世界的ダンスアーティスト「ケント・モリ」 宇和島で熱く舞う|WEB ニュース特集 愛媛インサイト – nhk.or.jp

POP

2022年8月3日

真夏の熱気か、人々の情熱か。年に一度のダンスイベントで宇和島が熱く揺れた。
世界的ダンスアーティストのケント・モリさんがゲストとしてパフォーマンスを披露したのだ。
私は、彼のダンスをこの目で、この地で目撃した。その夜、胸が高鳴りこれまでにない興奮を味わったのは私1人ではなかったはずだ。
(NHK松山放送局 宇和島支局 山下文子)
ガイヤカーニバルでのパフォーマンス ※長尺版の動画は記事後半に
ケント・モリさん
「宇和島はね、熱い。あったかい。最幸!最も幸せ、サイコウ。この熱気がすべてじゃないですか」
3年ぶりに開催された「うわじま牛鬼まつり」。
初日の7月22日、ダンスイベント「ガイヤカーニバル」のメインステージにケント・モリさんが現れ、伊勢神宮にも踊りを奉納したという自身の楽曲『LIFE』を披露した。
その動きの一つ一つに魂が宿りエネルギーがほとばしる。
誰もが息をのみ、目を見張った。辺りがむんと熱を帯び、真夏の夜に独特の空間が生み出されたようだった。
ケント・モリさん
愛知県出身のケントさん(37歳)は世界が認めたダンスアーティストだ。
21歳で単身渡米し、マドンナやクリス・ブラウン、アッシャーなど名だたるアーティストの専属ダンサーを務めてきた。
中でも彼のルーツであり、最も敬愛しているのが「キング・オブ・ポップ」ことマイケル・ジャクソンだ。
マドンナの専属ダンサーに抜擢された2009年、ケントさんはマイケル・ジャクソンの「THIS IS IT」のオーディションを受け、日本人としてただ1人合格した。
夢だったマイケルとの共演を果たせるチャンスを手にしたものの、マドンナとの契約期間中と重なったことから辞退せざるをえなかった。

そして、その年の6月25日、マイケル・ジャクソンが急死した。
マイケル・ジャクソンさん
世界中に深い喪失感を与えたマイケル・ジャクソンの死。
ツアー中だったマドンナはケントさんにマイケルを追悼するダンスをリクエストした。
彼はその思いに応え、マイケルと見まごうほどの完璧なパフォーマンスをステージで披露し、一躍注目を浴びた。
その映像は、後日、日本のテレビ番組でも放映され、宇和島で見ていた私はイスから転げ落ちた。
「マイケル・ジャクソンそのものだ!!すごい日本人がいる!!」
「ケント・モリ」の名前は私の心に深く刻まれた。

ケントさんが宇和島にやってきたのは、ある男性の思いが通じたからだ。
「ガイヤカーニバル」を運営しているメンバーの1人が、某テレビ番組でケントさんを知り「宇和島の夏を盛り上げてくれるのはこの人しかいない」と思ったという。
出演依頼を続けること6年。ついに願いが実現した。
ケントさん
「1人の情熱によって、こうやって僕はここに来られたんだとわかりました。彼は、僕の作品をすべて見てくれていて、その思いが伝わってきました。すごくありがたかったしうれしかったです」
ケントさんは、その土地に赴いてこそ味わえる空気や景色、出会えた人とのつながりをとても大切にしているという。
歴史や文化もさることながら、その土地が持つ生命力そのものを感じ取って踊っている。
「1人の人間の情熱は世界を変えると思っています。情熱の強さ、人間の生命力すべてを燃やすと世界や地球を変えることができる。それを証明したのがマイケル・ジャクソンだと僕は思っています」

ケントさんにとって、マイケル・ジャクソンは幼い頃からのスーパースターで、愛してやまない存在だった。
「僕にとって真のヒーローです。どの瞬間だって心は生き生きしていて、それを見せ続けてくれる人です」
マイケル・ジャクソンが伝え続けてきたメッセージは色あせることがない。
いや、ウクライナで戦争が行われ、世界で人種差別に絡む事件が後を絶たない今こそメッセージが胸に突き刺さる。
争うのではなく、認め合うことが必要なのだと。
「自分が買ってもらったビデオで一番最初に見たマイケルの曲が『Black or White』です。すごい衝撃を受けました。肌の色が黒か白かなんてこの世界では何の問題でもない、上も下もないんだよと。僕の息子の名前はLIVE(光舞・ライヴ)といいますが『生きる、生きてほしい』『何をやってもいい、生きてるな』と実感してほしくてその言葉を渡しました」
ケントさんは、音楽とダンスは人々の心を一つにする『最幸(さいこう)』のツールだという。
難しい肩書きなんて関係ない、国境も人種も飛び越えて一つになれる。
「『Man in the Mirror』というマイケルの曲があります。鏡の前の自分が変われば世界が変わる、逆を言えば、世界を変えたければ自分が変わればいいんだという歌です。ガイヤに出演したのも、この人を呼ぶんだという情熱がみんなを動かし、僕を呼んでくれました。『最幸』であると、人はそのバイブレーションを受けて笑顔になる。これが僕のドリーム・サークルなんですよ。お金なんかなくても人間の力で心が一つになれる」
1991年当時の筆者
宇和島で「ガイヤカーニバル」が始まった30年ほど前のこと。
街の小さなレコード店で流れていたマイケル・ジャクソンの『Black or White』が私が初めて聞いたマイケルの曲だった。
当時、新譜が発表されると店内ではプロモーションビデオが流されていた。
CDを買うお金がなかった私は、何度も何度もその店に通い、マイケルが踊る小さな画面を食い入るように見ていたものだ。
そしてこの夏、マイケルに認められたケントさんが宇和島でダンスを披露してくれた。
ステージ脇でビデオカメラを回しながら、こみ上げてくる高揚感は筆舌に尽くしがたいものがあった。
観客の瞳もまた輝いていた。「最幸のところに、最幸は集まる」
ケントさんの言葉どおり、コロナ禍で塞ぎがちだった人々の心が解き放たれて一つになった。
左:筆者 右:ケント・モリさん
ケントさん
「来て良かったという言葉ではもの足りない。これが生きてるということだよね。僕だけじゃなく、みんなのこのエネルギーが世界を変えると信じています。また必ず会いましょう。宇和島愛してる!」
山下文子(やました・あやこ)
2012年から宇和島支局を拠点として地域取材に奔走する日々。
鉄道のみならず、車やバイク、昭和生まれの乗り物に夢中。
実は覆面レスラーをこよなく愛す。

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