BTSを史上最高のポップグループに押し上げたファンダム、ARMYたちの9年間 – WIRED.jp

長いこと、BTSについて書くのにはためらいがあった。韓国に関する記事を書くとき、当然取り上げると期待されるような話題を、わたしはあえて避けてきたのだ。韓国コスメ、美容整形、犬肉食、そしてもちろんKポップ。
そして、西洋人がKポップのガールズグループやボーイズグループに浴びせかける批判を、ぐっとのみこんできた。いわゆる「なんかフワフワしてて、人工的で、メンバーは搾取されている」というやつだ。そういう批判をする人たちは、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックだって似たようなものだったことを忘れているようだった。
でも今年に入ってから、いよいよBTSから逃れられなくなってきた。どこに行っても彼らの姿があるし、誰もが彼らに夢中になっている。これ以上BTS現象を無視し続けたら、わたしはビートルズ現象よりすごいものを見逃してしまうことになるかもしれない。

『ニューヨーカー』のコントリビューティングライター。労働と職場、芸術と文化、韓国に関する話題を得意とする。ポッドキャスト「Time to Say Goodbye」の共同主催者でもあり、『Lux』のエディター、2022年度アリシア・パターソン財団フェロー、さらにタイプ・メディア・センターのフェローとしても活動している。2016年には現代ワールド・ミュージックに関する書籍『Punk Ethnography』を共同編集した。最初は弁護士としてキャリアをスタートさせている。

わたしが「韓流」の盛り上がりに最初に気づいたのは、もう10年も前のことになる。2012年の冬、わたしはブルックリンのハシド派ユダヤ人の家で掃除を請け負う、ラテン系日雇い労働者の女性たちの話を書いていた。ユダヤ人の家では、安息日の前には女性の仕事が山積みになり、外注に出す必要があるほどなのだ。
労働者の多くは、ひどく安い賃金で働かされるか、まったく給料をもらっていない。ひどい言葉を浴びせられたり、セクハラを受けたりした女性たちもいた。街角に佇む女性たちのなかに立ち、黒いモコモコのコートに身を包んだわたしは、カタコトのスペイン語で必死に彼女たちから話を聞きだそうとした。
ある朝、女性のひとりが近づいてきて、だしぬけに「あなたって韓国人?」と聞いてきた──「中国人?」でも「日本人?」でもなく、そんなに正確に聞かれたのは初めてだった。そうですけど、と答えると、彼女はにっこり笑ってこう言った。「うちの娘、韓国大好きなの。Kポップの大ファンなのよ」
女性は電話を取りだして、娘と話をしてほしいと言ってきた。娘のカリーナは若い母親で、ニューヨークのデリで働いている。カリーナはSuper JuniorやSHINeeのようなボーイズグループの歌詞を知りたくて、韓国語を習いたいという。そこでわたしは彼女に韓国語を教え、代わりに彼女は通訳をしてくれることになった。それからわたしたちは週2回会って、午前中は日雇い労働者の話を聞き、午後は近くの図書館でハングルを勉強した。
カリーナは「ㄱ ㄴ ㄷ」といったハングル文字を書いたり、簡単な言葉の発音を練習したりした。さらに彼女はブルース・カミングスの『Korea’s Place in the Sun: A Modern History(現代朝鮮の歴史──世界のなかの朝鮮)』[未邦訳]を読み、ハングルを制定した世宗について詳しく物語るレポートを書きあげた。「韓国語は本当に美しい言語だとわたしは思う。韓国語を話す人の声は、まるでメロディを口ずさんでいるようだ」とカリーナはそのレポートに書いている。
3年後、ロングアイランドに住む友人が、街で韓国に夢中な10代の双子の姉妹に出会ったという話をしてきた。その子たちもカリーナと同じくラテン系移民の出身で、英語とスペイン語が話せるバイリンガルだったが、その子たちが知りたいのは韓国語だったのだ。
韓国語の基礎を独学で学んだふたりは、わたしとメールのやりとりを始め、絵文字と感嘆符がいっぱい入ったハングルのメールを立て続けに送ってくるようになった。韓国の手料理をふるまってあげようと家に招くと、ふたりはもうひとり別のラテン系の韓国マニアの友人を連れてきた。彼女たちの手土産は、砂糖がけのフルーツで飾られた韓国風ケーキだった。
それから数年後、両親の結婚40周年を祝う旅に一緒に出かけたわたしは、ギリシャでフェリーに乗っていたとき、短パン姿の若いギリシャ人に話しかけられた。彼はニコニコしながら「きみ、韓国人? ぼく、韓国文化が大好きなんだ、Kポップ最高!」と言うと、わたしたちに韓国語で話してよ、と頼んできた。まるで、海の上を渡るギリシャの潮風と一緒に、韓国語の音を吸いこみたいと願っているみたいだった。
いまや韓国はトレンドだった。韓国文化は、世界市場に向けて商品を売り込むことに成功したのだ。だが、そのときのわたしは、韓国いちばんのベストセラー商品、防弾少年団(別名BTS)のことを、まだなにひとつ知らなかった。


BTSのことを書こうと決めたとき、ある友人にこう忠告された。「きっとこれまででいちばん大変な仕事になるよ」と。彼が言わんとしていたのは、とにかく扱う対象物が多すぎる(9年分の音楽にダンス、記事、ツイート)し、間違った見方に導かれる危険性が高い(膨大な量の関連コンテンツと、熱狂的かつ事実確認にうるさいファン軍団の存在)ということだと思う。
4月、BTSはラスベガスでショーを行なった。これは短い世界ツアーの一部で、パンデミック発生以来初のライブになる。わたしは高額な転売チケットを買って、一夜漬けで知識を詰め込み始めた。
自らをBTS ARMY(Adorable Representative M.C. for Youth「若者を代表する魅力的なMC」の頭文字、BTSファン個人を指すと同時に全世界に拡がるファンクラブ全体を指す名称でもある)の一員だと自慢げに認める知人たちは、嬉々としてお薦めリストをつくってくれた。彼女たちが送ってくれたリンクは、ミュージックビデオやコンサート、グループ自身がプロデュースするバラエティショー「Run BTS!」(全部で150話以上もある)といったものだ。
ファンがつくった振付解説ビデオも試してみたし(ちょっと恥ずかしいけど楽しい!)、メンバー7人の名前を覚えるためのミニ講義も見た。Twitterのファンアカウントをフォローしまくり、BTSを取り上げた論文を読み漁り、「BTS AF」というポッドキャストも聴いた。アジア系米国人文化遺産継承月間にあたる5月の末日にBTSはホワイトハウスを訪問し、政治と文化とPRを巧みに織りまぜながら「アジア人へのヘイトクライム反対」を(韓国語で)訴え、最後に大統領執務室でバイデン大統領とともに指ハートをつくってみせた。
Thanks for having us at the White House! It was a huge honor to discuss important issues with @POTUS today. We’re very grateful for #BTSARMY who made it all possible.🫰💜
#BTS #방탄소년단 #BTSatTheWhiteHouse pic.twitter.com/PZd8Ox2Kea
— BTS_official (@bts_bighit) June 1, 2022

そしてニューアルバム発売から数日後の6月14日、BTSから(まったく予想外ではなかったとしても)ショッキングな発表が全世界に向けて発信された。グループ創設9周年を祝うビデオのなかで、メンバーたちは贅沢な飾りつけを施された長いディナーテーブルの前に、ダヴィンチの『最後の晩餐』のように並んで座っている。ワインとカニ脚と笑い声のあふれるその席は、華やいだお祝いムードに満ちていた──スタートしてから21分が経つまでは。
そのとき、リードラッパーのSUGAがこう言ったのだ。「ぼくらはいま、オフの時期に入ったってことを説明したほうがいいんじゃないかな」。ファンからは、冷静な分析の声があがった。「彼らは疲れてるんだと思う」とか、「それぞれソロで新しいことに挑戦したいんじゃないかな」とか。ファンはみんな泣いていた。BTSは活動休止に入るのだろうとARMYたちの多くは考え、ひょっとしたら解散かも、と心配するファンもいた。
数時間後、グループの所属会社の株価が30%近く下落したころ、リーダーのRMがコメントを発表して、ひとまずみんなを安心させた。彼らはソロ活動に集中するため、グループとしての活動をいったん休止する、ということだった。「BTSはこれで終わりじゃありません」とRMは言った。

2013年にデビューしたBTSをつくりあげたのは、プロデューサーであり作曲家でもあるパン・シヒョクと、彼が設立したKポップ・レーベルBig Hit Entertainmentだ。韓国の名門ソウル大学校で美学を学んだパンは、JYPエンターテインメントで音楽業界における経歴をスタートさせた。JYPは政府からの潤沢な支援のもとにKポップを50億ドル産業に育てあげた、いわゆる韓国3大芸能事務所のひとつだ。
90年代後半にアジアを襲った経済危機のさなか、当時の金大中大統領(就任式にマイケル・ジャクソンを招いたことでも有名だ)はハリウッドとJポップを手本にして、文化に多大な投資を行なう方針をとった。この投資はやがて実を結び、Kポップや韓国ドラマ、韓国映画が全世界を席巻し始める。
05年、パンはJYPを離れ、それまでとは違う新しいKポップをつくりだすことを目指してBig Hitをスタートさせた。オーディションを経て採用されたアイドルたちは、数カ月、ときには数年にもわたって歌とダンスのトレーニングを受けた。英語と日本語を(また韓国以外の出身者の場合は韓国語も)学び、白い肌と潤んだ目で相手を見つめる表情を身につける。
さらに、恋愛は禁止とは言わないまでも、ごく慎重に行動するよう求められた。だが、韓国3大事務所とは違って、パンはアイドルたちに自分を表現させることを選んだ。Big Hitのアイドルたちは、自分で曲を書き、直接ファンと触れ合ったのだ。こうした比較的自由な方針こそがBTSを世界一人気のあるグループにし、同時にパンを億万長者にした最大の要因だった。

初期のアルバムでBTSがヒップホップやラップを使って訴えていたのは、韓国で暮らす10代が感じている抑圧だった。 PHOTOGRAPH: HAN MYUNG-GU/GETTY IMAGES
パンは最初、BTSをもっと小人数のヒップホップ・グループとしてスタートさせるつもりだった。最初に決まったメンバーは天性の自信に満ちたMCであり、英語を流暢に話すキム・ナムジュン(別名RM:最初はRap Monsterだった)。次に決まったのが、地方の地元でラッパーとして鳴らしていたミン・ユンギ(別名SUGA)と、ヒップホップ・ダンサー兼ラッパーのチョン・ホソク(別名J-HOPE:明るい性格からこう呼ばれる)。
この3人のラッパーを中心に、パンはシンガーやビジュアル担当のメンバーを加えていった。1992年生まれで最年長のキム・ソクジン(別名ジン)は、俳優志望で、完璧な唇の持ち主。最年少メンバー(いわゆる「マンネ:末っ子」)のチョン・ジョングクは、オーディション番組『スーパースターK』でオールラウンドの才能を見せつけた逸材だ。キム・テヒョン(別名V)は甘い声と流し目を武器にもち、パク・ジミンはやみつきになる甘い魅力を備えたすばらしいダンサーだった。
Kポップ・グループがラップとヒップホップのベースから始まるのは珍しいケースだ。そのうえ、若者の苦しみを公に口にしたり歌ったりするグループはさらに珍しい。メンバーたちは自らの若者らしい悩みをビデオブログで公開し、バラエティショーのエピソードをビデオストリーミングサービスのV Live[編註:韓国のライブ動画配信サービス]に投稿した。アプリWeverseでは、すでにYouTubeで公開されているものとは違う追加コンテンツをペイ・パー・ビュー方式で提供した。
毎日、何かしら新しいコンテンツが提供され、メンバーたちが複雑なダンスの振り付けを練習したり、テイクアウトで食事をしたり、TVゲームをしたり、つまらないことで口ゲンカしたりするのを見ていると、終わりのないパジャマ・パーティーを盗み見しているような気分になった。民族音楽学者のキム・ヨンデが考察したように、BTSはさまざまなプラットフォームを駆使してBTSというストーリーを語る技術を身につけたのだ──これは現代の学者が「トランスメディア・ストーリーテリング」と呼ぶ手法であり、ハイデガー言うところの「総合芸術」(Gesamtkunstwerk)に等しい。
彼らが次から次へと生みだしつづける「作品」は、本物の彼らの姿を伝えてくれているという印象をファンに植えつける。BTSファンの一人ひとりがメンバーとの深いつながりを実感し、メンバーのことをまるで身近な友だちか家族のように「ホビ」とか「テテ」とか愛称で呼ぶ。ファンたちに「どうしてそんなにBTSにすべてを捧げられるの?」と訊くと、みんな決まってこう答えるのだ。「だって、彼らがわたしたちにすべてを捧げてくれてるから」。メンバーたちは常に自分を大事にしていると同時に、ファンに対する感謝も忘れない。ジョングクは右手に「army」の文字と紫色のハートのタトゥーを入れているほどだ。

BTSの最年少メンバーであるジョングクは、BTSのファンクラブARMYを讃えるタトゥーを手に入れている。 PHOTOGRAPH: FRAZER HARRISON/ THE RECORDING ACADEMY/GETTY IMAGES
だがBTSが提供するのは、癒しとエンターテインメントだけにとどまらない。最初の3枚のアルバム、学校三部作は、韓国の激しいプレッシャーのかかる教育システムを生き延びねばならない10代の若者たちの思いを反映した内容になっている。
3枚目の『Skool Luv Affair』につけられた豪華なフォトブックでは、まだ幼さを残す顔に黒いアイラインを引いた7人が、くしゃくしゃの学校の制服姿で反抗を呼びかける。2014年4月に韓国南西の海岸沖でフェリーが転覆し、修学旅行生数百人が犠牲になる事故が起き、国家の腐敗を象徴する出来事になると、BTSは犠牲者に捧げたと言われるバラード「Spring Day」をリリースした。
ARMYカルチャーは韓国から東アジア、米国、東南アジア、南米、そしてさらに遠くへと拡がっていった。最近行なわれたBTSファンを対象とする調査によると、いまやARMYは100以上の国家と地域に分布していることがわかった。クロアチアのザグレブに暮らすBTSファンのアイラ・フレリア・ブラリッチは、ふたりの子ども共々BTSファンだ。BTSは「韓国や日本、中国といった、それまではほとんど知らなかったアジアの国々に目を向けさせてくれました」と、彼女はわたしに話してくれた。
14年、ロサンゼルスで開かれたKCON(韓国文化を紹介するフェスティバル)で初めて出演アーティストの1組に選ばれたBTSだが、16年の第4回KCONではメインアクトに昇格していた。音楽的にはコンセプト性の高いアルバムをリリースし続け、基本となるラップとR&Bのベースの上にポップやEDM、ワールドビートを積み重ねていった。
『The Most Beautiful Moment in Life(花様年華)』と題された3枚のアルバムから成る青春三部作では、ボーカルに焦点が当てられる。次の四部作『Love Yourself』シリーズでは中国起源のストーリーテリングの手法(起・承・転・結)を取り入れつつ、「自分自身を受け容れる」というテーマを深く掘りさげた。
最近のBTSは、ユングの精神分析を思い起こさせるような心を癒すアプローチに積極的に取り組んでいる。『Map of the Soul: Persona』および『Map of the Soul:7』と題されたアルバムは、1998年にマレイ・スタインが出版した本『ユング 心の地図』にヒントを得たものだ。スタインがKポップのジャーナリスト、テイマー・ハーマンに語ったように、BTSの音楽は、「わたしたちが自分自身と、自分を取り巻く社会との間に感じる」ギャップを埋めてくれるものなのだ。
17年、BTSはアメリカン・ミュージック・アワードでエネルギッシュな「DNA」のパフォーマンスを披露した。このときBTSを初めて知ったという米国のARMYたちは多い(「DNA」のミュージックビデオのYouTubeでの再生数は15億回に及ぶ)。エレン・デジェネレスやジェームズ・コーデン、ジミー・ファロンといった人気司会者のトーク番組の常連となり、アメリカン・ミュージック・アワードやMTVビデオ・ミュージック・アワード、ビルボード・ミュージック・アワードを立て続けに受賞した。
コラボレーションをしたアーティストは数知れず、有名どころではニッキー・ミナージュ、ホールジー、スティーヴ・アオキ、そして有名振付師のケオネ・マドリッドがいる。また、BTSのメンバー個人名義でもプロデュースや作曲活動が活発に行なわれており、ソロのラップ・ミックステープやミュージックビデオ、シングルの制作、エピック・ハイなどの韓国ヒップホップ・グループへの楽曲提供、そして『梨泰院クラス』や『私たちのブルース』といった人気韓国ドラマの挿入歌提供などが話題になった。7月には、J-HOPEがロラパルーザにソロで出演する。
さらにBTS名義のもとに膨大な数のクルマや電話、フェイスクリームが売られ、ときには小説さえ彼らの恩恵を受ける。RMは「文学アイドル」と呼ばれるほどの読書家で、その愛読書はプラトンの『パイドロス』からハン・ガンの『少年が来る』、カール・セーガンの『COSMOS』に至るまでじつに多岐にわたる。
だが、こういった事実をいくら網羅したところで、BTSのファンたちの真の情熱を完璧に説明することはできない。BTSはほぼ間違いなく史上最も人気のあるグループであり、史上最も献身的なファンに支えられている。ARMYはBTSと共に成長するにつれ、さまざまなルールを生みだしてきた。ファンは自分の「bias(推し)」や「bias wrecker(推しから乗り換えたくなるくらいカッコいい人)」を告白し、細かく決められた行動規範を守る。例えば、プライベートで見かけても声をかけないとか、家族と休暇を取っているメンバーの行き先を突きとめないとかだ。
ARMYたちは自発的に協力しあってBTSのストリーミング再生数を上げ、チャリティのために資金を集め、BTSの価値を貶めようとする動きがあれば全力で抗議する。そのいい例が、20年のトランプ集会のケースだ。ARMYたちは、タルサのトランプの支援集会に大挙して登録したうえ、実際には出席しないで、当時大統領だったトランプをほとんど参加者のいない集会に登場させ恥をかかせたのだ。また22年の初め、フィリピンのファンたちは広く結託して、悪名高い独裁者の名を継ぐ息子フェルディナンド・(ボンボン)・マルコス・ジュニアが大統領に選ばれるのを阻止しようとしたが、残念ながらこの試みは成功しなかった。

ARMYたちの言語の解読能力は半端ない。シンガポールに住む弁護士で、二児の母でもある韓国人のツイッターネーム@Beautiful SoulB7は、毎朝の空き時間を使って、BTS関連の記事やビデオ、SNSのポストなどを英語から韓国語に訳しているという。カリフォルニアのビデオ編集者アニーサ・マブーブが制作するYouTubeのドキュメンタリー・シリーズ『The Rise of Bangtan』には、30分のエピソードが21回分も含まれている。V Liveでは、『Run BTS!』のエピソードの大部分が12以上の言語で視聴でき、アゼルバイジャン語やインドネシア語にも対応済みだ。こういった作業はすべて、多言語能力をもつファンが無償で行なっている。

BTS ARMYとは、グループに果てしない愛をささげる世界中のファンたちの総称だ。 PHOTOGRAPH: DAVID BECKER/GETTY IMAGES

パンデミックのさなかにツアーを中止したBTSは、その後ソウルとロサンゼルスとラスベガスで、全席ソールドアウトとなったスタジアムコンサートを行なった。 PHOTOGRAPH: CHELSEA GUGLIELMINO/GETTY IMAGES
ノースカロライナ大学チャペルヒル校のキャンディス・エプス=ロバートソン教授は、BTSファンのことを、まるで「図書館司書の軍団」だと表現する。学術誌「Rhetoric Review」に掲載された論文に彼女はこう書いている。「彼女たちはTwitterのハッシュタグを追跡して文書化したり、研究や教育関連の素材を誰もが閲覧できるアーカイブにしたり、歌詞の訳をまとめたブログをつくったりしている。さらに最近では、ファンたちが自身の人生の辛い経験や成長を綴るブログもたくさんつくられはじめた」
じつはエプス=ロバートソン自身にも、語りたい成長の物語がある。19年、彼女はALSで死を間近に控えた母親のケアを始めることになった。「わたしは家へ帰る途中、BTSをかけるようになった。いろんな感情でいっぱいになっていたわたしは、何も音のない状況には耐えられなかったのだ」と、彼女はブログに書いている。彼女が特に惹きつけられたのは、「Mikrokosmos」(バルトークの曲とは関係ない)だった。シンセポップ調のアップテンポなこの曲で、彼らはすべての人の魂に「星の光」が宿ると歌う。
この7月、エプス=ロバートソン(ちなみに彼女のツイッターネームには、BTSへの愛を表す「7」の上付き文字が入っている)は、ソウルで開かれる3回目のBTSをテーマとした学術会議「BTS: A Global Interdisciplinary Conference」に出席する(会議のキーノート・スピーカーのひとりは、ニューエイジ運動を代表する小説家パウロ・コエーリョだ)。家族のなかでいちばん最初にARMYになった10代の娘フェニックスも、一緒に参加する予定だ。
BTSにハマる前は、ふたりともアジアにはほとんど興味はなかった。でもいまでは、フェニックスは週1で夜間の韓国語学校に通い、さらに2時間の家庭教師もつけているという。「朝早く起きて韓国のニュースを見たり、韓国の歴史を調べたりする娘の情熱には、本当に圧倒されてしまいました」とエプス=ロバートソンは言う。「どうやったらわたしのクラスの学生たちに、そんなワクワクする思いやもっと学びたいという希望をもたせることができるんだろう、と考えてしまいましたよ」

わたしが4月にベガスで見たコンサートは、「Permission to Dance」ツアーの最終日だった。2年間のパンデミックのあと、ライブを見たいというファンの熱い思いは頂点に達していたし、さらに年長のメンバーたちが18カ月の兵役義務にいつ入るのかという不安な思いが、ファンの熱狂にさらに拍車をかけていた。
それでも誰ひとりとして、このツアーがBTS最後のツアーになるとは(少なくともしばらくの間は)考えていなかった。ニューヨークからロサンゼルスまで飛行機でショーを見にいったあるARMYは、わたしに「思いきりおめかししていくのよ」とアドバイスしてくれた。LAのコンサートでは、メンバーたちがミュージックビデオで身につけていた、性別にとらわれない衣装に合わせた服を着たファンや、メンバーのさまざまな髪色に合わせて髪を染めたファンたちが大勢いたという。その話をしてくれた彼女自身も、きれいなソフトピンクに髪を染めていた。そういえば、みかんが好きなSUGAに合わせて全身みかんの格好でコンサートに来た子がいたのよ、と言って彼女は思い出し笑いをした。
ラスベガス行きを決めるまで、わたしはBTSのメンバーにそれぞれのカラーがあることさえ知らなかった。だがわたしに微笑みかけてくれているのは、たぶんVだ──そしてVは「ボラへ」(「紫」と「愛してる」の韓国語をくっつけた造語)というBTSとARMYの合言葉をつくりだした張本人だ。わたしは紫色のサングラスと、紫ピンクのウェストバッグ、すみれ色のハンカチ、それに砂漠の太陽の下ならラベンダー色の光沢が入っているように見えそうな銀色のスリップドレスをカバンに詰めた。ラスベガス空港に降り立つと、辺りはBTSのキーホルダーや荷物タグをつけ、「TAEHYUNG(テヒョン)」や「JIMIN(ジミン)」と書かれたTシャツを着たARMYたちでいっぱいだった。

4月の2週間にわたるコンサート期間の週末、ラスベガスのストリップ大通りはBTSの非公式カラーである紫でライトアップされていた。 PHOTOGRAPH: DAVID BECKER/GETTY IMAGES
その朝、ホテルのロビーで、MK・ジョーダンという若い女性に出会った。両手にいっぱいのBTSグッズを抱えて息も絶え絶えな彼女は、ハイチ系米国人で、三つ編みにしたポニーテールの髪には、派手なSHOOKYの飾りがふたつついたヘッドバンドをつけていた。いま住んでいるフロリダでは、大学に行きながら銀行で働いている(SHOOKYはBTSのLINEキャラクター・シリーズBT21ユニバースのなかで、彼女の推しであるSUGAを表すキャラクター)。彼女はその朝、欲しい推しのグッズを手に入れるため、アレジアント・スタジアム外のグッズ販売列に早朝五時半から並んでいた。だが彼女の順番が回ってくるころには、狙っていた「Permission to Dance」ブランケットとTシャツはすでに売り切れ。それでもなんとか、フォトカードを何枚かとメンバーの顔がついたうちわをゲットした。
ジョーダンはKポップにハマる前は、日本のアニメのファンだった。両者のファンには重なる部分が多く、どちらも推しの話している言葉や作品の言語を学びたがる。ジョーダンも韓国語を勉強していて、彼女がBTSに惹きつけられるのは(SUGAのめっちゃかわいいラップとダンスは言うまでもないが)、彼らが伝える価値に共感するからだと説明してくれた。「韓国文化とハイチ文化には、すごく共通する部分があると思う。どちらもすごく暖かいものを感じるから」と彼女は言う。それに比べて米国文化は「オッケー、どうせ人はひとり。他人のことなんか誰も気にしない、って感じ」なのだという。
そのあと、「Butter」などの最近の曲が鳴り響くフォト体験アトラクション「BTS Immersive Journey」の入場待ち列で、目の覚めるような黄色のシャツを着た陽気なインド人女性アクシャタに会った。アクシャタは最近、在宅ワーク中にBTSのファンになったばかりで、普段はバンガロールで投資銀行家として働いているが、休暇を取ってベガスへやってきた。夫はソルトレイクシティで働いているというアクシャタは、BTSの「自分を大切にして」というメッセージを聞いて、夫が側にいなくてもひとりで頑張って生きていこう、という気持ちになれたという。
わたしが渡した名刺にハングルで書かれた名前を見ると、彼女はそれを声に出して読んでみせた。韓国語の勉強には、Netflixの韓国ドラマシリーズの一気見もかなり役に立っているらしい(彼女が送ってくれた韓国ドラマのリストは53からさらに増殖中だ)。話を聞いた数時間後、彼女はタトゥーショップへ行って、BTSのアルバム『Love Yourself』のジャケットに描かれていた花の線画のタトゥーを入れた。
「自分を大切にする」ためにBTSを聴く、というのは、多くのファンが口にする話だ。ヒューストンからやってきたクリスティーナ・ジョンソン(推しはRM)は、コールズ[編註:米国のデパートチェーン]でパートタイムで働きながら、5人の子どものうち4人をホームティーチングで教えている。以前は’NSyncのファンだったが、パンデミック初期の鬱々とした数カ月の自宅待機のあいだに、BTSに救いを見出したのだという。Spotifyで200曲にもおよぶBTSのプレイリストをつくり、家の机にBTSの写真を貼った。さらに吊り棚にCDやメンバーの小さなアクリルスタンドを飾りつけた、BTSの祭壇みたいなものもある。
ジョンソンは里親のもとで育った。半分日本人の彼女の母親は、彼女を養子に出したのだ。だがBTSがきっかけとなって、彼女は自分の日本人としてのルーツを見つめ直し、アジア系米国人としての意識を強くもつようになったという。仕事や子どもたちの世話からちょっと一息つきたいとき、彼女はヘッドホンをつけて『Magic Shop』や『Love Yourself』などの曲を聴く。BTSを聴くのは、まるで「精神科のカウンセリングみたい」と彼女は言う(その後BTSが活動休止を発表したとき、連絡してきたジョンソンのメールには「いまボロボロ大泣き中」と書かれていた。「いまの彼らには自分の時間を取って、思いきり羽を伸ばすことが必要なんだと思う」と認めつつも、寂しくてたまらないと彼女は言った。「だって彼らは本当に長いあいだ、本当にたくさんの人の心の支えになってきたんだから」)

ラスベガスのアレジアント・スタジアムで行なわれたコンサートでは、グッズを買うためにファンたちが長い列をつくった。 PHOTOGRAPH: DEECEE CARTER/ALAMY/AFLO
その夜、アレジアント・スタジアムは最高の幸福感に包まれていた。キラキラに輝く建設費20億ドル(約2,730億円)の新スタジアムは、ラスベガス・レイダースの本拠地だが、いまそこにはアメフトの試合のときに始まる酒の入った乱痴気騒ぎもなければ、ロックやジャズのコンサートのときに聞こえてくる「そういや、あれ聴いた?」みたいなマウントの取り合いもない。かといって、キャーキャー騒ぎ立てるティーンエイジャーがその場を支配しているわけでもない。
スタジアムの外に列をつくるのは、紫色の服に身を包み、笑ったり踊ったりしている黒人の男の子たち。「タダであげるよ」と叫びながら、手づくりのBTSのしおりとフェルト製のラベンダー色のハートを渡してくれたアジア系の若い女の子。“땡”(RMとSUGAとJ-HOPEによるラップトラックの曲名)と書かれた帽子をかぶり、奥さんと10代の娘たちを連れたラテン系のお父さん。彼は近くの人に、チケットは全部で4,800ドル(約65万6,000円)もしたとこぼしている。
スタジアムの中で、わたしはスペインから来たふたりのARMYの写真を撮ってあげた。ひとりは「パンPD結婚して!」と書かれたプラカードを用意していた(パンPDとはBTSを誕生させた仕掛け人パン・シヒョクのことだ)。最上階のわたしの席の横では、ふたりの女の子がInstagramでBTSのコンテンツをチェックし、アヒル口をしてセルフィーを撮っている。前のほうの席では、日本語しかしゃべらないカップルがBTSのロゴがついたクッキーをかじっている。スタジアムの6万5,000席ほとんどすべてが埋まり、さらに追加の席まで出ていた。
ジャンボトロンにはBTSが出演している反プラスチックを訴える(がSamsung寄りの)公共広告や、これまでにBTSが発表してきたミュージックビデオが映し出されて観客の気持ちを盛りあげる。そしてついにBTS本人たちが巨大な機械仕掛けの箱の中からステージへと登場したとき、ものすごい歓声が上がった。数千人のARMYたちが振るペンライトはBluetoothつきで(価格は59ドル:約8,000円)、曲に合わせてさまざまな光のパターンが会場にうねる。ファンたちはメンバーの名前をお約束の「かけ声」で唱和する。まさにスーパーボウルやワールドカップにも匹敵する、一大スペクタクルだ。ただし、ここでは会場にいる全員が同じチームを応援している。

BTSの音楽を知る前、わたしは彼らのことを「幸福」を体現する使者だと思っていた。だが2017年──Kポップ・グループSHINeeのシンガーだったキム・ジョンヒョンが自殺した年──BTSは子どもと10代の若者に対する暴力の根絶を目指すキャンペーンを、ユニセフの協力のもとに立ちあげた。次の年、RMはグループを代表して国連で「Love Myself(自分自身を大切にしよう)」と呼びかけるスピーチを行ない、さらに21年の国連総会の会議場では、7人のメンバー全員がパンデミックに苦しむ若者に向かって励ましのメッセージを送った。そこで撮られたミュージックビデオには、地味な黒のスーツに身を包んだメンバーたちが、ヒット曲のひとつを歌いながら世界中のリーダーが登壇する緑色の大理石の演壇をスタートして、メインホールを通ってイーストリバーのほとりまで駆け抜けていく姿が映っている。ビデオの視聴回数は6,800万回にのぼった。
マイノリティの人々に共感を表明し、自分自身の不安定さや悩みや過ちを赤裸々に語るBTSメンバーたちの姿勢を、ファンは心から愛している。こういった姿勢があるからこそ、BTSは、ほとんどのKポップ・グループが経験する「7年目のジンクス」に囚われずに済んだのかもしれない。
初期のころ、「War of Hormone(ホルモン戦争)」という曲に女性差別的な表現があるという批判にさらされたあと(「何でもお望み通りだぜ」「前からでも 後ろからでも/最高さどこからでも」などの歌詞が問題となった)、RMはフェミニズム関連の読書リストに真剣に取り組んだという。またRMとSUGAはインタビューで、性的少数者の人たちは誰でも自分の望む相手を好きになっていいはずだ、と発言している。これは、まだカミングアウトが非常に難しい韓国で口にするには、かなり勇気の要る発言だ。
中国の成都で暮らすワンは、公表はしていないがゲイを自認するARMYのひとりとして、こう言っていた。「BTSにはクィアなファンがかなりいますよ。BTSのARMY全体が、すごく暖かく迎え入れてくれるんです」(これはBig BangのようなKポップグループとはじつに対照的だ。Big Bangのシンガーたちは性的人身売買やギャンブル、ドラッグ犯罪に関わったとして有罪判決を受けている)。
だが同時に、BTSは政治問題に口を出すことは敢えて控えている。メンバーの誰も、韓国でクィアな人たちの置かれている状況に関しては意見を述べていないし、LGBTQの活動家たちが10年以上も運動を続けている反差別法制定を応援することもしていない。
政治に対して慎重な姿勢を取り続けてきたためか、いまのところBTSが大きな非難の的になったことは、それほどない。それでもちょっとした騒動はいくつかあった。メンバーの東アジアの歴史に関する発言が、日本人ファンや中国人ファンから問題視されたことがある。また19年、J-HOPEが「Chicken Noodle Soup」のミュージックビデオのなかでドレッドロックっぽい「ジェル・ツイスト」の髪型をしていたことが批判を浴びた。この曲はDJ WebstarとYoung Bの曲のリメイクだが、一部のARMYがその髪型は文化的に不適切だと英語と韓国語で批判的な発言をポストしたのだ。もちろん、その批判に異議を唱えるファンもいた。
つい最近の話だと、CD3枚組のコンピレーションアルバム『Proof』が出るときに、BTSが直前に洩らしたトラックリストをめぐってARMY内で論争が起きた。そのリストのなかには、性的暴行で有罪となったKポップの作曲家Jung Bobbyの書いた曲が含まれていたからだ。Jungの行為が明らかになったのは、その曲が最初にリリースされたあとだったが、そもそもそんな人の書いた曲をなぜリイシューで出すのかと疑問視するファンがいたのだ。ソウルのAP通信の記者であり、過去にKポップ歌手のPSYのバックダンサーをしていた経験もあるパク・ジュウォンがTwitterで疑問の声を上げると、世界中のARMYたちから敵意に満ちた反応が降り注いだ。
じつはわたしがBTSファンにインタビューしたときにも、そこまで敵意に満ちた反応ではないが、似たような警戒心をもたれて身構えられたことがある。ARMYたちの多くが、とくに西洋のメインストリームのメディアからは、BTSだけでなくKポップ全体がバカにされているように感じているのだ。わたしは何度も決してウケ狙いの批判的な記事を書いているわけではないと言って、取材相手の人たちを安心させなければならなかった。「メンバーを傷つけるようなことは絶対に言いたくない」とはっきり宣言する人も何人かいた。

BTSは質の高い音楽やビデオブログ、バラエティショーのコンテンツを前例のないレベルで大量に送りだし、ファンたちをつねに惹きつけつづける。 PHOTOGRAPH: LEE JAE-WON/AFLO
スタジアムのクラクラするほど高い所にある席から、わたしはステージ上で華麗に飛び跳ねる7つの点を見つめた。彼らの滑らかな肌とアイラインを引いた目は、巨大スクリーンでしか確認することができない。彼らは数回の衣装替えの時間を除いて、2時間近くをノンストップで歌って踊りつづけた。大好きな「Black Swan」と「idol」に加えて、ほとんどの曲には聴き覚えがあったが、歌詞までは知らないものが多い。だがわたしの周りにいる人は全員、すべての曲を完璧に歌えるようだった。
もしわたしがアジア系米国人の成長を綴る青春映画の10代前半の主人公だったら、ここは思わず涙があふれる場面だ。かつて白人中流階級だらけの米国の故郷で、あんなに嫌で仕方がなかった親の国の言葉を、地球上のあらゆる人種の人たちが最高に幸せそうな表情で一緒に歌っている。
コンサートの最後のナンバーは、ツアーのタイトルにもなっている「Permission to Dance」だった。Eメジャーの高音が抗いがたい魅力を放つ、綿アメのように甘くてフワフワした曲だ。英語の歌詞を歌っていれば、パンデミックなんてどこかへ消し飛んでしまう。「踊りたいんだ 音楽がぼくの支え/何をしたってぼくらの動きは止められない」。紙吹雪が舞い散るなか、BTSが退場したあと、ジャンボトロンには重要なニュースを伝える数字が点滅した。それは『Proof』が発売される6月10日の日付だった。

BTSのARMYの多くは韓国語を学び、韓国へ行きたいという望みをもっている。 PHOTOGRAPH: JUNG YEON-JE/AFP/AFLO
駐車場を抜けて、煌々と灯りに照らされたストリップ大通りへと向かいながら、わたしはスタジアムを満たしていた恍惚をもたらす雰囲気を少しでも長く感じていたかった。だがその日の昼間、そこからそう遠くない場所で、わたしはボロボロのシャツとジーンズをまとった男が、賑やかな観光客の横でまどろむ姿を見たのを思いだした。男はもう一足、別の靴を抱えていて、その靴の抜けた底には代わりにガムテープが巻いてある。
ふと、RMがファンに勧めていたもう1冊の小説、ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』の一節が頭に浮かんだ。全体主義的美学に一瞬触れたときに、クンデラは「キッチュ」なものを「クソの絶対的な否定」と描写する。わたしたちがあのスタジアムで感じたのは、そんな「幸せだけど空虚な否定論」なのだろうか? BTSを知る旅に出発したばかりのころだったら、「イエス」と答えていたかもしれない。そのころのわたしだったら、BTSの音楽とそのすべての楽曲を、わたしたちすべてが共有する暗い現実から目をそらすための、感傷的な回り道だと切り捨てていたかもしれない。
だがいまのわたしは、BTSのARMYたちが空想の世界に住んでいるわけではないことを知っている。ARMYたちもほかのすべての人と同じく、絶望と大量死と環境破壊に脅かされる世界に生きているのだ。BTSと共に歩んだこの9年のあいだ、ARMYたちは逃避を求めて7人を見ていたのではない。彼女たちが7人に求めていたのは、ただ純粋な喜びなのだ。

ILLUSTRATION: EMILY SUVANVEJ
THE NEW YORKER/Translation by Terumi Kato, LIBER/Edit by Michiaki Matsushima)


© 2022 Condé Nast Japan.

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