元シルヴァーチェアーのダニエル・ジョンズ、豪州の国民的スターが語る「進化と挑戦」 – マイナビニュース

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7年ぶりのソロアルバム『FutureNever』を発表。ダニエル・ジョンズが過去と現在、そして向かうべき未来を語る。ローリングストーン誌オーストラリア版のカバーストーリーを完全翻訳。
「僕はオーストラリアじゃそれなりに有名だから、ある程度の反響は期待してたよ」。ダニエル・ジョンズはいたずらっぽい笑顔を浮かべてそう言った。「でも実際、これほどだとは思わなかった」
2021年が終盤に差しかかった頃、Spotifyオリジナルのポッドキャスト『Who is Daniel Johns?』が公開された。司会のKaitlyn Sawreyが、普段メディアの前で多くを語らない彼の人物像を明らかにしていく同シリーズは、彼のことをもっと知りたいと願うファンの間で大きな反響を呼んだ。
ジョンズの関わったあらゆるプロジェクトが成功を収めているが、ジョー・ローガン等を抑えてオーストラリアで最も人気のあるポッドキャストとなり、豪州屈指の国民的スターの知られざる素顔を明らかにする同番組に世界中のリスナーが夢中になった。しかし、彼が同ポッドキャストで過去や現在について語れば語るほど、ファンはある疑問を抱えることになる。それは彼がこれからどこへ向かうのかということだ。

ダニエル・ジョンズ、2022年2月12日ニューカッスルにて撮影(Photo by Sam Wong and Long Story Short for Rolling Stone Australia/NZ)
やや肌寒いある日、ダニエル・ジョンズはニューカッスルの海岸沿いにある自宅に筆者を招き入れてくれた。かつて彼はその家について、『ブギーナイツ』に出てくる「70年代のポルノの城」と語っている。窓の向こうは一面の海であり、遠方で暴風雨を伴う雲が発達しているのがわかる。あらゆるアーティストが夢見るその空間に馴染んだ裸足姿の彼は、フレンドリーなハグで筆者を歓迎してくれた。
ギター、ビンテージのシンセ、古いドラムキットの他、一方の壁際には無数の楽器が置いてある。リノベーションを経た壁のあちこちには、ロックダウンの間に描くようになったという絵画が飾られている。ドアのすぐ側には、チャートを制した2002年作『Diorama』の曲を生んだヤマハのグランドピアノがある。
ジョンズを取材するにあたって、筆者は緊張を隠せなかった。シルヴァーチェアー、ザ・ディソーシエイティブズ、DREAMSを含む各プロジェクトの作品とソロ作の合計売上枚数は1000万枚を超え、ARIAアワード(21回)とARPAアワード(6回)の史上最多受賞者であり、同年にグラミー賞とエミー賞の両方を受賞した唯一のオーストラリア人アーティストである現在42歳の彼は、既に80歳であってもおかしくないほどの輝かしいキャリアの持ち主だ。彼が取材嫌いであり、スポットライトを浴びること自体が苦手だということは広く知られているが、飼い犬のGiaがくつろぐリビングで行われた取材が進むにつれて、互いの緊張は徐々にほぐれていった。筆者の前にいるのは音楽業界のアイコンではなく、創作への欲求に駆られる生身の人間だった。
「ステージで演奏することを目的としてレコードを作る人もいる。それはごく自然なことだけど、僕はそうじゃない」。そう話すジョンズは袖のない黒のトップスを着ており、彼のトレードマークというべき腕のタトゥーが露わになっている。「僕が曲を書くのは、頭の中にあるおぼろげな何かを形にしたいからだ。曲作りを止めることはないだろうね、自分を完全に納得させることは永遠にできないだろうから」
ポッドキャスト『Who is Daniel Johns?』は、2021年10月に配信が始まった。その時点で2015年発表のソロデビュー作『Talk』から6年、そして古くからの友人でありコラボレーターのルーク・スティールとのプロジェクトDREAMSのアルバム『No One Defeats Us』のリリースから3年が経過していた。
「あのポッドキャストは、僕がレコード会社の人間に言ったことがきっかけだったと思う。ライブをやらなくても、オーディエンスとつながる方法はあるはずだって言ったんだ」と彼は話す。「僕はステージに立つのが本当に嫌だから」
配信が開始された直後から、同ポッドキャストは圧倒的な反響を呼んだ。彼は番組内で、シルヴァーチェアーのフロントマンとして脚光を浴びた10代の頃のこと、拒食症や反応性関節炎を患ったこと、シルヴァーチェアーの再結成が絶対にあり得ないこと、そして彼がおそらくもう二度とステージに立たないであろうことなどを明かした。
「自分のファンベースがまだ存在してるってことが信じられなかった。ファンベースっていう言葉は好きじゃないから、他の表現で代用できたらいいんだけど」と彼は話す。「この世界で30年近く生きてきた甲斐があったと思う。自分が価値のあるものを残してきたんだって実感できるから」
セラピーの代わりみたいなものだというポッドキャストには反響を期待していなかったが、長いあいだ憶測ばかりが飛び交う中で真実を知りたがっていたリスナーの期待に応えられたことを、彼は嬉しく思っているという。2019年に「シドニーにある悪名高い売春宿で豪遊」という見出しで彼の写真を掲載したNews Corpを名誉毀損で訴えた時のことも、ファンが知りたかったことの1つだったはずだ(同社は最終的に、ジョンズに対し6ケタ豪ドルの慰謝料を支払った)。
ジョンズは頻繁に向けられる質問の数々に自身の言葉で答えるとともに、そのポッドキャストが問題を抱えているリスナーの支えになっていることに喜びを感じているという。
「なかなか口にできない悩みを抱えている人がたくさんいるんだ。病気を患っていたり、ものすごく繊細だったり、ただ悲しくなったり、そういうのは少しも恥ずかしいことじゃない」。そう話したかと思うと、彼は無邪気そうな笑顔を浮かべてこう言った。「ハッピーでいることを恥ずかしく思う人なんていないだろうう? ゴス系の人たち以外はね」
しかし、同ポッドキャストの最大の功績は、それが彼の過去と未来をつなぐ架け橋としての役割を果たしたことだ。それは彼自身が抱えていた精神面における課題を解決し、前に進むために不可欠なステップだった。
3つのアルバムを融合させた『FutureNever』
昨年12月、彼は2枚目のソロアルバム『FutureNever』が完成したことを発表した。その一部はポッドキャスト内で公開されていたが、その全体像が明らかになったのは、彼がファンに送ったパーソナルな手紙の内容が公開された時だった。
「FutureNeverっていうのは、君の過去と現在、そして未来が重なり合う場所のことだ」。その手紙にはそう綴られていた。「FutureNeverでは、過去の経験の量子が常識を超越した力へと変化する」
「ともすれば姿をくらましがちだけど、僕は帰ってきた」。その手紙はこう締めくくられている。「共に行こう、FutureNeverへ」
先行シングルを伴わない本作は、「一切の制約を無視して、自分にとって本当にリアルなもの」を生み出したいという欲求から生まれた。その一方で彼は、「統合失調症のような」本作が一部のリスナーを困惑させることを覚悟している。
「メディアからは『一貫性がない』ってこき下ろされるだろうね」。そう話す彼は、なんでもないことのように過去の批判に言及した。「でも、僕は一貫した人間じゃないから」
「このレコードに戸惑う人もいるだろうね、僕の過去の作品とはまるで違うから。このアルバムは、僕が冬眠してると思われていた間に作っていた曲のコレクションなんだ」
(アーティストはみな最新作を最高傑作だと主張することを認めつつ)ジョンズが最高傑作だと断言する 『FutureNever』の制作過程は、一般的なアプローチとは大きく異なっていた。ジョンズによると、本作はコンセプトが全く異なる3つのアルバムを融合させたものだという。
常に何かを作っている彼は(無数のデモが至るところに転がっているはずだという)、発表される予定のないその3枚のアルバムについて、過去数年の間にコンセプトが自然に形成されていったと話す。1つはエレクトロニックなパンクを基調とした「モダンなパンクアルバム」、2枚目は説明不要な「オペラのアルバム」、そして3枚目は2015年作『Talk』で追求したフューチャリスティックなR&Bサウンドに通じる「今っぽいエレクトロニカのアルバム」だ。
「別々のレコードだと思ってたし、どういう形で発表すべきなのか決めかねてた」と彼は話す。「デモは他にも数えきれないほどあったしね」
「それでレーベルに、正直に打ち明けたんだ。『また消化できないくらいの量を一度に作ってしまって、どう扱えばいいかわからない』ってね。それぞれ異なるプロジェクトのつもりだったし、いつものように曲を書いてた結果生まれてきた曲群をどうすべきかを理解するには長い時間が必要だった。蓋を開けてみれば、それは全部同じレコードのセッションだったんだよ」
当初、彼は3枚のアルバムをそれぞれ別名義でリリースすることを考えたが(「最悪のアイデアだって言われたよ」)、やがて自分が8年間で同じレコードを3つの異なるアプローチで作ったのだと気がついた。

興味深いのは、本作のボーダーレスなスタイルが彼の共感覚(ある刺激が別の種類の刺激を引き起こすこと)に影響したという点だ。ある曲を聴くと特定の色を思い浮かべるアーティストは多いが、彼は本作からギャング映画のカオスなムードや1940年代のイメージを思い浮かべるという。
「クレイジーなくらい多くのジャンルが混在してるけど、アルバムとしてまとまっていると思う」。そう話す彼は、そういった特徴のある有名なレコードをいくつか例に挙げる。「ビーチ・ボーイズの『Smile』は知ってる? アウトキャストのアルバムを1枚でも聴いたことは? 僕の好きなレコードに共通する点は、どれもカオスだっていうこと」
「オールドスクールなプリンス風のファンクだったり、オペラっぽい歌い方だったり、『トロン』のサウンドトラックに入ってそうな曲だったりと、クールなら何でもありっていう考えだったし、歌詞の面でも辻褄が合ってた。どの曲も絵画というよりもコラージュのような感じ。小さなパーツを組み合わせたり重ねたりすることで、立体感を生み出そうとしたんだ」
シルヴァーチェアー時代に爆発した才能
彼のことをよく知る人々は、彼がそういったレコードを作ったことに驚きはしないだろう。常に先見の明を示してきた彼は、20代に入ったばかりの頃にその多才ぶりを明確に示し始めた。シルヴァーチェアーが1995年にリリースしたデビュー作『Frogstomp』はストレートなグランジのレコードだったが、1997年作『Freak Show』では彼のユニークなテイストをより前面に押し出していた。1999年発表の『Neon Ballroom』は、「優れたリズムセクションを伴う事実上のソロ作」を予見させるレコードだった。
シルヴァーチェアーが『Neon Ballroom』以降にリリースしたアルバムは全てバンドの最後の作品になるはずだったというが、同作を完成させてからというもの、ジョンズは他のメンバーから怒りをぶつけられるようになったという。「このバンドは3人によるもので、独善的になるべきじゃない。そんな風に言われてた」。ジョンズが自身のビジョンを追求しようとする中で、メンバーのベン・ギリーズとクリス・ヨアンノーはバンドミーティングの場で、自分たちの存在を無視するなと彼に警告した。
「はっきり言ったよ。『納得できないかもしれないけど、僕は今後1人でレコードを作るつもりだし、君らはただのリズムセクションっていう位置づけになる。それが不満なら、僕は別のプレーヤーを探す』」と彼は話す。「そうならないことを望んでた。2人とも優れたミュージシャンだったし、僕らはみんな幼馴染みだったから」
『Freak Show』よりもずっと壮大なビジョンが示された『Neon Ballroom』のようなレコードを作ることは、ジョンズにとっては覚悟のいることだった。高校生だった頃、彼はいじめの標的にされることを恐れて、そういった野心をひた隠していたからだ。
「高校生活はトラウマ的体験だった」と彼は話す。「何のビジョンも持ち合わせていなかったわけじゃないけど、次に何をすべきかは決めかねてた。何かで突出した結果を出せば、多分いじめられるだろうから。僕らは十分に成功してたけど、もっと大きな野心は隠してた。目をつけられるのが嫌だったから」
「高校を卒業してすぐ、僕はある一軒家に引っ越した。そこで『Neon Ballroom』を作り始めたんだ。ようやく何の制限もなく創作できるようになったんだよ」
当時に思いを馳せているのか、彼は少しのあいだ押し黙っていた。彼が目に溜まった涙を拭った時、部屋の空気が変わったように感じた。
2002年、シルヴァーチェアーはバンド史上最も壮大なレコードと言われる『Diorama』を発表した。作曲家ヴァン・ダイク・パークスとコラボレートし、バロックポップのカラーをより強く押し出した同作では、バンドの代名詞であるグランジのサウンドにとどまらず、オーケストラを従えたパワーバラードにまで挑戦していた。批評家たちの反応こそ鈍かったものの、同作はARIAアワードでノミネートされた7部門のうち5部門を受賞した。当時ジョンズは反応性関節炎を患っていたが、同アワードで披露した「The Greatest View」はバンド史上屈指のパフォーマンスとして記憶されている。
ピーター・ガブリエル、キング・クリムゾン、トゥール、ミューズ等との仕事で知られ、グラミー受賞歴もあるプロデューサーのデヴィッド・ボットリルは、『Diorama』をジョンズと共同プロデュースした時のことをこう振り返る。
「彼は類まれな音楽的才能の持ち主だと思う。恵まれすぎてると言ってもいいくらいにね」とボットリルは話す。「彼はきっと、商業的成功を求められることに葛藤していると思う。作曲家としてもアーティストとしても、彼は独自の存在だから」
5分半の間にゴージャスなオーケストラのアレンジと複雑なコード進行、そしてオペラを思わせる迫力に満ちたヴォーカルを盛り込んだ「Tuna in The Brine」は同作のハイライトの1つであると同時に、ジョンズの類まれな才能を体現しているとボットリルは話す。
「彼はピアノを弾いたことがなかったけど、練習を重ねて『Tuna in The Brine』を書き上げた。あれほど複雑な曲はそうお目にかかれないよ。彼にしか書けない曲だと思う。子供の頃にギターを手にとって、CやDやGの曲を書く人は星の数ほどいるけど、『Tuna』のような曲を作る人はいない」
ボットリルは、ジョンズとシルヴァーチェアーのメンバーと一緒に『Diorama』を制作した時に、大衆の理解力不足がジョンズのユニークな才能と想像力の足枷になっていると感じたという。
「特別で個性的でエモーショナル、そういう曲を作りたいという野心が、私をダニエルと巡り合わせてくれたんだと思う。そして時々、他に言い方が思い浮かばないけど、世間の理解が及ばないようなものを生み出してしまうんだ」
彼は同作を「大衆が理解できるよう分かりやすくする」ことができなかった責任は自分にもあると認めながらも、ロック史に名を残す名曲の多くが伝統的なフォーマットからは逸脱していながらも、時を超えて多くの人々に愛され続けていると主張する。
「(クイーンの)『Bohemian Rhapsody』はその最たる例だ」と彼は語る。「あれがポップスの一般的なフォーマットに沿ってないことは誰にだって分かる。それでいてとてつもない成功を収めて、今じゃクラシックロックやポップ史上屈指の名曲として認知されてる」
「あの頃の大衆は、ポップやロックにおける実験を歓迎したんだ。私自身、新しいというよりも、忘れ去られつつある何かを現代に蘇らせるということにすごく興味があった」
多作なソングライターでこれまでにグラミー賞を3度受賞しており、No.1ヒットを多数出しているポップ/ロックアクト、ワンリパブリックのライアン・テダーは、シルヴァーチェアーとジョンズの熱心なファンとして知られている。ジョンズよりも2カ月だけ若いテダーにとって、彼はオーストラリア出身のアーティストが夢見るキャリアを地で行く存在だという。
「(シルヴァーチェアーは)すべてのティーンエイジャーにとってスーパーヒーローのような存在だった。僕が15歳だった頃、レコード契約を交わすなんて夢のまた夢だったし、まともな曲を書けるやつなんて周りに1人もいなかった」と彼は話す。
「僕が曲を書き始めたのは15歳の時だった。多分、僕はオクラホマいちのシルヴェーチェアーのファンだったはずだよ。バンドが解散するまで、僕は彼らの動向をずっとチェックしてた」
テダーが指摘するように、シルヴァーチェアーとワンリパブリックのキャリアが重なった期間はごくわずかだ。『Young Modern』のリリースから数カ月後に、ワンリパブリックはデビューアルバム『Dreaming Out Loud』を発表している。にも関わらず、テダーは『Young Modern』とリードシングルの「Straight Lines」がワンリパブリックの方向性に大きく影響したと語る。
「2007年か2008年だったと思うけど、僕らがアメリカでプロモーション活動をしてた時に、彼らは(『Straight Lines』の)宣伝をしていた。僕はラジオの番組プログラマーに会うたびに、『シルヴァーチェアーのシングルをかけるべきだ』って言ってた」と彼は話す。「『Straight Lines』は最高だ、絶対チェックすべきだってね」
「僕らはみんなあのレコードに夢中だった。実際、ワンリパブリックで何度かコピーをやろうとしたこともあった」
シルヴァーチェアーの新作に対する米国での反響は鈍かったが、テダーはジョンズのミュージシャンとしての才能と、オーディエンスを満足させるために同じことを繰り返したりしないという姿勢が、彼が真のアーティストであることを証明していると主張する。テダーはアメリカのリスナーを「世界一移り気なオーディエンス」としていたが、ジョンズがメジャーレーベルから押し付けられたシナリオを拒否し、自身のクリエイティビティに忠実であろうとすることは、アーティストとしての彼の価値観をはっきりと示している。
「(ザ・ディソーシエイティブズとヤング・モダンを)並行してやってるあたりに、彼の多才ぶりと奥深さを感じる。もはやクレイジーだよ」とテダーは話す。「かと思えば、ソロ作ではR&Bやアーバン系をやってる。彼はきっと、その気になればどんな音楽でも作れるんだろうね」
「基準になるものがない状態って、すごく難しいんだ。ジャンルやスタイルに縛られない、ボーダーレスなものを生み出す才能を持っている場合は特にね。不思議に思うかもしれないけど、器用であるがゆえに悲劇を招くことってあるんだよ。いつも決まったやり方で歌うシンガーや、特定の楽器に特化したプレーヤー、1つのジャンルにしか興味のないソングライター、僕はそういう人たちのことを羨ましく思う。それって、実は歓迎すべきことなんだよ。ダニエルのようにあらゆることが選択肢になるアーティストは、その並外れたクリエイティビティに振り回されてしまうから」
未来へと向かおうとする意思
『Diorama』の発表後も、ジョンズは壮大なビジョンと探究心を度々表現している。2004年には古くからの友人であるポール・マックとのコラボレーションによるプロジェクト、ザ・ディソーシエイティブズとして『The Dissociatives』を発表し、2007年にはシルバーチェアーの最後のアルバムとなった『Young Modern』をリリースしている(バンドは2011年に解散)。2015年にはソロ作『Talk』を発表し、2018年にはルーク・スティールとのプロジェクトであるDREAMSのデビューアルバムがリリースされた。2人は同年にコーチェラに出演を果たし、音源を一切発表することなく同フェスに出演した史上初のアーティストとなった。
「あのレコードは気に入ってるよ」。ジョンズはDREAMSのデビュー作についてそう話す。「今までの僕のキャリアにおいて、セールス面では最も冴えなかったけど、最も誇りに思っているアルバムだ。自分の作品には全部思い入れがあるけど、あのレコードは他のどの作品よりも多くの努力とビジョンを必要としたし、かつてないほどのリスクを負ったから。とても誇りに思ってる」
対照的に、ソロデビュー作『Talk』はリリースと同時に圧倒的な反響を呼んだ。ジョンズによる久々の作品となった同作は、過去に発表した全てのレコードと同様に、進化を続ける彼の新たなビジョンを示していた。だが最も重要なのは、同作が彼のそれまでのキャリアを総括するような内容だったことだ。
「何もかもを白紙に戻して、一からやり直したかった」。リリース当時、ジョンズはtriple jのRichard Kingsmillにそう語っている。だが彼は、そのコンセプトが『FutureNever』ではさらに明確になっていると主張する。
「『Talk』で僕は再スタートを切り、新たな道を歩み始めた」と彼は話す。「そう意識していたからこそ、ロックンロール的なサウンドを避けていたんだ」
「『FutureNever』が前作と大きく異なるのは、僕が過去と現在を受け入れた上で、未来へと向かおうとしているところだ。『Talk』では未来を目指して躍起になるあまり、過去を飛び越えてしまおうとしていた」
最短距離で未来を目指そうとしたことは理解できる。無数のファンがソロ作よりもシルヴァーチェアー(ジョンズはバンドの最後の3作をソロアルバム同然だとしている)の再結成を望んでいる状況であれば、新たな道を切り拓くためにひたすら前に進もうとするのも無理はない。
「『Talk』はシルヴァーチェアーに執着する人々に抵抗する気持ちから生まれたレコードだった。シルヴァーチェアーの音楽は常に変化し続けてたのにね」と彼は話す。「当時の僕は、自分がシルヴァーチェアーというブランドから逃れられないんじゃないかっていう不安を抱えてた。それに対して、『FutureNever』にはより多様な感情が反映されたレコードだ」
「過去から目を背けることはしたくなかった。『FutureNever』はすべてを内包しているんだよ」と彼は続ける。「『Talk』が過去の自分と決別するためのレコードだったのに対して、今作は自分をありのまま受け入れるためのものなんだ」
事実、『FutureNever』はダニエル・ジョンズのファンがこれまでに聞いたどの作品とも異なるレコードだ。昔のシルヴァーチェアーのサウンドを求める人には歓迎されないかもしれないが、アーティストとしてのジョンズの真価を知りたいというファンにとっては、これ以上ない作品だと言えるだろう。
異なる3つのレコードのベストトラックを組み合わせるという非一般的な構成の本作には、商業的成功よりも自身の作家性を重んじる彼のアーティストとしての姿勢がはっきりと現れている。
「(ロックダウンが実施されていた2020年に)ここで制作を始めたんだけど、『このレコードは大衆受けを狙ったものじゃなく、僕の創作に対する本能から生まれたものになる』って敢えて宣言したんだ」と彼は話す。「ここにある楽器や機材を使って、作りたいものをただ作るつもりだったし、発表する予定もなかった。でも結局は『これが1stシングルだ』っていう方向に話が進んでしまう」
レコード契約を交わしている以上、何もかもがビジネスと結び付けられてしまうことに苛立ちを覚えたジョンズは、現実逃避の手段として高校を卒業して以来初めてペイントブラシを手に取った(彼の作品を購入したいという声が増えていることは皮肉だが)。パンデミックの中で多くのアーティストが置かれている状況を考えれば、ジョンズは恵まれた立場にある。彼はそのことに感謝しつつも、経済的成功が創作の目的だったことは一度もなく、「一文なしのままでも構わなかった」と語っている。
「僕がそういうのをまるで気にかけていないってことを、世間は知らないんだろうね」と彼は話す。「だからこそ、『FutureNever』は僕にとってすごく重要なんだ。このレコードをとても誇りに思っているから、みんなに聴いて欲しい。本当にそれだけなんだよ」
その理由は明白だ。サウンドこそ多様だが、すべての曲にはジョンズの個性がはっきりと現れている。「Mansions」のようなサイケデリックなポップから、オペラの影響が色濃く現れている「Reclaim Your Heart」(ファンにとっては新鮮に響くはずだ)、ジョンズ史上最もストレートなポップと言うべき「I Feel Electric」まで、本作は過去の作風が自然な進化を遂げたような内容となっている。その「Electric」には類まれな才能の持ち主であるシンガーMoxie Raiaが参加しているが、彼はまだ彼女のことをよく知らないという。
「直に会ったことはないんだ」と彼は話す。「曲は既にできてて、プロデューサーと一緒にファンクっぽいデモを作ってた時に、彼がそれを彼女に送ったんだ。その時点では彼女の名前さえ知らなかったけど、素晴らしい声の持ち主で、只者じゃないと思った」
「すごく魅力的だったから、僕は敢えて彼女のことを知らないままでいようとしているんだ。素晴らしい歌声の持ち主である謎の女性シンガー、そのミステリアスな感じがいいと思うから」
その後やり取りを交わすようになったという彼女の他にも、本作には多くのゲストが参加している。ホワッツ・ソー・ノット、ヴァン・ダイク・パークス、テーム・インパラのケヴィン・パーカーの他、ある曲にはスマッシング・パンプキンズのビリー・コーガンとジミー・チェンバレンの両方が参加している。
一方で、本作にはジョンズの過去との接点を強く意識させる曲も収録されている。purplegirlをゲストに迎えた「FreakNever」は、1997年にヒットしたシングル「Freak」を子供のような視点とモダンな手法で生まれ変わらせたものであり、「Those Thieving Birds Part 3」は2007年作『Young Modern』で始まった三部作の最後を飾る曲だ。本作のハイライトの1つである「Cocaine Killer」は、大ヒットするかもしれないと感じた曲をボツにした数時間後に、ジョンズがPeking Dukと共同で書き上げたという。
「あの曲は随分前に、ここでPeking Dukと一緒に書いたんだ」と彼は話す。「2017年か2018年、あるいはもっと前かもしれない。パーティーにもってこいの曲をたくさん書いてた彼らがあの曲のビートを聞かせてくれた時に『これで何か作ろうよ』って僕が提案したんだ」
「皮肉なことに、前日の夜にPeking Dukの曲として大ヒットしそうな曲ができたんだけど、僕は全然ピンと来なくて。『Cocaine Killer』は3時間くらいで書き上げたけど、アレンジとかにすごく時間がかかったんだ」
『FutureNever』がさまざまな機会を生み出すであろうことは間違いないが、これらの曲を生で聴ける機会はなさそうだ。ジョンズはもうライブをすることに興味がないという。
「95%くらいの確率で、僕はもうライブをしない」と彼は話す。「絶対にやらないと断言はしないよ。その選択肢を永遠に排除したくはないんだ、自分を牢に閉じ込めてしまうみたいだから。でも僕がライブをやることにものすごく消極的だってことは事実だよ」
「17歳の頃くらいから、ライブが楽しめなくなったんだ。(1997年に)13歳かそこらでライブをやり始めた時はすごく楽しかった。とにかく演奏したかったから、かなり頻繁にやってた。でも2ndアルバムを出した頃くらいから、ステージに立つのが嫌になったんだ。たとえば、ヴァン・ダイク・パークスからアメリカの歴史的名曲30曲をアデレード・フェスティバルでプレイするから歌ってくれって頼まれたら、きっと引き受けると思う。ヴァン・ダイク・パークスならいいか、ってさ。でも僕は、そういう肩書きを必要としてるわけじゃない」
ポッドキャスト『Who is Daniel Johns?』で、ジョンズはライブをしないのはメンタルヘルスのケアのためだとしている。あがり症の彼は人前でパフォーマンスすることで、普段から抱えがちな不安が増大するという。あがり症は珍しくなく、2016年に行われた調査では、アーティストの75%がライブに起因する不安を抱えていると回答している。しかしジョンズのそれは深刻で、彼が求めるレベルで演奏することを不可能にしてしまうという。
また彼は、実験精神が旺盛なアーティストにとっては、ライブという体験が音源のように満足のいくものにならない場合が多いと語っている。
先に述べたヴァン・ダイク・パークスのショーへのゲスト出演のほか、『Talk』のリリースに伴って行われたオペラハウスでの2公演、DREAMSとして出演したコーチェラ、親友のホワッツ・ソー・ノットと共に「Freak」を披露した2019年のSplendour in The Grassフェスティバルなど、ジョンズは過去数年間で何度かステージに立っている。友人のサポートが目的である場合、彼は今後もステージに立つつもりだという。ライブをやらない確率が99.9%に達さない限りの話だが。
「ライブをやったりツアーに出たり、僕はそういう活動に興味がないんだ」と彼は話す。「僕は何か新しいものを生み出すことに情熱を傾けるアーティストでありたい」
「ステージで演奏すること自体は構わないんだ。問題なのは、そこに至るまでの過程なんだよ。それが僕の心を乱して、すごく不安になってしまう。アデレード・フェスティバルでのヴァン・ダイク・パークスのショーは3カ月前に出演が決まったんだけど、その時点ではずっと先のことに思えた。でもその日の夜から、僕は眠れなくなってしまった。3カ月間そのことばかり考えて、気が狂ってしまいそうだった」
ニューカッスルの自宅で彼と向き合っていると、全てが腑に落ちた気がした。ジョンズは過去から逃げることや抗うことをやめ、今の自分を受け入れた上でFutureNeverを見つめている。ダニエル・ジョンズの目には今、どのような未来が映っているのだろうか。
「いい質問だ」。そう言ってから、彼は右手にあるステレオセットと無造作に並べられた機材に目を向けて、しばらくの間押し黙った。「自由こそ未来だ。僕はそう考えてる」
From Rolling Stone AU.

ダニエル・ジョンズ
『FutureNever』
発売中
配信リンク:https://danieljohnshq.lnk.to/pspa
本記事は「Rolling Stone Japan」から提供を受けております。著作権は提供各社に帰属します。
※本記事は掲載時点の情報であり、最新のものとは異なる場合があります。予めご了承ください。

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