中島みゆき、来生たかお、井上陽水、財津和夫といった、シンガーソングライターたちが、アイドルのための曲を提供し始めた。制作側はアイドルの個性や時代の空気を読みながら、作曲家・作詞家・編曲家に発注したという。
「デビューまでの準備期間が短いため、当時のアイドルには歌唱力がいま一歩という人も多かった。だから、彼らの声の音域に合わせた曲を作ったりしていました」
 当時のアイドル曲が、カラオケでいまだに多くの人に歌い継がれるのは、作品の魅力に加え、誰もが歌いやすく、覚えやすいからでもあるのだ。
原田知世の『ときめきのアクシデント』
 吉田さんは1982年に16才でデビューした中森明菜をオーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ系)の会場で見たことも、衝撃的な出来事の1つだったと語る。
「明菜さんを初めて見たとき、光と影をはらんだ奥深い魅力があるなと感じました。1970年代のアイドルであるキャンディーズや山口百恵さん、南沙織さんらは、1980年前後に、解散や引退をしてしまった。代わって1980年に松田聖子さんがデビュー。圧倒的な歌唱力とスター性で、“聖子一強時代”を築きました。そこに登場したのが明菜さん。彼女は百恵さんに近い“陰”の要素を持っているだけでなく、努力家で歌もうまかった。幼さと大人の雰囲気を同居させた楽曲を立て続けに発表して成功をおさめました」
 デビュー曲『スローモーション』は、全日本有線放送大賞など、多くの賞を獲得した。
小泉今日子のアルバム『詩色の季節』
「1982年は新しいものを求める時代でもありました。世界初のCDが発売されたため、ファンはレコードと同時にCDも購入するように。複数買いするファンもいたため、違いをつけようと、特典用のカラーレコードやピクチャーレコード、ハート形のレコードなども制作されていました」
 特典をつけるという風潮はその後、初回限定盤と通常盤など、同じアルバムを複数枚購入してもらうための販売戦略として、現在に受け継がれていった。
取材・文/前川亜紀、番匠郁
※女性セブン2022年4月21日号
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