今こそ90年代J-POP!(後編)~10年でヒット曲はどのように変わっていったのか~ – KKBOX

売上枚数が100万枚を超えるミリオンセラーが連発していた1990年代。様々なムーブメントが入り交じり、チャートを賑わせていた10年間のヒット曲の変遷を、90年代を象徴する〈8㎝シングル〉を約4,500枚所有し、フジテレビ系列で放送されたクイズ番組『超逆境クイズバトル!! 99人の壁』では「90年代J-POP」ジャンルでグランドスラムを達成した藤田太郎(イントロマエストロ/ラジオDJ)が、当時の時代背景とともに紹介していきます。今回は後編。1995年から99年(+2000年)のミリオンセラーを中心に振り返っていきます。
1990年代初頭、海外で新しい音楽ムーブメントが起こります。それは、スペインのバレアレス諸島にあるイビサ島で開催される音楽を一晩中流す大規模なイベント〈Rave(レイヴ)〉をきっかけにした全世界的なダンスミュージックの盛り上がりです。この頃から、音楽プロデュースを本格的に徹し始めた小室哲哉は、シーンに新しいアーティストを送り込んでいく〈Factory工場〉的なものを作っていきたいという想いを抱き、本格的なダンスユニットグループとなるtrfを手掛けます。trfとは〈Tetsuya komuro Rave Factory〉の略称で、その強い意思を感じるものでした。1993年6月21日にリリースされた「EZ DO DANCE」は78万枚のヒットの大ヒットを記録します。
出典元:YouTube(avex)
小室哲哉は楽曲を提供するだけで終わらせず、ミキシングの段階まで関わり、ジャケット写真やプロモーションなども手掛けるなどトータルプロデュース展開で90年代中盤ミリオンセラーを連発します。「EZ DO DANCE」は90年代の小室哲哉トータルプロデュース展開で最初にブレイクしたシングル。以降、小室プロデュースで多くの新しいアーティストが誕生していきます。小室哲哉が初めてプロデュースという形で楽曲を手掛けたのは、1989年リリースの宮沢りえの「ドリームラッシュ」。この時の苦労と経験が「EZ DO DANCE」のヒットにつながり、90年代中盤の、小室プロデュースムーブメントで花開く形となったのです。〈小室プロデュース〉の人気を語る上で欠かせない週間ランキングあります。それは1996年4月15日付のオリコンシングルチャート。この日のシングルチャートはTOP5を小室プロデュース曲が独占したのです。まさに、小室プロデュースが「無敵」だった時代を象徴する記録です。
出典元:YouTube(Namie Amuro)
【1996年4月15日付けオリコンシングルチャート】
1位 安室奈美恵「Don’t wanna cry」
2位 華原朋美「I’m proud」
3位 globe「FREEDOM」
4位 dos「Baby baby baby」
5位 trf「Love&Peace Forever」
前編で紹介した、1990年に桑田佳祐とともにサザンオールスターズの「真夏の果実」を編曲した小林武史は、1992年にロックバンド、Mr.Childrenの音楽プロデューサーとしてメンバーと二人三脚で楽曲を制作していきます。斉藤由貴主演のドラマ『同窓会』の主題歌に起用されたシングル「CROSS ROAD」が125万枚のミリオンヒットを記録。「アクエリアス ネオ/アクエリアス イオシス」のCMソングに起用されたシングル「innocent world」も193万枚のミリオンヒットを記録し、1994年の第36回日本レコード大賞を受賞します。さらに、萩原聖人主演のドラマ『若者のすべて』の主題歌に起用された「Tomorrow never knows」はダブルミリオンを達成と、Mr.Childrenはメジャーデビューから2年足らずで日本の頂点に立つバンドとなります。
出典元:YouTube(Mr.Children Official Channel)
小林武史は1996年9月11日に放送されたSMAPの中居正広がMCを務めた音楽トーク番組『TK MUSIC CLAMP』に出演した際、〈その作品を、最初になんかやる時に、何だろう? 人に与えていく快感みたいなものに、「ここを越えていけば、なんとか多分、大丈夫だ」っていうか。恥ずかしくないっていうか、自分の中で「やり遂げた」と言える。それを越えさえすれば。〉と話しています。
出典元:YouTube(Mr.Children Official Channel)
人を感動させることができるサウンドの基準と、それを超えることができる才能を持っていることがはっきりとわかっていたのだと思います。サザンオールスターズの桑田佳祐との経験を活かし、イントロの1音から懐かしさと哀愁を感じる洗練されたサウンドを注入し、ミリオンヒットを連発させた小林武史プロデュースの楽曲は、同じイニシャルの小室哲哉とならび〈TK時代〉と呼ばれ、音楽プロデュースムーブメントの中心となっていきました。ダンスミュージックを大衆化しJ-POPへと落とし込んだ小室哲哉と、歌謡曲をアップデートしJ-POPへと進化させた小林武史。90年代中盤のJ-POPは2人のプロデューサーが牽引してきた歴史を語ることといっても過言ではないかもしれません。
出典元:YouTube(TOYSFACTORYJP)
Mr.Childrenのプロデュースと並行し、小林武史は作詞、作曲、編曲も手掛け、自らメンバーとしても参加する形の音楽ユニットMy Little Loverを1995年に結成します。このユニットでもドラマ『終らない夏』の主題歌に起用されたシングル「Hello, Again~昔からある場所~」でミリオンヒットを記録。イントロのドラムとギターの音を聴くだけで昔の記憶がよみがえる、時を経ても色褪せないエヴァーグリーンな名曲を生み出します。1996年になると、より本格的な深みを感じる作品が増えていきます。 My Little Lover としてリリースした曲で挙げると「YES ~free flower~」。「Hello, Again~昔からある場所~」とは真逆のシンプルなドラムの音の間にリスナーが考える時間の余白を残した構成(スマッシング・パンプキンズの「1979」のオマージュな雰囲気)で、散文的な言葉が綴られていく中に、しっかりと「ポップ」の要素が残っている素晴らしいアレンジの曲です。
出典元:YouTube(TOYSFACTORYJP)
また岩井俊二監督の映画『スワロウテイル』のでは音楽監督を担当、主題歌であるYEN TOWN BAND「Swallowtail Butterfly ~あいのうた~」では、ボーカルに当時女性シンガーとして圧倒的な人気を誇るCHARAを迎えます。メロウで甘いウィスパーボイスがせつなく響くこの曲は、海外のソウル、R&Bといったブラックミュージックの要素を取り入れた、その後の女性R&Bシンガーが歌うJ-POPサウンドの礎となったといっても良い素晴らしい曲となっています。それは、小室哲哉が作り上げたダンスミュージックを大衆化しJ-POPへと落とし込んだ手法とは全く違うアプローチでした。

1995年の「Body Feels EXIT」から小室プロデュースでのCDリリースを続けていた安室奈美恵は、翌年の1996年〈大好きなジャネット・ジャクソンのような、ミディアムテンポでかっこいいブラックミュージックのような曲を歌ってみたい〉という願いから完成した「Don’t wanna cry」が139万枚のミリオンヒットを記録しこの年の第38回日本レコード大賞を受賞。小室哲哉は初めて安室奈美恵を見たときに〈ムーブメントの中心になってしまう人だ〉と確信したそうです。1997年にリリースしたドラマ『バージンロード』の主題歌に起用された「CAN YOU CELEBRATE?」は、小室プロデュースのシングルで最大セールスとなる229万枚を記録し、2年連続で日本レコード大賞を受賞します。そんなJ-POP界の中心で大活躍している最中、安室奈美恵は結婚・妊娠を発表。1997年の『NHK紅白歌合戦』の紅組トリで「CAN YOU CELEBRATE?」を歌い、1年間の産休に入ります。「CAN YOU CELEBRATE?」 はブラックミュージックの要素を取り入れた本格的なJ-POP作品として記録だけでなく、多くのリスナーの記憶にも焼きついたのです。
出典元:YouTube(Namie Amuro)
そして翌年の1998年に宇多田ヒカルが彗星のように現れ、デビューシングル「Automatic」華々しいデビューを飾ります。小室哲哉は、後のテレビ出演で、宇多田ヒカルのデビューは〈引退を考えさせられるほど衝撃を受けた〉と話しています。この年は宇多田ヒカルの他に、浜崎あゆみ、aiko、椎名林檎、MISIA、モーニング娘。もデビュー。安室奈美恵の産休で幕を閉じた翌年に、ソウル、R&Bだけではなく、ロックやポップミュージック、アイドルというスタイルの変化を含めたJ-POPのさらなる進化のスタートが揃った年になったのは、必然だったのかもしれません。
出典元:YouTube(Hikaru Utada)
90年代が終わり、20世紀最後の年となる2000年の第42回日本レコード大賞を受賞したのはサザンオールスターズの「TSUNAMI」。バラエティ番組『ウンナンのホントコ!』内の恋愛ストーリーをテーマにした企画『未来日記III』のテーマソングに起用され、それまでのサザンオールスターズのファンよりも若い層まで楽曲の認知が広がり、キャリア最大の293万枚のダブルミリオンヒットを記録します。デビュー22年目で大賞を受賞したサザンオールスターズの桑田佳祐は〈やっと(美空)ひばりさんの背中が見えました〉と受賞をした際のコメントで語りました。昭和の歌謡界を代表する歌手・美空ひばりが亡くなったのは1989年6月24日。桑田佳祐の発言はその魂を受け継いできたという意思表示であり、90年代に新しいポピュラーミュージック=J-POPを模索し続けたバンドが、20世紀最後の日本レコード大賞を受賞したことは大きな意味のあることだったと思います。

2回に渡ってお届けしてきた『90年代J-POPヒットの変遷』ここまでこのコラムを読んでいただいた方、本当にありがとうございます。かなり駆け足で10年を振り返りましたが、いかがだったでしょうか?これからもKKBOXで当時の懐かしさとともに、90年代J-POPを聴き、新しい発見に出会ってください。

source

最新情報をチェックしよう!
広告
>すべての音楽情報をあなたに・・・

すべての音楽情報をあなたに・・・

インターネットで情報を探すとき、あなたはどうやって探しますか?いつも見ているページで情報を得る?検索エンジンで好きなアーティスト名を検索してでてきたものを見る?本当にそれであなたの欲しい情報は手に入れられていますか?

CTR IMG