メガデス(Megadeth)のベスト20曲:ヘヴィ・メタル界で最も革新的かつ重要なバンドの歴史 – https://www.udiscovermusic.com/

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ヘヴィ・メタル界で最も革新的かつ重要なバンドのひとつとみなされているメガデスは、過去30年の大半を、卓越した技術を持つスピード・メタルの創造に費やしてきた。それによって彼らは、数多のバンドを凌ぐ、ジャンルの先駆者として高い評価を得ている。この4人組の創始者が、もとはスラッシュ・メタルの生みの親として知られるメタリカの重要なメンバーであったということも評価に加わるだろう。そんな彼らの代表曲20曲をその経歴とともにご紹介しよう。
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メタリカの初期に在籍していたデイヴ・ムステインがバンドを脱退した後、この桁外れの才能に恵まれたギタリストは、作曲のアプローチを変え、新バンドのメガデスで、さらにハードで速く、さらに過剰にテクニカルな楽曲を築き始めた。(ムステインによると、バンド名は権力の消滅を表している。また、Megadeath–100万人の死者を意味する単位で、核戦争が引き起こしうる死者の数を予測するために使われた–のスペルミスでもある)
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80年代のグラム/ヘア・メタル・シーンの中でユニークな存在だったムステインは、ハイスピードのジャズ・フュージョンにダイナミックなサウンドと感染性のあるコーラスを混ぜた音楽を作り上げた。メガデスの楽曲に見られるテクニックは、彼の過去のバンドの攻撃的なサウンドとは異なる種類の獣だった。そこには無法な可能性と、抑制された凶暴性が明らかに現れていた。
スレイヤーのケリー・キングを始め、リズム・ギターが何度も入れ替わっていた初期のメガデスのメンバーだったが、とうとうスタジオ入りをはたし、インディ・レーベルのコンバットより発表されることになる初のスタジオ・アルバムのレコーディングに取りかかった。ベーシストのデイヴ・エレフソン、リード・ギタリストのクリス・ポーランド、ドラマーのガル・サミュエルソンと共に制作した1985年のデビュー・アルバム『Killing Is my Business,And Business Is Good!』は、異なる音楽スタイルを融合したことも功を奏し、たちまちアンダーグラウンドのヒット作となった。
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この作品は、徹頭徹尾スラッシュ・メタル・アルバムでありながら、新しい音楽を提示していた。エレフソンとムステインのケミストリーと彼らのスラッシュ・メタル愛が、サミュエルソンとポーランドのジャズの影響と合わさった結果、スラッシュの新種が誕生したのである。それは、アンチ・オカルトの「Looking Down The Glass」とムステインによる「Mechanix」(メタリカの『Kill Em All』に、「The Four Horsemen」として収録されている楽曲の別ヴァージョン)の超高速ヴァージョンに見られるような、珍しいコードのコンビネーションと、異例の音の推移を詰め込んだ新しいスラッシュ・メタルであった。
『Killing Is My Business,And Business Is Good!』の成功により、彼らはメジャー・レーベルのキャピトル・レコーズと契約し、おそらく最高傑作と呼べるセカンド・アルバム『Peace Sells… But Who’s Buying?』を発表した。1986年のこのアルバムのリリースによって、メガデスはメタル界で最も熱い新バンドのひとつとして評価されることとなった。しかしながら、メンバー間の問題が浮上し始め、『Peace Sells… But Who’s Buying?』のレコーディング・セッションは、過去にないレベルの緊張で張りつめたものとなった。おそらくそれが一因で、このアルバムは、「Wake Up Dead」「The Conjuring」、そしてタイムレスな名曲「Peace Sells」など、80年代のスラッシュ・シーンにおいて最も強力な楽曲の数々を有する作品となった。
だが、メンバー間の関係は緊張で張りつめたままだった。3作目の『So Far, So Good… So What!』のレコーディングを開始する前に、ポーランドとサミュエルソンは解雇され、オリジナル・メンバーはムステインとベーシストのデイヴ・エレフソンだけになった。今や伝説的な話だが、彼らは元スレイヤーのドラマー、デイヴ・ロンバードに加入を迫ったが、断られたという。そして新たにドラマーのチャック・ビーラーと、ギタリストのジェフ・ヤングが加入し、メガデスにとって重要なサード・アルバムを完成させる布陣が整った。
1988年1月に発表された『So Far, So Good… So What!』は、スラッシュの定式に明らかなパンクのアプローチを加えて、毒々しく猛り狂うギターを噴出させた。「Set The World On Fire」「Liar」などの楽曲はうなる怒りや炸裂するリフを盛り込んでいたが、その中でもエモーショナルな「My Darkest Hour」が、アルバムにおいて注目すべき曲だ。ムステインはこの曲で、メタリカ在籍時のバンド仲間であるベーシストのクリフ・バートンの突然の死がもたらした精神状態と向き合った。
メンバー間の確執が最高潮に達したことにより、『So Far, So Good… So What!』のメンバー編成は短命に終わった。ヤングとビーラーが解雇され、彼らの最も成功を収める作品のひとつとなるアルバムの誕生に向けて、新しいラインナップが編成された。
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1990年の9月に発表された『Rust In Piece』で、ギタリストのマーティ・フリードマンとドラマーのニック・メンザ(2016年5月21日に心臓発作が原因で他界。享年51歳)が加入し、メガデスに新レベルの強烈さと音楽的才能を持ち込んだ。『Rust In Piece』は、「Holy Wars」「The Punishment Due」「Hanger 18」といった攻撃的で複雑なギター・リフと、アリーナ会場向けのアンセムを詰め込んだ9曲で、他の追随を許さない作品として作り上げられた。この時期にクリーンになったムステインは完全に自制がとれていて、それまで夢でしかなかったレベルの成功を経験していた。そしてそれまでのキャリアの中で初めて、固定メンバーで連続してアルバムを発表していくことになる。
一連のメガデスの作品の中で、おそらく最も聞きやすく、最もタイトかつ直球のアルバムのひとつ『Countdown To Extinction』 は、通常より遅めのペースの方向性を取った。「Skin」「My Teeth」「Symphony Of Destruction」、そして「Foreclosure Of A Dream」といった曲の数々によって、メガデスは世界中のトップチャートに進出し、1993年のグラミー賞で“最優秀メタル・パフォーマンス”部門にノミネートされた。
その成功は1995年にまで引き継がれ、6枚目のスタジオ・アルバム『Youthanasia』は、全米アルバム・チャートで4位を獲得。死、戦争、近親相姦といったテーマにフォーカスしたこの作品には、「Train Of Consequences」や、恐ろしいまでにポップな「A Tout le Monde」といった名曲が収録されている。3枚のアルバムを完成させたムステイン、エレフソン、フリードマン、メンザのラインナップは、世界ツアーに乗り出し、南米を始め、アメリカのヘヴィ・メタル・バンドの大半が訪れたことのないような国々を回った。
よりミドルテンポのハード・ロックという方向性に進んだ1997年の『Cryptic Writings』は、彼らのスラッシュというルーツから、ほぼ完全な飛躍を遂げたアルバムだ。「Trust」の成功がその典型だが、このアルバムは見事なセールスを達成したばかりか、高い評価を得た。
そして、比較的長く続いたバンド編成でレコーディングした最後の作品となった。ジミー・デグラッソがメンザの後任になった後、1999年に発表された7枚目のアルバム『Risk』は、「Crush ‘Em」に見られるようにエレクトロニック・ダンス・ミュージックの影響を取り入れたため、大きな論議を醸し出した。それにも関わらず、全米ではゴールド・ディスクを達成。しかし再びメンバー・チェンジをひきおこし、フリードマンの代わりにアル・ピトレリが新ギタリストとして加入した。
そしてメガデスは2001年の5月、よりヘヴィなサウンドに回帰したアルバム『The World Needs a Hero』でカムバックした。完全なスラッシュとは言えないが、このアルバムは「Return To Hanger」に代表されるように、激しさとヘヴィさを内包していた。
そのままキャリアを進み続けるかに思えたが、2002年誰もが予測しなかった突然の解散が発表された。ムステインが腕の神経を酷くわずらい、演奏が不可能になったためだった。2度とギターを弾けることがないとも言われたムステインだったが理学療法によって奇跡的に回復し、2004年に『The System Has Failed』にてシーンに復帰した。元はムステインのソロ・アルバムの予定だったがレーベルの意向によりメガデス名義にて発売された。
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そして2007年に、ムステインはベーシストのジェイムズ・ロメンゾとギタリストのクリス・ブロデリック、ドラマーのショーン・ドローヴァーを迎えた新編成で完全に復帰を果たした。11枚目アルバムの『United Abominations』は、スラッシュ(「Washington is Next!」)とメインストリーム・ロック(「À Tout le Monde (Set Me Free)」)の狭間を無理なく行き来して好評を博した。
2009年、彼らは『Rust In Peace』以降、最もヘヴィなアルバムを発表した。『Endgame』は慣れ親しんだムステインの攻撃的かつ凶暴なリフ(「44 Minutes」)を炸裂させ、それに続く2011年のアルバム『Th1rt3en』の足掛かりを築いた。このアルバムでは、同じく獰猛なリフ(「Public Enemy No.1」)が炸裂している。
オリジナル・ベーシストのデイヴ・エレフソンの復帰後、2013年に発表された『Super Collider』は、熱狂的ファンが熱望していたアルバムであったが、同時に複雑な感情をファンにもたらした。「Kingmaker」のように突出した曲も入っていたが、アルバムの出来に関して失望した人は少なくなかった。そして、ドローヴァーとブロデリックがたて続けにバンドを脱退した。
Dystopia Cover
2016年、1月発表の『Dystopia』で、メガデスはスラッシュ・ルーツにもう一度立ち返った。新メンバーとなったアングラのギタリスト、キコ・ルーレイロとラム・オブ・ゴッドのドラマー、クリス・アドラーの妙技が加わって、ムステインとエレフソンのケミストリーは過去最高に増強された(「The Threat Is Real」は数多くあるこのアルバムのハイライトの一つ)。全体的に言えば、『Dystopia』は、現在のデイヴ・ムステインの意思と決意の輝かしい一例である。30年以上に渡って生き抜いてきたモンスター・バンド、メガデスは、革新と際限なき音楽の才能の上に築かれた遺産を守りながら、前進し続けている。
Written by Oran O’Beirne

 
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