折坂悠太の歌の現在 J-POPと「生活の歌」を共存させる戦いを経て – CINRA.NET(シンラドットネット)

今、折坂悠太は何を思い、何を見つめ、歌っているのだろうか。
月9ドラマ『監察医 朝顔』主題歌を含むミニアルバム『朝顔』を聴いて、「この国に、この時代に、折坂悠太という音楽家がいて本当によかった」と思った。その感情そのものは、『平成』(2018年)を初めて聴いたときの興奮と基本的には同質のものだと認識している。折坂悠太はJ-POPを自らの歌の中でフォークやブルースなどと同じように扱って共存させ、新しい日本のポピュラー音楽をその身体で体現しようとしているのではないか。つまり『朝顔』を聴いてそんなことを考えたのだった。
唱歌や浪曲といった日本の歌・大衆芸能を吸収し、ジャズやボサノヴァといった古今東西のポピュラー音楽のエッセンスやビートミュージックの感覚と結びつけた傑作から約2年半……そんな前のめりな考えを胸に編集部は、国内外の地域文化と大衆音楽を追うライターの大石始とともに取材を実施。しかし我々の思いとは裏腹に、取材中、折坂自身はどこか戸惑っている様子も垣間見せる。“朝顔”という歌で折坂悠太のリスナー層は広がったわけではあるが、その戸惑いはそういったことを理由に生じたものではない。それはむしろもっと根深く、J-POPという現代の日本におけるポピュラー音楽の姿形が激しく変化しつつある状況に起因しているようだった。しかしかといって、その状況を悲観しているわけでもなかったということもここでは強調しておきたい。
このインタビューは“朝顔”の制作背景から始まり、『平成』以降として、そして2020年代初としてのフルアルバムへの展望で締めくくられる。ここから折坂悠太がどんな道を歩むことになるのか、まだまだわからない。だがその道の先で、現在抱える戸惑いも喰らい尽くして新しい「歌」を形作ってくれるのではないか。そんな予感も感じた取材だった。
―今まで“朝顔”について話をしっかりお聞きするタイミングがなかったので、今回は聞きたいことがたくさんあるんですよ。まず、制作自体はどのように進めていったんでしょうか。ドラマの制作サイドから具体的な指示があった?
折坂:最初はまったくなかったですね。とりあえず現在の曲調に近いものと明るい曲調のものという2パターン作って、プロデューサーさんと監督の前で弾き語りして聴いてもらいました。その段階では脚本があったのかな。原作は読んでいたけれど、ドラマの細かい展開まではわからない状態で曲を書いたんです。
―今回の場合、曲を書く前からドラマの主題歌になることが決まっていて、しかも世間的な注目を集めるであろうことが最初の段階からある程度約束されていたわけですよね。曲作りの段階でそのことは意識していました?
折坂:結果的にそうなったかどうかは別として、J-POPの世界に打って出るものだとは考えていました。最初作った2パターンのうち、明るい曲調のほうはわりと今までの自分のイメージで作ったんですけど、採用されたバラードに近いパターンではAメロ~Bメロ~サビという基本的な「型」のことを意識していた記憶があります。
―J-POPのスタンダードな楽曲構成を意識していた、と。
折坂:はい。あと僕自身、J-POPってピアノ中心のイメージが強くて、それはドラマの制作チームの中にもあったんです。なので、最初の段階はギターを軸に作っていたんですけど、結果的にピアノとストリングスのアレンジに寄っていったところはあると思います。
―J-POP的な「型」を回避しながら日本語のポップスを作るという方向性もあったと思うんですよ。でも、“朝顔”で折坂さんは、むしろJ-POP的な方法論も取り入れようとしていたわけですよね。
折坂:そうですね。身の回りの音楽をやっている人たちの顔を思い浮かべると、その中ではわりとなんでもありと思っているほうかも。こういう仕事をもらったからには、必要とされている要素や文脈を踏まえつつ、いかに胸を張って「これは自分の作品です」と言えるものにしていくか。その点はすごく考えたし、“朝顔”という仕事のうえですごく重要なテーマだったんですよ。
―2021年3月号の『ミュージック・マガジン』に掲載された取材記事(インタビュアーは小山守)では、「弦楽で質感を作ることが“朝顔”のテーマのひとつだった」という趣旨の話をされていますよね。なおかつ「裏テーマ的に、Jポップって絶対っていっていいくらいストリングスが入ってるじゃないですか。Jポップだったらストリングスを入れないと!って思って(笑)」(「折坂悠太インタヴュー~『平成』から約2年半ぶりのミニ・アルバム」より)とも話している。
折坂:はい。
―ストリングスに関して言えば、2018年のアルバム『平成』でも使われているわけですけど、“朝顔”でそのテーマを改めて設定したのはどのような理由からだったのでしょうか。
折坂:やはりそれも、今の日本の歌謡曲やポップスには必ずといっていいほどストリングスが入っているイメージがあったんです。だから今回もストリングスはマストみたいな感覚があった。
そこに強い味方として『平成』にも参加してくれた(ストリングスアレンジ担当の)波多野敦子さんがいました。以前、波多野さんには「ストリングスをこういうふうに入れてほしいんです」と、ジュディ・シルの“Lopin’ Along Thru The Cosmos”を聴いてもらったことがあって。やっぱり今までの自分の音楽もちゃんと加味した質感にしたかったんですよ。ただ、何か定石に当てはめたものにはしたくなかった。

―「弦楽で質感を作る」というのは重要なポイントだと思うんですよ。折坂さんの今までの作品って、2016年のアルバム『たむけ』であればピアノの音がアルバム全体のトーンを作っていたりと、特定の楽器の音色や響きが作品自体のカラーを決定していましたよね。
折坂:そうですね。
―今回はストリングスがその役割を果たしている。なおかつ音楽においては音のテクスチャーがある種の時代性を作り出しているところもあると思うんです。“朝顔”もストリングスのテクスチャーが「2020年代の音」を作り出していると思うんですよ。
折坂:その楽器の持つ意味や記号性で音楽を構成していくやり方もありますよね。少し牧歌的にしようと思ったら、管楽器や鍵盤ハーモニカの懐かしい響きを入れるように。そうした楽器の持つ記号性よりも、質感や響きで曲を作っていきたいという考えはあったんだろうなと思います。“朝顔”でその発想がうまく実を結んだのかどうかちょっとわからないんですけど、(今回のアルバムに収められた)“鶫(つぐみ)”ではより自分の理想に近い形でできたと思っていて。
―そこでいう「理想」とはどのようなものだったんですか?
折坂:“朝顔”のときはわりと音数が多かったんですよね。“鶫”のレコーディングではThe Beatlesの『Let It Be… Naked』(2003年)をリファレンスにしていて、エンジニアの中村(公輔)さんに聴いてもらったんですよ。
『Let It Be… Naked』はプロデューサーのフィル・スペクターがいろいろ音を付け足す前のシンプルなアレンジを再現した作品で、そもそもストリングスが入ってないんですけど、音作りの参考になるんじゃないかと思って。
折坂:あと、ジョン・レノンが“Imagine”をバンド編成でやったテレビの映像があって、中村さんにはそれも見てもらいましたね。ストリングスによって壮大さをプラスする感じではなくて、ひとつのバンドの一員として波多野さんのストリングスを迎え入れた感覚で音作りしました。
―“鶫”は今までの折坂さんの楽曲のなかでもシンプルで親しみやすいメロディーの曲で、その意味では「J-POP的」ともいえると思うんですよ。それと同時に、折坂さん自身の持っている土着性というか、都市のフォークロア的な部分もやはり滲んでいると思うんですね。その両面が共存している。
折坂:ちょうど僕もそのことを考えていました。弾き語りでライブ活動をやっていたころの僕は、大雑把にいうとフォークシンガーに分類されていたと思うんですね。すごく言い方が乱暴かもしれませんが、自分自身はそれをコスプレでやっているような感覚があった。フォーク的な「型」の中に入っていって、そのなかで何をやるか。そういう考え方が少しあった気がするんですよ。
『たむけ』を作っているときには、「自分がフォーク的な型を踏襲したらどんなものを作り出せるか」という発想もあって、その点については、のろしレコードの影響が大きいと思う。“朝顔”についても発想的にはあまり変わらなくて。もしも自分がドラマの主題歌を作るとしたら? あるいは自分が歌モノのポップスみたいなものを作るとしたら、どんなやり方でやるか? そういう発想から入っていったところはあると思うんですよね。

―それはおもしろい話ですね。J-POPという型に自分をはめていったような感覚?
折坂:自分がはまりにいくというよりは、自分にはめてく感覚に近いのかも。
―自分の側に引き寄せていくような?
折坂:そうですね。「自分の世界に取り入れる」という表現が近いのかな。ある型に自らはまりにいける人って、すでに表現が完成している人だと思うんです。たとえば、山下達郎さんは強烈な個性が確立されているので、そこからどんな型にはまっていくこともできる。
僕の場合、そうしたやり方を器用にこなすほどの技術がないので、ある型を自分の側に引き寄せるしかない。昔からライブを観た人に「そのギターの演奏、絶対独学でしょ」って言われるんですけど、そういうことなんだと思う。譜面を見て音楽をやる人間ではないので、何かのスタイルをやろうとしても一度肉体的に落とし込む作業が必要になってくるんですよね。
―お話を聞いていて思ったんですが、折坂さん自身、J-POPという型についても具体的なイメージがないですよね? 「J-POPってこんな感じかな?」という感覚でやっているというか。「架空のJ-POP」といってもいいかもしれないけど。
折坂:まさにそうです。僕はおそらく「この人みたいなことをやりたい」というような、目指しているものがないんですよ。それはフォークや民謡でも同じだと思う。
―だからこそ、一度その「型」を身体に入れるというプロセスが必要になってくるわけですね。多くの聴き手が折坂さんの歌を聴いて民族音楽的なニュアンスや土着的な要素を嗅ぎ取っているわけですが、折坂さんの歌が持つ響きのなかに、折坂さんの身体性が、ひょっとしたら本人も無意識のうちに滲み出ちゃっているということなのかもしれない。
折坂:いつそれがバレるか、実はすごくヒヤヒヤしているんですよ。
―バレる?
折坂:自分が何に長けているのかあえて考えるとしたら、たぶんその勘だけなんですよ。自分が身体で表現したときに、それが嘘にならないようにする勘。今回のアルバムに入っている(沖縄民謡のカバー)“安里屋ユンタ”の反応を見ていると、「あ、沖縄の人なんだ」っていう人もいたし、「やっぱり土着的なところと繋がってる人なんだな」ってコメントも見たんですけど、すごく後ろめたくて。
―そこに後ろめたさを感じるのが折坂さんの誠実なところだと思いますよ。
折坂:この曲をやるまで僕は“安里屋ユンタ”のことを全然知らなかったし、沖縄に行ったこともなかったんですよ。“安里屋ユンタ”の精神に相反しない形でそれを自分なりのものとして体現していく、そこへの想像力みたいなものだけでやっている感じがしていて。それは自分の強みといえば強みなのかなと思っていて。
―以前、CINRA.NETでインタビューした際、ルーツのなさや文化的な拠り所のなさという話をしていましたが(関連記事:折坂悠太という異能の歌い人、終わりゆく平成へのたむけを歌う)、この“安里屋ユンタ”は、ルーツの欠如を穴埋めするものではないですよね。では、折坂さんはなぜこの歌を選んだのでしょう?
折坂:今回のアルバムのひとつの目的として、ドラマを通して僕のことを知ってくれた人に、自分がどういう人でどういう音楽をやっているのか知ってもらいたいという考えがあったんですよ。“朝顔”という曲はJ-POP的なものを自分の中に当てはめて作ったわけですけど、“安里屋ユンタ”は同じように民謡的なものを自分の中にインプットして歌ったものだったんです。
“安里屋ユンタ”と”朝顔”を並べることによって、歌が持つ意味みたいなものを飛び越えたいという気持ちもありました。だから、何に歌を結実させたいかと言えば、「大衆音楽」ということになるのかな。それが理想なんでしょうね、たぶん。すべてがチャンプルーしているものというか。

―J-POPってあくまでも国内のマーケットだけを想定して作られた音楽であって、ガラパゴス的に進化してきたという側面もありますよね。そうしたJ-POPのガラパゴス性について折坂さんはどう考えていますか?
折坂:ついこの間、テレビの音楽番組を見ていたら、ちょっとあてられてしまって。J-POPがより細分化しているというのは以前から感じていたんですけど、自分はその中でどう立ち回ればいいのか……別に立ち回る必要はないと思うんですが、ちょっと愕然としてしまって。別にひどいとかそういうわけではなくて、何かすごいことになってるなと。
―他のアジア諸国のヒット曲を聴いていると、K-POPの世界的ブレイク以降はサウンドプロダクション的にもグローバルスタンダードがはっきりと存在していることがわかるし、そのなかには世界的なトレンドも反映されているんですよね。でも、日本の音楽番組を見ていると、そうしたトレンドとまったく関係のないところで作られているものも多い。
折坂:そうですね、そう感じます。
―その意味でいえば、すごくドメスティックな作りなんだけど、かえって独自性が強いともいえるわけで。折坂さんのなかには、そのようにガラパゴス的に発展した世界に飛び込んでいく戸惑いみたいなものもあるんでしょうか。
折坂:日本の歌謡曲ももうちょっと昔は――それこそ筒美京平さんたちが活躍していた1970年代とかは――「洋楽」を意識して作られていたじゃないですか。そのころは日本もある程度、音楽的に同じ方向をみんなが向いていたと思うんですね。僕も昔、その時代に帰るようなイメージがあったんです。昔の『紅白』みたいな国民的な舞台に立って、大衆音楽ができたらおもしろいんじゃないかって。そういう理想がどこかにあったんだけど、今それが打ち壊されている。
―世代を超えた日本人がひとつの歌を愛する時代には戻れないというような?
折坂:そうですね。そこには戻れないし、戻ったらおもしろくないんだろうなとも思っています。
編集部:グローバルスタンダードといえるようなサウンドを横目に、閉じてしまっている日本の音楽に対する危機感というか、「これは何とかしなきゃ」という思いもこれまでにはあったんでしょうか? 使命感とまでは言わないまでも。
折坂:そういう感覚はあったかも。ただ、日本の音楽を取り巻く現状に対して、別に悲観するものじゃないのかなとも思っていて。自分は自分のかっこいいと思うことをやっていればいいと思うし――そこには真摯である必要はあると思うんですけど――「これは違う」と思っている自分の感覚がどれだけ正しいのか。「こうじゃないんだよ」って思った瞬間に、自分もそうじゃない人になっているというか(笑)、最近はそう思っていますね。
―今回のアルバムの資料の中に、“朝顔”に対する折坂さんのコメントが載っていますよね。「“朝顔”の中で繰り返される“願う”という言葉は、私が歌うことの本質です」と。このコメントを解説していただけますか。
折坂:僕の場合、音楽活動を始めたのが(折坂が通っていた)フリースクールだったという点が大きいのかなと思っていて。フリースクールには音楽が好きな人なんてそんなにいなかったし、自分がやっていることをわかって聴いてくれている人もあまりいなかった。僕自身、集団のひとりに過ぎなくて、僕にとって「歌う」ということは、ステージの上から何かを語りかけるということではなかったんですね。「普段一緒にいる折坂くんが今日は歌っている」ということがおもしろくてやっていたんだろうなと思っていて。
折坂:(“朝顔”の中で繰り返される)「願う」という言葉はすごく大きなものだし、その言葉を歌うことが自分の音楽にとっていいことなのか迷いもあったんです。ただ、最近はフリースクールで歌っていたものと現在歌っているものって、それほど違わないんじゃないかとも思っているんですね。
人と人の細かい隔たりみたいなものは一回置いておいて、今の私とあなたの状況を肯定するような、「とりいそぎあなたの幸せを願っています」というスタンス。それは実は今も昔もそんなに変わらなかった。“朝顔”という曲には、そうした視点がわかりやすい形で出ていると思うんですよ。
―その表現方法が以前だったら少し複雑だったのが、よりシンプルな表現になってきているということなんですかね。
折坂:自分でシンプルにしようと思ったというよりも、そうせざるを得なかったということなんでしょうね。“朝顔”以前の自分の歌は、音楽のディテールによって歌うことの本質をある意味隠していたというか、別の形で言い換えていたと思うんです。今回の曲では極限までシンプルに、だけど自分の感覚にちゃんと沿った言葉を歌おうと考えていたんですよ。
―そのなかで出てきたのが「ここに願う」という言葉だったと。このシンプルなサビに辿り着くまでが大変だったわけですね。
折坂:そうですね、むちゃくちゃ難易度が高かったんです。今までだったら「ちょっとこれは出し過ぎだ」って思って恥ずかしくて却下していたような、エモーショナルな部分を出さざるを得なくなった。それが思い返せば自分の、人前で表現することの主軸みたいなものに近かったという。
編集部:J-POPの歌詞って基本的には共感がベースになっていると思うんです。録音物として流通している以上、聴き手の存在を前提としている音楽なわけで、その歌詞を聴いたり、読んだりした人がどう感じるのか、ある程度想定されて書かれている。『ポピュラー音楽の世紀』(1999年、岩波新書刊)という本の中で中村とうようさんは、世界各地に存在するポピュラー音楽を「商品として市場に流通し、大衆に受け入れられることで成立する音楽」というように定義していて、J-POPもまた商品として、聴かれるために合理化された音楽という一面があると思うんですね。お伺いしたいのは、“朝顔”を書くうえで、折坂さんは聴き手の共感を前提としたJ-POPのあり方とどう折り合いをつけたのかということで。
折坂:苦しみながらデモを作っていたとき、「こっちのほうが共感を呼ぶんじゃないか」という考えで歌詞を書いたこともあったんです。でもそういうものはやっぱり相手にも響かないんですよね。僕も商品になる音楽を作っている自覚はありますけど、“朝顔”にしても“鶫”にしても、結構戦いだった気はします。当然、自分の中で譲れない部分もあるわけで。言葉さえも商品として作ってしまったら最後。そんな気はしています。
―“朝顔”は2019年に書いたわけですが、それ以降、折坂さんの活動は次のフェーズに入っている感じがするんですよね。コロナ禍で活動がままならなくなっちゃったけど、京都在住のミュージシャンと重奏編成のライブを活発化させているのもそのひとつだし、定期的にやっているインスタライブも新しい展開ですよね。
折坂:正直に言えば、インスタライブを始めたのは、アルバムのリリースタイミングで動いている感じを出したいという考えもあったんですよ。あと、みんなもうちょっと「固まっていないもの」が見たいんじゃないかなという気もしていて。バキバキに構成されたものじゃなくて、もうちょっと生きてる様みたいなものが見えるものというか。
折坂:それに人となかなか会えなくなったことが大きいと思うんですが、「人の声を聞きたい」という欲求も高まっている気がする。昔はSNSの反応に懐疑的だったんですけど、インスタライブを通じて自分が提供しているものって、思っていたよりもみんなが聴きたかったものなのかもしれないなと思うようになりました。やっぱり人の声だな、という。
―YouTubeのチャンネル『THE FIRST TAKE』で“朝顔”のライブパフォーマンスが公開されていますが、冒頭ではルーパーを使って声をループさせていますよね。“朝顔”で作ったものを一度解体し、再構築のプロセスに入っていると感じたんですよ。弦楽で質感を作ることが“朝顔”の当初のテーマだったとすれば、次の折坂さんは声で何かやろうとしているのかな、と。
折坂:ルーパーを最近使っているのは……確かに弦楽でやっていることとも近いのかもしれません。テクスチャーによって一度何かを分解して、ふたたび作り直すという感覚。あと、自分の持っている一番いい楽器って声だと思うんです。その楽器から出た響きを重ねていったときに、違う世界が開けたという感覚があった。ルーパーはまだ全然使いこなせてないんですけどね。
―ライブではちょこちょこ新曲をやり始めてますよね。歌というよりも話し言葉に近い“心”を聴いたときはびっくりしたんですよ。ちょっと得体の知れない歌の世界が広がっていて、明らかに今までの歌とは違う。折坂さんは今、どんな歌のかたちを目指しているんでしょうか。
折坂:“心”に関していえば、おそらく重奏のメンバーからの影響も強いと思います。あの人たちが京都で取り組んでいる即興演奏のニュアンスであるとか、ひとつの歌の中に相反するものがバラバラと入っている。次のアルバムも、そうしたイメージの先におもしろいものができればと思っています。
あと、さっきのインスタライブの話と同様に、パッケージングする創作物においても、少しはみ出てるものであるとか、固まりきっていない感覚が必要になっていると思うんですよ。たとえば「ここの音、ちょっと大きすぎるけど、おもしろいからこのままにしよう」というような感覚。僕は今までそういうことに対してすごく臆病なところがあったんですけど、今はあえて取り組んでいこうと思ってるんですよ。
2021年3月10日(水)発売
価格:3,850円(税込)
ORSK-013
[CD] 1. 朝顔
2. 針の穴
3. 安里屋ユンタ
4. のこされた者のワルツ
5. 鶫
[DVD] 1. みーちゃん
2. 悪魔
3. 坂道
4. 朝顔
5. 心
6. トーチ
7. 炎
8. 春
9. 芍薬
2021年3月10日(水)発売
価格:1,650円(税込)
ORSK-014
1. 朝顔
2. 針の穴
3. 安里屋ユンタ
4. のこされた者のワルツ
5. 鶫
2021年5月30日(日)
会場:大阪府 BIG CAT
2021年6月4日(金)
会場:東京都 新木場 USEN STUDIO COAST
料金:各公演4,800円(ドリンク別)

平成元年、鳥取県生まれのシンガーソングライター。幼少期をロシアやイランで過ごし、帰国後は千葉県に移る。2013年よりギター弾き語りでライブ活動を開始。2018年10月にリリースした2ndアルバム『平成』がCDショップ大賞を受賞するなど各所で高い評価を得る。2021年3月10日、フジテレビ系月曜9時枠ドラマ「監察医 朝顔」主題歌を含むミニアルバム『朝顔』をリリースした。
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