【ライブレポート】(sic)boy | 絶望を晒して、それでも未来に生きる – FNMNL

まず、2022年12月29日にKT Zepp Yokohamaで開催された(sic)boyのライブレビューを書いている私自身は、彼をデビュー当時から追い続けている熱心なファンというわけではない。彼がサウンドクラウド出身のラッパーだということも最近になってようやく知ったくらいだ。では、何が引き金になったかというと、ずばり2021年にリリースされた”Last Dance”というシングルである。今回のライブではワンコーラスだけで次の曲に移ってしまい、だからこそ凄まじい余韻を残したこの曲の、「渋谷で酒飲みたい/だりいことはしたくない/明日はきっと動けない/それでいい/それがいい」というラインに強烈な同時代性を感じていた。別にキラキラしていなかった当たり前の日常になぜか郷愁を覚える……そんなコロナ禍特有の気分を、ここまで現実味がありながら詩的なフレーズで表現する人がいるのかと驚き、心を揺さぶられた。
たった一曲しか聴いていないその時点で私は、彼のことを「時代の代弁者」として信頼し始めた。自分の中ではある種のヒーローである。
無論、この曲以前にも以降にも、(sic)boyには長い名曲のリストが存在する。ライブ中も、わずか数年のキャリアの中でよくぞこれだけ多くのアンセムを生み出せたものだと感心しきりだった。そしてーーこれが一番強調したいことでもあるのだがーーこの日披露された新曲がどれもK点越えのすばらしい出来だった。オーディエンスも、突如その場で新曲が4つもドロップされた事実より、その想定外のクオリティに「やべえ!」と色めき立っているのがありありと伝わってきた。
そう、彼は完全に新たなステージへ足を踏み出している。具体的にいうなれば、(sic)boyにとって一番の特徴である「歌」に頼ることなく、フロウ自体からメロディを聴かせるような仕様になっていた。また、「クロムハーツもっとジャラジャラさせたい」というリリックにみられるように、これまであまり触れてこなかった資本主義的な欲望に対して、誰かに見せつける(フレックス)のとは違う方法でアプローチする姿勢も見せていたように感じた。意識的にJ-POP、J-ROCKの文法から多くを参照してきた(sic)boyは、いま改めてラップという形式に忠実になることで、逆にラッパーとして個性の輪郭を明確にしようとしているのかもしれない。
そもそも、彼のラッパーとしての立ち位置は最初からオルタナティブである。だからこそ、早い段階で地上波で紹介されるなど、より広いポップスとして受け入れられる余地があったのだろう。何より、この日会場に集まったオーディエンスの格好が彼の音楽が持つ器量(例えば彼にとってのエモにはスマパンも入るし、ビジュアル系ロックにはシャムシェイドも入る)を如実に示していた。
ボロボロのフーディにネクタイにカーゴショーツ。何本も紐が垂れたミリタリーパンツにBALENCIAGAの通称「タイヤ」スニーカー。カート・コバーン的モヘアニットにロングブーツ。UKゴス的なベロアのハットにボーダーニット。全身Rick Owensの黒づくめスタイル。My Chemical RomanceのTシャツ。毛先だけ黒く染めた金髪。耳付きのビーニー。そこで展開されていたのは、ラップのコンサート会場でよく目にするカギ括弧つきのストリートファッションではなく、多様なY2Kファッションだ。アイテムは古着が多く、逆にロゴもののハイファッションはあまり見かけない。色はもちろん黒が基調で、シルエットにこれといった統一感はない。その景色から、色んなコミュニティ、様々な街から(sic)boyを愛する人たちが集結してきたことがよく分かる。
(sic)boyのステージ自体も、ラッパー特有の激しいノリとは無縁だ。オーディエンスはどちらかというと大人しく、時々常連と思しきお客が本人のたどたどしいMC(彼自身も「MCだけは上達しないですねえ」と笑っていた)にツッコミを入れる場面こそあったが、全体の雰囲気は規律正しいロックフェスのそれに近い。拍子抜けするほど平和で、とっても居心地が良い空間。この日は赤いチェックのガウンコートをまとっていた(sic)boy本人も、春の風のように穏やかなキャラクターである。「おれについてこい!」というような強引さがないし、「あの時バカにしていた奴ら」を蔑むようなラップもしない。20代前半でここまでたどり着いたのだから、それこそフレックスしたって良さそうなものなのに、彼の言動は謙虚すぎるほど謙虚だ。
彼は無理やり中心に行こうとしない。むしろ中心から呼ばれている。その在り方にこそ、「今ってこういうことだよな」と新しい時代の息吹を感じる。
一方で、その物静かな佇まいから繰り出されるヴォーカルには、いやはや、度肝を抜かれた。とにかくスキルフルで、ライブでは音源の何倍も楽曲の良さが身体に染み込んでくる。MCからだけでもスペシャルな才能だと確信できる彼の声には、あらかじめメロディが内蔵されている、というと意味不明だろうか。いや、彼が声を発するだけで、本当にそこに次々と美しい旋律が現れるのだ。(sic)boyの楽曲ではヘヴィなサウンドの対比も相まって、甘美さがより際立つ。シャウトもお手の物だ。
この日のライブは、未発表の新曲”Dark Horse”でRIZE / The BONEZのJESSEが乱入した瞬間に最初の見せ場を迎えた。
そこからJUBEE、Hideyoshi、Only Uとゲストが登場するたびに会場の熱気がグングン増していくわけだが、特に昨年2曲を共作したJUBEEとの相性は惚れ惚れとするほど。両者は、片やラルクを筆頭とするビジュアル系と現行のエモ、片やDragon AshやTHE MAD CAPSULE MARKETSなどのミクスチャーという、年代こそ共通しているもののトライブもテイストも異なる音楽的ルーツを持つ。そしてこのマッチングは、「過去がもっとも輝かしい未来のように見える」2020年代だからこそ成立する。だって、陽のミクスチャと陰のビジュアル系/エモがラップの上で邂逅するなんて、いったい誰が予想しただろうか。ステージ上での2人の掛け合いも爽やかで心に残るものだった。
「今年、(sic)boyにはずいぶん良い景色を見せてもらったから、来年はおれも恩返ししたいんだ」
「今年は2曲作ったから、来年は3曲作ろう」
「おお、やる?(笑)いいね」
“social phobia”からは、ギタリストを加えた弾き語りスタイルに移行。Travis Barkerばりの破壊的なドラミングで幕を開ける”Creepy Nightmare”からはTOTALFATのドラマーBuntaも加わり、そこからはしばらく3人のバンドセットが続く。ここも個人的にはもう一つのハイライトだった。はい、”Creepy Nightmare”、改めて超のつく名曲です。Machine Gun Kellyやnothing, nowhere.のような存在はなぜか日本では火がつかないが、かわりに(sic)boyがそういう音楽をやってくれているのだ。この場でもエモのムーブメントは着実に、正しく伝搬していた。「不完全な未来で/擦り切れて/壊れて」無論、これはけっしてただの悲観主義ではない。
言葉は空虚なことを知っているからこそ、不確かな希望でむりくり団結するのではなく、絶望を共有することから再び始めたいだけ……
さて、最後は再び1MC+1DJ編成のスタイルへ戻る。そこから特筆すべき演出はなかったが、”Last Dance”、”Heaven’s Drive”、”Hype’s”、”Afraid??”など相変わらず楽曲の強度が半端ないので、観客の集中は途切れない。フィニッシュは”Akuma Emoji”。文句なし。今の時点では最良のセットリストだろう。JACKSON kakiによるVJも、「おどろおどろしく、刹那的」な(sic)boy特有の世界観を見事に変換していたように思う。中でも、オリジナルのFPSゾンビゲームはとことん不気味で最高だった。
今年はいよいよ(sic)boyとしてメジャーファーストが待ち構えているというが、この日のライブはまさしく、ここから5年以内に彼がSEKAI NO OWARIやUVERworldのような大メジャーと比肩しうる存在になることを予感させる内容だった。そして序盤で書いたように、ポップな存在感を増していく一方で、作家としてはむしろラッパーとしての側面が強調されていくのではと、私は予想している。そういえば、彼はステージ上でメジャー移籍を発表した後、ぽろっと「メジャーに行ってもやることは変わらないと思うんですけど」と漏らしていた。それでも、アイシャドウがよく似合うシャイボーイにはつい大きな夢を託してしまう。絶望を晒して、それでも未来に生きようとする人はやっぱり信じられる。(文・長畑宏明(STUDY)

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