【洋楽を抱きしめて】米国の国民的歌手ケニー・ロジャースの最大ヒット「レイディ」 – オーヴォ

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『ケニー・ロジャース/グレーテスト・ヒッツ』 (輸入盤)
『ケニー・ロジャース/グレーテスト・ヒッツ』
(輸入盤)

 アメリカでは知らない人はいないだろうとも言われる国民的歌手、ケニー・ロジャースが2020年3月20日、亡くなった。享年81才。髭をはやした好々爺(こうこうや)といった風体のケニーだったが、カントリーミュージックの世界では20曲以上の曲をチャートの首位に送り込んだ文字通りの大御所だった。
 そんなケニーの60年以上にも及ぶキャリアで最大のヒット曲が1980年の「レイディ」だ。米ビルボード誌で、ポップチャート、カントリーチャート、アダルトコンテンポラリーチャートで1位を記録するクロスオーバー的大成功となったのだ。
 「レイディ」の作詞作曲は、コモドアーズを率いていたライオネル・リッチーだ。カントリー音楽の聖地ナッシュビルから足を踏み出そうと考えていたケニーがコモドアーズの「永遠の人に捧げる歌」(Three times a lady)にひかれたのだ。この歌の作者こそ探し求めていた人だとして、ケニーはライオネルにコンタクトをとろうとする。
 間に入ったのは、ケニーがテニス仲間を介して知り合って一緒にプレーもしていた仲のベリー・ゴーディ・ジュニアだった。モータウン・レコードなどの創業者として知られるベリーにケニーはライオネルを紹介してほしいと頼んだという。
 CD『Kenny Rogers 21 number ones』のライナーノーツによると、ケニーがラスベガスのリビエラ・ホテルに居たところ、ライオネルがやってきて、「ケニーあなたにぴったりだと思う歌を書いたんだ」と言って「レイディ」を歌い始めたのだという。
 1950年代にデビューしたケニー。50年代末には「ザット・クレイジー・フィーリング」という作品でソロ・アーチストとして初めて(キャッシュ・ボックスの)チャートに登場した。’67年にはファースト・エディションというグループを結成し、’75年まで続く。
 ’76年にユナイテッド・アーティスツと契約したケニーは、プロデューサーのラリー・バトラーの助けを得て、翌年に「ルシール」をリリース。これがビルボード誌のカントリーチャートの首位を獲得する。以後、「愚かな二人(Every time two fools collide)」、「ザ・ギャンブラー」、「シー・ビリーブス・イン。ミー」、「愛のメッセージ(You decorated my life)」、「弱虫トミー(Coward of the county)」といったヒット曲を連発した。
 「レイディ」以降も順風満帆だったケニー。「明日への扉 アーバン・カウボーイ~愛のテーマ(Love the world away)」、シーナ・イーストンとのデュエット「愛・ひととき(We’ve got tonight)」、ドリー・パートンとの共演でビージーズ3兄弟作詞作曲の「アイランド・イン・ザ・ストリーム」、「バイ・ミー・ア・ローズ」などをチャートに送り込んだ。
 「レイディ」などを収録した『ケニー・ロジャース グレーテスト・ヒッツ』(’80)は1000万枚以上の売り上げを記録している。
文・桑原亘之介
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