LGBTQを讃えるアンセム20曲:孤立感や自らを愛する喜びを表現した歌 – https://www.udiscovermusic.com/

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「音楽は世界共通の言語」としばしば言われる。だとしたら、LGBTQを象徴する歌を形づくるものは何だろうか?
LGBTQのアーティストは、時代やジャンルを問わず、音楽界の最前線で活躍してきた。しかしポップ・ミュージックの世界では、そうしたアーティストたちが孤立感や他者との違いからくる苦しみ、さらにはLGBTQコミュニティや自らを愛する喜びを表現する手段を持っていた。
1969年6月28日にニューヨーク・シティで起きた「ストーンウォールの反乱」(この歴史的な事件をきっかけに、アメリカでは同性愛者の権利獲得運動が始まった)から50周年。それを記念して、LGBTQを象徴する曲20曲をご紹介しよう。
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あからさまなメッセージ・ソングではないかもしれないが、カントリー・ミュージックというジャンルにも間違いなくLGBTQの歌は存在する。90年代には、シャナイア・トゥエイン、リーバ・マッキンタイア、トリーシャ・イヤウッド、マルティナ・マクブライドといったカントリーの歌姫たちが登場してきた。しかしカントリー界を根底から揺るがすまでの存在になったのは、ナッシュヴィルのケイシー・マスグレイヴスだった。
彼女はカントリー界でもアウトサイダー的な立場にあったが「たくさんの少年たちにキス /  または、たくさんの少女たちにキス (kiss lots of boys – or kiss lots of girls)」という歌詞を歌い、評論家に絶賛される歌手へと変身した。
 
ロビンと同じように、カーリー・レイ・ジェプセンも報われない愛から来る孤独感や失望感から目を逸らさず、ポップなヒット曲に深い内容を盛り込んでいる。彼女は「Call Me Maybe」の大ヒットで有名だが、その一方でレズビアンの心に訴えかけるLGBTQの曲も送り出している。たとえば「Run Away With Me」には、「私はあなたの秘密の罪人になる (I’ll be your sinner in secret)」といった歌詞が含まれていた。
 
オーストラリアの大人気ポップス歌手カイリー・ミノーグは、00年代初期の「Your Disco Needs You」からLGBTQの曲をいくつも発表するようになった。それゆえ、その代表曲をひとつだけ選び出すのは至難の業だ。とはいえ今回はダンス・ポップの傑作の中から、「All The Lovers」を選んでみた。
これは、カイリーが自分のファンの中にいるゲイに直接向けて歌った最初の曲のように思える。この曲のプロモ・ビデオでは、ありとあらゆる組み合わせのカップルがカイリーのまわりで絡み合っている。
 
評論家から絶賛されたアルバム『Velvet Rope』で、ジャネット・ジャクソンはさまざまなタブーに挑戦した。「Free Xone」では、「ルールがひとつ, ルールがゼロ / 愛がひとつ, フリー・ゾーン (One rule, no rules/One love, free zone)」と歌い、ロッド・スチュワートのカヴァー「Tonight’s The Night」では歌詞に登場する男女の立場を逆転させている。
そしてほろ苦いディスコ・ヒット「Together Again」では、エイズで亡くなった友人を悼んでいる。これにより、ジャネットはGLAADメディア・アワードを受賞した。
 
LGBTQの曲はポップスやディスコといったジャンルで隆盛かもしれないが、ロックやシンガー・ソングライターといったジャンルのアーティストもこの種の曲を作り出している。たとえばメリッサ・エスリッジは、『Yes I Am』という題名のアルバムを発表してレズビアンであることをカミングアウトした。そしてレズビアン(であろうとなかろうと)のラヴ・ソングの傑作を生み出した。
 
「昔の恋人が新しい相手と付き合っているのを見た」そんな失恋の歌として始まった曲が、やがて堂々たる自己受容の賛歌へと進化していった。「シルヴェスターとドナ・サマーが歌った悲しいゲイのディスコの曲」にヒントを受け、スウェーデンのポップス歌手ロビンは、クラブ・カルチャーを描いた曲をより大きな意味を持つ曲へと変身させた。その曲「Dancing On My Own」は、たちまちクィアの代表曲として数えられるようになった。
 
ニール・テナントとクリス・ロウによるダンス・ポップ・デュオのペット・ショップ・ボーイズ。彼らが80年代に出した初期作品の多くは、性の曖昧さ(「West End Girls」)や性的志向の欠如(「Domino Dancing」)をテーマとしていた。とはいえ彼らはクィア・ポップやダンス・ミュージックに多大なる影響を及ぼしてきた。彼らのヒット曲は数多くあるが、その中でもヴィレッジ・ピープルの「Go West」のカヴァーはゲイを讃える歌として特に長い人気を誇っている。
 
これはディスコ全盛期のゲイ賛歌の決定版なのだろうか? それともキリスト教青年会(YMCA)を健康的に讃える歌なのだろうか?
これを歌っていたのは、ヒット・シングル「Macho Man」やアルバム『Cruisin’』を生み出したヴィレッジ・ピープルである。というわけで、答えはご自分でお考えください。この70年代のヒット曲には魅力的なサビとシンプルな振り付けが含まれており、ニューヨーク・シティのゲイ・クラブでは定番の人気曲となった。
 
このブロンスキ・ビートの世界的なヒット曲は、地元の抑圧的な空気から逃げ出したいと思っている少年少女の心に響いた。シンセとジミー・ソマーヴィルの独特なファルセットで幕を開けるこの「Smalltown Boy」は、ポップ・ミュージックの歴史に残る曲となった。これはAIDSの爆発的な流行がピークに達したころ、ゲイであることを公言しているグループが生み出した曲だった。
 
80年代後期にカミングアウトする以前に、エルトン・ジョンは「Elton’s Song」を発表した。これは彼のキャリアの中でもとりわけ赤裸々な曲のひとつだった。
この感動的なピアノ・バラードは、ある少年に対する絶望的な恋をテーマとしていた。この曲の共作者はトム・ロビンソン(「Glad To Be Gay」の作者)だった。ダンスフロア志向があまり強くないLGBTQの歌という点で、これは珍しい例となっている。
 
「のっぽも、ブロンドも、色黒も、痩せ形も」。ウェザー・ガールズのダンス・ポップ・ヒット「It’s Raining Men」は、特定のタイプの男性を差別することがなかった。このため、ありとあらゆる方面から受け入れられた。
『デヴィッド・レターマン・ショー』のバンドリーダー、ポール・シェイファーらが作ったこの曲は、マーサ・ウォッシュとイゾーラ・アームステッドの強力なヴォーカルが主役となっていた。
 
ロンドンのゲイ・バー・シーンから登場したカルチャー・クラブ、およびそのヴォーカルであるボーイ・ジョージは、ジェンダーとジャンルの垣根を飛び越えた存在としてMTV世代に知れ渡ることになった。ジョージは同じバンドのメンバーだったジョン・モスと密かに恋愛関係にあった。
カルチャー・クラブのデビュー・アルバム『Colour By Numbers』は苦悩と悲しみに満ちた曲が並んでいるが、その多くはふたりの恋愛がヒントとなって生まれた。たとえば永遠のヒット作「Do You Really Want To Hurt Me」もそのひとつである。
 
マドンナは既に80年代の段階でLGBTQを象徴する曲を作り上げていた。彼女のLGBTQの代表曲というと、「Vogue」を挙げる人が多い。とはいえ、「Express Yourself」と同性愛的なビジュアルを前面に出したプロモ・ビデオはファンを惹き付ける力を持っていた。そして欲望に流されず自律性を保つように呼びかけていた。
 
イギリスのシンセ・ポップ・グループ、イレイジャーは80年代のクィア・ポップの先導者だった。彼らは単に派手なダンス・ナンバーを作るだけでなく、クィアの恋愛関係にある強烈な切なさや欲望を曲の中で描き出していた。アンディ・ベルは気持ちが通じ合わないボーイフレンドについて情熱的に歌っていたが、その事実はイレイジャーのコンサートに押しかけた少女たちに気付かれなかった。
フレディ・マーキュリーは亡くなるまでカミングアウトしなかったが、クイーンのヒット曲の多くはLGBTQの曲として解釈することができる。その最たる例が「I Want To Break Free」だ。クイーンのベーシスト、ジョン・ディーコンが作ったこの曲は、抑圧を受けていたあらゆる人の心に響いた。
クイーンはこの曲のプロモ・ビデオをイギリスの人気ホームドラマ『コロネーション・ストリート』のパロディとして制作し、メンバーは女装で登場した。ほとんどの国の人はこれを見て笑ったが、アメリカでは事情が違った。このビデオから世間の常識をひっくり返すような狙いを見出した人がかなりいたのである。
 
この「Freedom 90」という曲は、スーパーモデルが出演したプロモ・ビデオで世の人の記憶に残っている。しかし元ワム!のセックス・シンボル、ジョージ・マイケルにとっては、あからさまなLGBTQの曲だった。彼はこの90年代不滅のヒットの中でこう歌っている。
きみが知っておくべきことがある / 今こそ伝えないといけない
僕の奥底に何かがある / 僕は別の人間にならなきゃいけない
I think there’s something you should know/I think it’s time I told you so
There’s something deep inside of me/There’s someone else I’ve got to be
 
レディー・ガガが自己愛を歌い上げる「Born This Way」を作り上げたとき、同性愛に対する世間の態度は大きく変わりつつあった。彼女はそれを歌詞の中ではっきりと歌い上げている。
この曲は、単なるLGBTQの賛歌というだけではない。本来の自分が何なのか疑問に思うすべての人に、痛烈な言葉を投げかけているのである。80年代~90年代の先達たちとは異なり、ガガは謎めいた歌詞の裏に本意を隠す必要がなかった。この猛烈なLGBTQの曲は彼女の意図をはっきりと打ち出し、それによって今世紀を代表する大ヒット曲のひとつとなった。
 
他のLGBTQ賛歌の多くと同じように、「I’m Coming Out」も売れ線のポップスというメディアを通じて世間の常識をひっくり返すようなメッセージを表現していた。元シュープリームスの歌手ダイアナ・ロスは、この「I’m Coming Out」でディスコ風にイメージ・チェンジした。
しかしこの曲は、それだけに留まらない内容を持つ曲だった。ファンクの第一人者ナイル・ロジャースとバーナード・エドワーズが作ったこの曲は、ダイアナのファンの中にいるゲイ層に向けた支援メッセージになっていた。
 
グロリア・ゲイナーが出したこのディスコの名曲は、ディスコ・ブームが去ったあとも消えることがなかった。むしろエイズの爆発的に流行したあと、さらに深い意味を持つことになった。この「私は生き延びる」と題した歌は、エイズによって多くの人が亡くなっていたゲイ・コミュニティのスローガンのようなものになったのである。
「生き延びる」ことそのものが抵抗を表現する行為となった時代、この「I Will Survive」はLGBTQの代表曲として歌い継がれていった。
 
このシルヴェスターという性別不詳のダイナミックな歌手は「ディスコの女王」とも呼ばれたが、決して名前負けしていなかった。彼は高音のファルセットとステージ上での大きな存在感を売りとしていた歌手で、ゲイであることを公言していた。その大胆さは彼の曲からも聴き取れる。解放を讃える歌「You Make Me Feel (Mighty Real)」は、歴史に残る率直なLGBTQの賛歌として今も高く評価されている。
Written By Laura Stavropoulos
 
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