大江千里は何と戦ってきたのか? ポップミュージックについて語る – マイナビニュース

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日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2022年9月の特集は「大江千里」。1982年、関西学園大学2回生の時にCBS・ソニーオーディションの最優秀賞を受賞し、1983年にピアノを弾いて歌う男性シンガー・ソングライターの新星としてデビューした大江千里。80年代キャンパスカルチャーのシンボルとしてキャリアをスタートさせたその後もソングライターとして数々のヒット曲を残してきた。そんな彼をゲストに招き、「今だから語りたいマイ・ソング」をテーマに自薦した楽曲の制作秘話や思い出のエピソードを赤裸々に語っていく。パート3ではパーソナリティの田家秀樹とともに初のシングルコレクションから1993年から1997年までの楽曲を振り返る。
田家秀樹:こんばんは。 FM COCOLO 「J-POP LEGEND FORUM」案内人・田家秀樹です。今流れているのは大江千里さんの最新アルバム『Letter to N.Y.』から「The Street to the Establishment」。今月はこのアルバムから毎週1曲ずつ前テーマを変えてお送りしてます。なんでこの曲にしたかというと「おおジャズアルバムだな」「気持ちいい曲だな」と思ってこの曲にいたしました。
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今月2022年9月は大江千里さんの特集です。1983年、ピアノを弾いて歌う男性シンガー・ソングライターの新星としてデビューしました。2007年に日本での活動に区切りをつけて、ニューヨークのニュースクール大学に入学。2008年に移住して今向こうで活動中です。今年から来年にかけてがデビュー40周年ということで、今年の6月に初めてのシングルコレクション『Senri Oe Singles~Special Limited Edition~』が発売になりました。今月は5枚組のそのアルバムのオリジナルのディスク4枚を毎週1枚ずつ、その中からご本人に曲を選んで語っていただいております。こんばんは。どうも、よろしくお願いします。
大江千里:よろしくお願いします。
田家:この曲はどんなイメージでお作りになったんですか?
大江:基本的には、家でキーボードをアップルのコンピュータに繋いで作りました。携帯できる弁当箱を持って好きな景色のところで食べるみたいな。そんな感覚でパソコンを窓際に持っていって作ってましたね。コロナ禍の外の景色を見ながら、それをそのままベースラインにしアレンジを作っていきました。飽きたらカップラーメンでも食べて昼寝をして、また戻って景色を変えて今度はフレーズを作るみたいな感じでしたね。
田家:なるほど。それでこの『Letter to N.Y.』というタイトルの意味がわかりました。Letter from N.Y.じゃないんだなと思ったんですよ。
大江:ニューヨークという街に対して「頑張ったよなお互いに」っていうね。街に育てられたようなところがあるから街へお返しといかね。そういうアルバムです。
田家:街に行き交う人々に向けてでもあり、街の景色に向けてでもあるっていう。
大江:そうなんですよ。外の景色見てたらあんなにしょんぼりしてる人たちを見たことがないってくらいの人がいて(笑)。久しぶりに喧嘩をしている人たちを見るとコロナ前に戻って来たなと思うし。あとは信号待ちしてる車が窓を全開にして爆音でビートを流してて信号が変わったら大きな音立てて去っていくのを見たりして。そういうエネルギーを感じて「俺もこの街と一緒に何か作ってお返しするぞ!」みたいなこと思って作りました。
田家:今でも人間くさい街という感じなんでしょうね。
大江:そうですね。
田家:今週はDisc 3のお話を伺おうと思います。93年から97年までの楽曲ですね。先週、ニューヨークでアルバム『APOLLO』を作ったという話がありましたから、今回はそれ以降ですね。この頃はニューヨークとはどういう距離感だったんですか。
大江:『APOLLO』で一旦頭を打って、もうやるだけのことはやったと。でも30代半ばに入っていってもう1回チャレンジしたいっていう思いが出てきた。それで作ったのが『Giant Steps』です。それに入っている「maybe tomorrow」って曲は、日本で旬なものに飽きがきて、どこか矛先を変えていくという気持ちで作りましたね。昔、自分がスタンダードで聴いていた曲、吉田拓郎さんの『旅の宿』とか。そういうのに影響を受けた曲ですね。アレンジはほぼ同期の佐橋佳幸さんにお願いしました。
田家:今週も千里さんから7曲選んで頂いたんですが、今日の1曲 「maybe tomorrow 」。
田家:千里さんが選ばれた今日の1曲目、93年11月発売「maybe tomorrow 」。拓郎節といった感じの曲ですね。
大江:拓郎さんは個人的にも知っていまして。「日本をすくえ」というコンサートで共演した時に拓郎さんが僕の「サヴォタージュ」って曲のベースを弾いてくださったことがありました。もう本当に拓郎さんには詩の影響を受けてまして。「maybe tomorrow 」の詩を書いた時は、自分が「吉田千里」「大江拓郎」になっているみたいな感覚で作ってましたね。僕がEPICに顔を出した時にプロデューサーの人が僕を捕まえて「なんだよ、新曲丸々拓郎のパクリじゃないかよ」って言ってきて(笑)。それ聞いてみんなが「シーン…」僕も「シーン…」みたいな(笑)。それくらい今までと全く違う自分のルーツの一つの蓋を開けて、何か自分に新鮮な酸素を与えないと次が見えないっていう気持ちでしたね。当時ちょうどラウンジ的な音楽をアメリカでもジャネット・ジャクソンが、昔のテイクを使ってサンプリングしてやったりしてて。そういうカルチャーからも影響を受けて、自分の中の引き出しを開けて、自分のルーツミュージックをいっぱい引っ張り出してきて、アナログ盤に針を落とすような感覚で作り始めたのが『Giant Steps』なんですよ。
田家:まだ開けてなかった引き出しがあったんですね。
田家:大江千里さんデビュー40周年、「今だから語りたいマイ・ソング」。今週のパート3、94年8月に発売になった「夏の決心」をお聴き頂いてます。フジテレビの『ポンキッキーズ』のメインテーマだったそうで。
大江:これは確かツアー中にイタリア軒というホテルに泊まっていた時に、東京から清水信之さんが車でやって来て、僕の部屋で「こんなのできたけどどうかな」ってこの曲を聞かせたんですよ。そしたら「もうこのままイケるよ」って言ってくれたのを覚えていますね。僕のテーマとしては夏休みのうちにやりたいことを100個くらい全部箇条書きにしたノートをピアノの前に置いて、「線香花火にする」とか「下駄を揃える」とか使えそうなフレーズを片っ端から歌詞に乗っけていって作りましたね。
田家:さっきの「maybe tomorrow」のカップリング曲「雪の別れ」は、山田洋次監督の『学校』で流れてるわけでしょ。『学校』には千里さんも出演をされていると。
大江:映画の中で流れるっていうよりは宣伝に使って頂きましたね。映画の中では僕は田中邦衛さんが演じる「イノさん」のお医者さんの役でしたね。
田家:この頃にはドラマ『十年愛』にも出演されていますよね。あと「夏の決心(進め、少年編!)」というタイトルでベストアルバム『Sloppy JoeⅡ』に入っていて、これもテレビ番組『進め!電波少年』に関係しているんですよね。色んなことをやっていた時期っていうことですかね。
大江:色んなことやって「旬だよね」って言われてる時点で、もう食卓に並ぶ時には旬じゃないというか。その手前ぐらいが一番楽しいし、目標もはっきりしてるんだけど。僕も「誰が喜んで聞いてくれているか」って媒体を通してだんだんぼやけてくる感覚がありました。佐野さんが言う「ウスノロ」じゃないけど(笑)そういうのに巻き込まれていって、これからどこに向かっていけばいいのか少し見えづらくなってましたね。
白い雪まいおりた / 大江千里
田家:94年11月に発売になった「白い雪まいおりた」。クリスマスソングですね。
大江:もうこれはニューヨークからそろそろ戻ってきて、アパートも引き払って「これから日本をベースに腰を落ち着けてやるぞ」と決めた頃の曲ですね。
田家:なるほどね。腰を落ち着けてやるぞっといった時に、ご自分の一つのベースになっているクリスマスソングを。
大江:そうですね。今聞くと、サウンド的にはギターのワウとかがニューヨークへの未練というか、そういうのを感じますね。「かっこいいものを何とかして自分の世界観の中で生み出してやる!」みたいな気概が見えますね。「いやいや、そこじゃなくて詩を直球で書きなさいよ」って今の僕だったら言っちゃうと思います。もう一回「君と生きたい」みたいな、少し朴訥としてもいいから、サウンド志向というよりは詩をベースにしたようなものを作りなさいとアドバイスしてあげたいなと思います(笑)。
田家:キリスト教の洗礼を受けられた時期とピアノを始められた時期って割と重なってるんですか?
大江:そうですね。僕は3歳の時にピアノを始めて、その時にはもう初聖体を受け取っていたかな。
田家:その時、ピアノの一番弾かれた曲って何だったんですか?
大江:クラシックを一応習ってて。ブルグミュラーとか、「ソナタ」、「ソナチネ」、あとバッハの「インヴェンション」とかを弾いてましたね。
田家:この曲にはあまりそういう要素はないですよね。
大江:いや、でもやっぱ戻りますよね。ジャズのソロをやってても、ふっと「インヴェンション」の一番のフレーズが出てきたりだとかします。
田家:なるほどね。そして35歳になる年の曲をお聞き頂こうと思います。95年4月発売の「ぼくらの階段」。
ぼくらの階段 / 大江千里
田家:95年4月発売「ぼくらの階段」です。内省的な歌ですね。
大江:そうですね。自分の立ち位置を既に俯瞰で語っている歌ですよね。階段のちょうどと途中である35歳っていうのをコンセプトに書いたんですよ。不完全なままで大人になれていない30代半ばはこんなにも子供なんだっていう。未消化のまま年が重なっていって、評価ばかりが高いハードルとなって現れる。でも自分はつまずいて持て余してっていうのを全然受け入れることができないと。セピア色の思い出処理箱が見つからず。そんな35歳っていう階段のステップで滑りながらってイメージで必死に書いきました。朝5時くらいにこれを書き上げて寝ようと思った時に、神戸で地震が起きたというニュースを見て「ああそうなんだ」なんて思いながら寝て起きたらもうとんでもないことになってて。そういうこともあって、この曲はいろんな意味で僕に重みというか…そういうのが残った歌ですね。
田家:96年5月に発売になった「Happy Honeymoon」。アルバムは『SENRI HAPPY』。ハッピーなロックンロールという感じですね。
大江:新しい人にいっぱい出会って、刺激をもらったアルバムという感じですね。
田家:この曲は奈良部匠平さんがアレンジをしたと。
大江:そうですね。あと濱田マリさんがゲストで六本木のセディックスタジオで録りましたね。
田家:「夏の決心」のライナーノーツに「ヘアスタイルが毎回激変してる」って書いてありましたけど、確かにブックレットに載っているシングルのジャケットを見ると、毎回髪型が変わっている感じですね。
大江:本当に忙しくて、髪を切る時間が無かったんですよ。だから『十年愛』の現場で山田かつらさんのメイクの方に「すいません! ちょっと切ってもらえませんか?」ってお願いして切ってもらったりしてて。突然切るのが面倒になって坊主にしたりだとか色んな遊び心もあって髪型がコロコロ変わってましたね。
田家:そんなに忙しかったんですか。
大江:忙しかったですね。この頃から文筆とかも始めたりとかで書いてる時間が長くて。曲を書いてツアーもやって、そこにドラマとかも入ってくる。あと当時「オールナイトニッポン」もやってたりしてて。終わってから車で逗子の漁港に行って、静かな漁港のテトラポットの上に仁王立ちで「バカ野郎ーーー!!!」って叫んだりとかしてましたね(笑)。
田家:ほんとですか!「青春のバカヤロー!」みたいな(笑)。
大江:そうそう。それで「あースッキリした」ってなって、ガソリン入れて家帰って週刊プレイボーイの原稿を5時ぐらいにFAXで送って。で仮眠してFM東京に向かうみたいな。
田家:すごいなぁ。この「Happy Honeymoon」の歌詞にある「今は時間も金もないけど必ず」ってあるように時間が無かったんでしょうね。
大江:ある種、作るモチベーションというか何を作るかっていった時に、デビューアルバムの『WAKU WAKU』をもう1回作ろうとして。再生期間に入ってやんちゃな感じで作らないと守りに入っちゃうから。やぶれかぶれでもう再生装置の中に入って『WAKU WAKU』パート2みたいな感じで書きました(笑)。
田家:ワクワクからハッピーへということですね。次の曲は時間がちょっと遡るのですが、93年7月に発売になった曲「同級生」。
同級生 / 大江千里
田家:今日の6曲目、93年7月に発売になった「同級生」。これは10周年のシングルとして発売されて、両A面で「軍配はどっちにあがる」と一緒に発売されたと。
大江:ポップミュージックってやっぱ難しいんだなぁっていうのを今感じますね。この曲は精度もディテールも初期に比べて非常に磨きがかかっているんだけど、そういうことだけじゃない。ポップミュージックの残酷さだよなと。ポップミュージックって世界一複雑に入り込んでて、色んな音楽の要素が潰されて、その欠片がいっぱい合わさっている。そのキラキラっていう感じがポップだと思うんですけど作るのはやっぱ難しいですよね。
田家:「同級生」はいわゆる同級生ソングという意味では本当によく出来てる曲でしょう。
大江:俯瞰で話をすると、精度は10年色々やってきた人が書いてる感じはするんだけど。「好っきやねん!」っていうピタッとくる感じからすると若干斜がかかっているというか、作り込んでいるなって感じがあって。
田家:衝動的な何かみたいなものですかね。
大江:そうそう。「ああ! もう漏れるわ!!」みたいな(笑)。そういう「バコッ!」て入ってくるインパクトが少し足りないなって。好きですけどね。フォローするわけじゃないけどこの曲を書いた時のことも覚えてるし、大サビで広がっていくメロディとか、よくこんなアイデアがあったなって思うんだけど、「そういうこっちゃないねんで」っていうのもあって。やっぱポップミュージックっていうのはほんとに大変な音楽ですよね。さっきも旬って言ったけど、自分に光が当たっているのは分かるけど影の長さが見えないんですよね。影が長くなってるから「俺は旬じゃないんだ。今は夕方なんだ」ってことに気づいて、早く横に行かなきゃ駄目だよって。でも夜が暮れてもまだそこにいるみたいな、その感じがちょっと見え隠れしますね。
田家:なるほど。今月は千里さんに曲順を決めて頂いてお送りしてるわけですが、今の話をしたいがために、このDisc3の2曲目と1曲目が最後になってるんでしょうね。今日最後の曲はDisc 3の1曲目です。「同級生」の両A面シングル「軍配はどっちにあがる」。
軍配はどっちにあがる / 大江千里
田家:今日最後の曲、93年7月発売「軍配はどっちにあがる」。
大江:これを横浜スタジアムでオープニングで歌ったんですけど、当時の僕は常に切り開くって意識があったから、前に前に行くんだっていう。でもこの曲は少しフィードバックされて後ろに行くような感覚がある。流されてるうちにまた自分の番がやってくるみたいな。大きな会場だけに「軍配は♪」って部分がヒットしないというか。オープンなんだけど全部ダウンビードで。斉藤ノヴさんがモータウンビートで「タッ、ツタッ、ツタッ、ツタッ」ってリズムで全部盛り上げてくれてるんだけど、ワラビーみたいにはいかないっていうか。
田家:「軍配はどっちにあがる」の解説のところに「曲調はポップで明るい。ただ僕自身の抱える「行き場を失った感」が歌詞の行間に込められすぎていて、今聞くと怖いぐらいだ」とあるんですが、これはどういうことだろうと思ったんですよ。
大江:今音楽的な言い方をしましたけどこの「タッ、ツタッ、ツタッ、ツタッ」ってところに。何ていうのかな…繰り返しなんだけどずっとBメロは続いてCメロが来ない感じとか。ちょっとC疲れっていうか、 Cを取りすぎてちょっとビタミンC取りすぎたなっていう。ちょっとB、B、Bって来てる時代ですからね。
田家:なるほどね、行き場を失った感ってのがあったってことなんですかね。
大江:大きいとこをやってると、だんだん予算管理とか。そういうところまで気を回して。何とか別の角度から面白くできないかっていうような発想で前に行くんだけど、世界は色々と変わって今はコロナでじゃあもうなしにしようっていう発想もありじゃないですか、常に畑を耕して、芽を育てて水をやって。でもその水の輸送に時間がかかってて。そんな印象を受けますね。
田家:なるほどね。「軍配はどっちにあがる」っていうのは、まだ自分で軍配を上げきってないわけですし、世の中からもまだどっちだって言われてないみたいな。
大江:「はっけよい!」って言われるんだけど、どっちなんだろうっていうような感じがありますね、
田家:どっちなんだっていう答えを出したのが、来週ということですね。来週もよろしくお願いします。
FM COCOLO 「J-POP LEGEND FORUM」。デビュー40周年、大江千里さんの軌跡をたどる4週間。「今だから語りたいマイ・ソング」 と題してお送りしております。6月に出た初のシングルコレクション『Senri Oe Singles~Special Limited Edition~』。アルバム5枚組で、そのうちの4枚のオリジナルソングを Disc 1から順番にお送りしております。千里さんに7曲ずつ選んで頂いて語って頂いております。流れてるのはこの番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かなレジェンド」です。
こんなに色んなことをやってたんだなと改めて思わされた週でした。ドラマ、映画、司会、役者、タレント活動から、主題歌もテレビや映画、子供番組からバラエティーの曲まで書いていると。その中に色んな自分のリアルな心境みたいなものを忍び込ませている。曲調はそういうものには左右されないで、流行のものとか求められてるものとかメジャーなものを作りながら、そこに影を忍ばせている。ポップスの謎と言っていいと思うんですね。
千里さんが旬について話をしていました。旬というのは一番光に当たっていることではあるが、その横にはずっと影があって、その影に気がつかない、影を見ようとしない。でも実は旬の光より影の方が重く感じられる時が来る。この話には色んな意味がありますね。示唆に飛んでますね。ポップミュージックというのはどんなに完成度の高い曲を作っても、詩を書いても、それが必ずしもリスナーの心を掴むとは限らないと。「同級生」にまつわる話は本当に面白かったですね。千里さんが何と戦ってきたのかという軌跡が今週の話の中には色々とありました。「軍配はどっちにあがる」というのはそういう歌だったとは思いませんでした。本当にやりたいことは何だったのか、それが分かるのが来週ですね。

シングルコレクション『Senri Oe Singles~Special Limited Edition~』ジャケット写真
<INFORMATION>
田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
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月 21:00-22:00
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