時を超えて繰り返しカバーされヒットする名曲というのがある。そのひとつが、ビートルズの弟分ともいわれたロック・バンド、バッド・フィンガーの「ウィズアウト・ユー」だろう。オリジナルはシングルカットもされずにアルバムの一曲としてひっそりと収まっていたが、その2年後と24年後にカバー・ナンバーが大ヒットするのだ。
「ウィズアウト・ユー」はバッド・フィンガーのピート・ハムとトム・エバンズの共作である。ビートルズのレコード会社アップルに所属し、ポール・マッカートニーらにサポートされたことから、注目された。前身のアイヴィーズからバッド・フィンガーに生まれ変わって2作目の『ノー・ダイス』(1970)に、この曲は収録されていた。
この隠れた名曲が広く認知されるのは’72年にニルソンがカバーしたことによる。このカバーは英米でチャートの首位を獲得する大ヒットとなった。ウェブサイト「ソングファクツ」によると、ニルソンがオリジナルを初めて耳にしたのは、カリフォルニアのローレル・キャニオンで’71年に開かれたパーティの席上であったという。最初ニルソンはこれを「ジョン・レノンのメロディ」だと信じて、ビートルズの曲だと思っていたのだという。
ニルソンとビートルズとの関係では、まずニルソンはジョンの知己を得た。ニルソンの実質的なデビュー・アルバム『パンディモニアム・シャドウ・ショウ』(’67)にビートルズのカバーが含まれていた。これを聴いたジョンが彼を「私のお気に入りのアメリカン・シンガー」と呼ぶようになった(フレッド・ブロンソン著「ビルボード・ナンバー1ヒット」音楽之友社)。二人は友情を深めていった。ジョンは’74年のニルソンのアルバム『プッシー・キャッツ』をプロデュースすることになる。またリンゴ・スターとも懇意になり、ニルソン、ジョン、リンゴらは’70年代半ばに西海岸で飲み歩いていたことが有名だ。
ニルソンのカバーによる「ウィズアウト・ユー」がヒットしてから20年以上もの月日が流れた’93年、この名曲は再び蘇る。「7オクターブの音域を持つ歌姫」とのキャッチコピーで’90年にデビューしてから飛ぶ鳥も落とす勢いであったマライア・キャリーが、’93年の第三弾アルバム『ミュージック・ボックス』でカバーしたからである。
「私は小さい頃からこの歌が大好きだったの。私はよくこの歌を聞いては泣いたことを覚えているわ。いつもなんて美しい曲だろうと思っていた」とマライア(「ソングファクツ」)。「私がその曲を再び耳にしたのはレストランで食事をしている時だった。素晴らしい曲だわ。長いこと聞いてなかったと思うと同時に、カバーしたいと思ったの」と振り返った。
マライアのカバーはシングルカットされて、英国でヒットチャートの1位を獲得、米国ではチャートの3位まで昇るヒットとなった。欧州全域で広く受け入れられて、スイス、オランダ、オーストリア、スウェーデン、アイルランド、イタリアでも1位を記録した。
ニルソンのカバーがオーケストラを効かせたバージョンであったのに対して、マライアのカバーは重厚なコーラスがダイナミックさを加えている。
文・桑原亘之介
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