沖縄本土復帰50年〜沖縄が生んだポップスを振り返る〜 – KKBOX

沖縄が本土に復帰して50年の節目となる2022年。多くのメディアで沖縄について特集され、当時の様子を知ることができる機会も増えたのではないでしょうか。また現在放送中のNHK連続ドラマ「ちむどんどん」は、本土復帰前後からの歩みを描くふるさと沖縄の料理に夢をかけたヒロインと支えあう兄妹たちの物語で、当時の沖縄の生活や音楽に触れることができます。末妹の比嘉歌子(上白石萌歌)が三線を弾きながら「椰子の実」「娘ジントーヨー」などを歌うシーンがたくさんあり、どの歌にも癒されます。また八重山民謡の第一人者・大工哲弘が三線奏者として登場して歌った「月ぬ美(かい)しゃ」には胸を打たれました。
出典元:YouTube(avex)
「ちむどんどん」の主題歌は沖縄出身の三浦大知。MVは沖縄の自然がふんだんに盛り込まれている。
琉球の時代から人々の生活に深く根付き、独自の発展を遂げてきた沖縄の音楽ですが、1972年沖縄本土復帰前後に大きな変化をしていきます。それは様々な音楽ジャンルで生まれた沖縄発の新しいポップスです。それは、その後の日本の音楽シーンの進化にも大きな影響を与え、この半世紀、沖縄発のアーティストや音楽は日本中の人たちの心を掴んできました。今回は、そんな沖縄ポップスシーンの中で欠かすことのできない、エポックメイキングとなったアーティストたちを紹介していきます。
沖縄が本土復帰したのは1972年(昭和47年)5月15日。アメリカとの沖縄返還協定が発効し沖縄の施政権が日本に返還されました。沖縄は本土復帰を目前として熱量を帯びていましたが、ミュージックシーンにおいても〈島唄〉〈ロック〉〈ダンスボーカル〉〈アイドル〉と幅広いジャンルで、沖縄発の新しい音楽スタイルが生まれ始めます。
沖縄ポップスを語る上で欠かせないのが、喜納昌吉の「ハイサイおじさん」です。沖縄のレコード会社であるマルフクレコードから1969年に発売された民謡集に初収録されたこの曲は、従来の沖縄民謡のリズムや音階をベースにしながらも、曲調を少しずつ変えリリースを重ね県境や国境を超え多くの人に愛されています。そして時間をかけながらも30万枚のセールスを記録、沖縄県発のいわゆるウチナーポップスとして全国区でヒットした曲になった先駆的な楽曲になっていきます。しかし陽気なメロディとは裏腹に歌詞の内容は、沖縄戦のトラウマで精神障害になった女性が自分の子を殺害し、残された夫(おじさん)が少年だった喜納昌吉の家に酒をねだりに来る際の掛け合いが描かれています。

1970年に結成されたのが伝説のハードロックバンド・紫。当時の沖縄のミュージシャンたちは米軍のキャンプを回って演奏することで生計を立てていましたが、本物の耳を持った米軍の客たちの高い要求レベルに応えるために相当なスキルを磨かなければなりませんでした。その結果、沖縄のバンドは本土のバンドが太刀打ちできないほどの演奏力を持つようになっていきます。1976年に1stアルバム『MURASAKI』をリリース。音楽雑誌『ミュージックライフ』では1977年の人気投票で国内グループ部門で1位に輝くなど、沖縄出身ロックバンドの草分け的な存在であるのと同時に、日本のバンドシーンにも大きな影響を与えることになります。シングル「FREE」は、いま聴いても色褪せないアメリカテイストが漂う素晴らしいサウンドセンスを持った楽曲になっています。

身近なアメリカン・カルチャーから大きな影響を受けて登場したのは、5人兄妹によるダンスボーカルグループのフィンガー5。父親が経営する米兵相手のバーでアメリカのロックやポップスに幼い頃から親しんでいたという5人は、1970年に前身グループとなるベイビー・ブラザーズとしてデビュー。その後、同じく5人兄弟で結成されアメリカで大ヒットしていたジャクソン5を意識し〈フィンガー5〉というグループ名に変更します。ダンサンブルでテンポの良いサウンドはもちろん、リード・ボーカルの晃が11歳、妙子が10歳ということもあり、日本中の子供たちが大熱狂するなど社会現象を起こしました。1990年代に大人気となった沖縄発ダンスボーカル・グループの原型となった存在と言えるのではないでしょうか。

またこの時期に、その後の女性アイドルの原型を作った沖縄出身の少女がデビューします。それが小柳ルミ子、天地真理らと共に “新三人娘” と括られ、1970年代のアイドルの代表格となった南沙織です。彼女は沖縄本土復帰前の1971年に上京し、6月にリリースしたデビュー曲「17才」は54万枚の大ヒットを記録。その年の「日本レコード大賞」では新人賞を受賞、「NHK紅白歌合戦」にも出場するなど、いっきにトップアイドルに上り詰めました。その後〈南沙織〉と結婚することになる写真家・篠山紀信は「彼女の登場は、返還を目前とした沖縄のイメージ・アップのための国策歌手かと思ったくらい良かった」と振り返っています。

〈島唄〉〈バンド〉〈ダンスボーカル〉〈アイドル〉と多岐のジャンルに渡り芽吹いた沖縄ポップスの新しい潮流は、その後も大きな進化を遂げていきます。その大きな牽引力となったのが、安室奈美恵の大ブレイクにより一躍その名が知られることとなった沖縄アクターズスクール。1983年4月に開校し、安室奈美恵が所属したSUPER MONKEY’S、MAX、SPEED、DA PUMP、Folder(三浦大知、満島ひかり)など多数の才能を輩出しました。これらの〈歌って踊れるクオリティの高いダンスボーカル・グループ〉は、1990年代から2000年代にかけてJ-POPシーンを席巻していきますが、どこかフィンガー5の音楽スタイルをベースに大きく進化させていったようにも感じます。
出典元:YouTube(SPEED TOY’S FACTORY オフィシャルチャンネル)
安室奈美恵は国民的なシンガーとなり日本のポップスシーンに大きな足跡を残すことになりますが、これは沖縄アクターズスクール創設者のマキノ正幸の先見の明があったからこそでした。マキノ正幸はスクール見学に来ていた当時10才の安室奈美恵に強烈なオーラを感じ取ってスカウトし、経済的に裕福でなかった安室奈美恵の母親に「授業料は要らない」と異例の特待生待遇で入学させたエピソードが残っています。
出典元:YouTube(Namie Amuro)
沖縄本土復帰20年となる1992年前後には、りんけんバンドやネーネーズなどが登場。より親しみやすいポップス性を持ち始めた〈島唄〉は再び脚光を浴び、全国的にムーブメントが再燃します。その大きなきっかけとなったのが、THE BOOMの「島唄」(1992年)の大ヒットです。沖縄出身ではないTHE BOOMに対し「沖縄の人間でない人間が沖縄民謡の真似事をするなんてとんでもない」という批判もあったのだとか。しかし沖縄出身であるBEGINの比嘉栄昇が、「『島唄』は画期的だった。それまでは沖縄のミュージシャンは本土でどう歌えばよいか分からず、本土のミュージシャンも沖縄で歌うのは遠慮があった。その橋渡しをポンとしてくれたのがBOOMさんの『島唄』です。ありがたかった」とエールを送っています。
出典元:YouTube(Sony Music)
そんなBIGINは石垣島出身。1990年に「恋しくて」でデビューし、今年でデビュー33年目を迎えています。ブルースから島唄まで多彩な音楽性は幅広い支持を集め、「島人ぬ宝」「涙そうそう」「笑顔のまんま」「海の声」など老若男女多くの人たちから支持され続ける沖縄を、そして日本を代表するバンドになっています。
出典元:YouTube(BEGIN ch)
1990年代には、もう一つの潮流が生まれます。それは沖縄ポップスのエッセンスを持たない沖縄出身アーティストたちの登場。1998年にデビューしたKiroroは、清らかで聴き心地がいい歌声とピアノの優しいメロディが特徴的で、「長い間」や「未来へ」は大ヒットし、今も歌い継がれるエバーグリーンな曲になっています。1996年には唯一無二の存在感を持った女性Coccoがデビュー。独特なパフォーマンスとオルタナティヴなサウンドに沖縄のエッセンスはまったくありませんでした。しかし次第にCoccoは、沖縄の方言や三線の音色を取り入れた作品を手がけるようになります。また辺野古基地移設問題に対するメッセージソングとして「ジュゴンの見える丘」を発表するなど、沖縄への想いを強くしていきました。
出典元:YouTube(Cocco)
2000年には「沖縄サミット」が開催、 NHKで放送された「ちゅらさん」など沖縄が題材となる番組も多く制作され、沖縄は改めて世界的にも注目され沖縄ムーブメントは大きく広がっていきます。そんな中で登場したのが、MONGOL800、HY。奇しくも2001年9月という同じ月にリリースされたそれぞれのアルバムは、その後の邦楽ロックの歴史を変えてしまうほどの羅針盤的な作品になっています。
MONGOL800がリリースしたのは2ndアルバム『MESSAGE』。発売から7か月後のオリコンチャートで首位を獲得、インディーズとしては異例の280万枚以上のセールスを記録。また「琉球愛歌」や「矛盾の上に咲く花」など、沖縄愛をテーマとした楽曲も多数発表しています。
出典元:YouTube((株)ハイウェーブ)
高校時代にバンド結成したHYは、卒業の年にバンド最後の思い出として発表した「ホワイトビーチ」が沖縄県内で人気を呼び、高校在学時アルバム『Departure』を沖縄限定リリース、瞬く間に1万枚を完売させます。ちなみにHYというバンド名は、メンバーの地元である「東屋慶名(ひがしやけな、Higashi-Yakena)」の頭文字。彼らの地元に対する愛情を感じます。
出典元:YouTube(TV ASAHI MUSIC)
MONGOL800、HYに共通している点は地元・沖縄への帰着意識です。東京のレコード会社は彼らとのメジャー契約を熱望しましたが、両バンドともインディーズというスタンスを崩さずメジャーからのリリースはせず、基本的には故郷の沖縄を活動の拠点にしてきています。「メジャー契約が成功への道」というそれまでの常識を覆し、新しい価値観を持ちいまもなおシーンの第1線で活躍するMONGOL800とHY。音楽を志す若い世代に新しい提示をした功績は大きいのではないでしょうか。そして、その後ORANGE RANGEや、かりゆし58が登場していくのです。
また沖縄ならではのヒップホップやクラブミュージックが生まれたのもこの頃。沖縄音楽とテクノを融合させたRYUKYUDISKOの音楽スタイルは、斬新で若者世代から高い注目を受けました。また本格的な女性ラッパーとして多くのメディアに登場し、最近大きな注目をされているAwichも、最初のデビューは2006年のEP『Inner Research』でした。彼女はその後アメリカに留学。現地で結婚、出産、そして夫との死別などを経て2017年から音楽活動を再開。 2022年5月15日にリリースされた「TSUBASA feat. Yomi Jah」は本土復帰50周年を迎える沖縄をテーマとした胸に刺さる楽曲です。本土復帰から50年が経ったいま、若い世代が持つ沖縄が抱える感情や視点などがストレートに歌われています。Awichからのメッセージに耳を傾けてください。
出典元:YouTube(Awich)
沖縄の居酒屋には三線が置かれ、ほろ酔いのサラリーマンが三線を引きながら沖縄民謡を歌ったり、普通のお家から聴こえてくる三線の音色に耳を傾けた人もいるのではないでしょうか。沖縄では日常にいつも音楽が当たり前のようにあります。そんな沖縄からは、今後も個性豊かなアーティストや音楽が生まれてくることでしょう。今回紹介できなかったアーティストたちもたくさんいます。そんなアーティストたちも含め、沖縄発の音楽を是非深掘りしてみてください。


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