松田聖子が長嶋茂雄なら、中森明菜は落合博満。デビュー40周年に復帰を望む – Au Webポータル

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今年デビュー40周年を迎えた中森明菜。現在は約5年ほど活動休止状態だが、2022年7月15日にNHK・BSプレミアムで「中森明菜スペシャルライブ~2009 ・横浜」が放送されると、SNSで一気に盛り上がり、今なお衰えない人気を見せつけた。音楽&野球評論家のスージー鈴木さんが、伝説の歌姫のすごさを再検証する。

──NHK・BSプレミアムで「中森明菜スペシャルライブ~2009 ・横浜」が放送されると、この番組を見たフリーアナウンサーの徳光和夫が「40周年を機に復帰の待望論が巷では再燃しているんですけど、私も一ファンとしてあの才能が眠り続けているのはもったいないなと思えてなりません」とラジオで熱く語っていました。活動休止状態ながら今なお、中森明菜の復帰を願うファンの声が後を絶たないのはなぜでしょうか?

評価しつくせない才能をもった人ですから、復帰を願わないファンはいないと思います。あの歌声をまた聞きたいと熱望するのは当然です。

──スージーさんは中森明菜と同年代ですが、デビュー当時はどんな印象を持っていました?

当時は松田聖子を代表する明るくて可愛いアイドル全盛の時期だったんですが、中森明菜は、その対抗軸と言いますか。ちょっと影のある女の子が出てきたっていうのが、まぁ衝撃的でした。しかも、デビューしたのはいわゆる「花の82年組」と呼ばれる女性アイドル大豊作の年で、その中でもズバ抜けて歌がうまかった。

あといろんな本でも書かれていますけど、彼女がまだ10代の頃に出した「北ウイング」って曲なんかは作詞作曲のメンバーを自分で指名し、タイトルも本人が決めました。

──その頃からすでに制作に関わっていた?

そう。初期は来生たかおや玉置浩二に曲を書いてもらっていましたけど、後半はセルフプロデュースをして自分の世界観を具現化するために若手の作家を抜擢するパターンが多かった。そういう意味では作られたアイドルではなく、自力でブレイクした人。

「サザン・ウィンド」から「TATTOO」まで15曲連続チャート1位で、次の「I MISSED“THE SHOCK”」だけ3位でしたけど、そのあとも1位が続いて売り上げはすごかったです。

芸名も最初は「森アスナ」って名前を当て込まれたけど、本人が本名の「中森明菜」でいくって譲らなかったらしいですからね。常に自分の感覚を信じ、周りの大人も最終的にそこを認めていました。

10代から傑出した自己プロデュース力を発揮

中森明菜と同年代のスージー鈴木さん

中森明菜と同年代のスージー鈴木さん


中森明菜と同年代のスージー鈴木さん

──若いのに周囲に流されず、自己主張する人だったんですね。

そのために音楽を勉強したし、洋楽とかもたくさん聴いてサウンドの方向性まで考えたっていうから、普通のアイドル歌手にはないタイプでした。

なのに「ミュージシャン・中森明菜」がまだ十分に評価されていないのは、やっぱり「少女A」や「1/2の神話」に代表される80年代前半のツッパリ路線が衝撃的すぎたから。

その流れで「DESIRE-情熱-」にいくんだけど、いつまでも「男にかしずかない不良っぽい女の子」って側面ばかり注目されてしまっているんですよね。

──ツッパリ要素が中森明菜の本質ではないと……。

彼女の本当のすごさは独自の世界観を作ったこと。特に80年代後半の「ジプシー・クイーン」や「SOLITUDE」といった、ツッパリでも演歌でもない都会派歌謡の世界観を作った功績は大きいです。

これを僕は“アーバン歌謡”って勝手に呼んでいるんだけど(笑)、イメージ的にはふわっとしたソバージュヘアで元麻布のマンションに住んでいるみたいな女性を主人公にした感じの。当時、都会の独身女性の疲労感を表現するなんて誰もやっていなかった。独自の世界観です。

さらに「SAND BEIGE-砂漠へ-」とか「TANGO NOIR」とかは異国情緒もあって、東京に軸足を置きながら世界旅行といいますか。さまざまな曲を見事に歌いこなしながら、どれを歌っても“中森明菜”になるってとこは唯一無二。

だからこそ、そういった彼女の音楽性があまり総括されていないのは残念。もっと振り返っていい部分だと思います。

──それって、ここ5年くらい本人が表舞台に出ないせいもあります?

あるでしょうね。伝説の世界に閉じ込められている気がします。野球選手でもレジェンドって言い方をされて、勝手に神棚に祀られている人がいます。本当はもっとすごいのに、その評価がぼやかされちゃってて。ミュージシャンだと中森明菜はそのひとりだと思います。

プロ野球選手に当てはめるなら“オレ流”の落合

──中森明菜の本質をわかりやすく紐解くため、“留守中の歌姫”をあえて伝説のプロ野球選手にたとえると誰ですか?

ズバリ、落合博満です。私の読み取りはどちらも独立独歩、同調圧力にまったくめげず“オレ流”を貫いたところ。落合は選手時代も監督時代もあまり周りの言うことを聞かず、結果主義で自分なりの方法論で成功しました。

しかも、2人とも順風満帆なスタートじゃなかったところも同じ。中森明菜は「スター誕生」で2回も落ちた上に審査員と口ゲンカしたりとか逸話がいろいろあって、デビュー時も決して一番手ではなかった。

でも、彼女はシングルだけじゃなく、いきなりファーストアルバムも売れたんです。アルバムを買いたいと思わせる実力があったってこと。そこを落合に当てはめると、彼もノンプロで東芝府中からドラフト3位でプロに入り実力でのし上がっていく。ですから、たたき上げの中森明菜はやっぱり落合博満。

あと、いろんなタイミングも合致していて、中森明菜は1985年と1986年に連続してレコード大賞を受賞していて、落合は同じくこの2年とも三冠王になっている。もっと言うと中森明菜がデビューした年(1982年)にも、落合は三冠王を獲得している。

さらに、落合は三冠王のことばかり言われる一方で、その後のこと、1987年にロッテから中日に移籍して巨人、日本ハムに行った時期をあまり語られていない。要はあんなにすごい選手なのに語られ方が偏っているんです。すごいのに説明しようとしても、全部ふわっとしちゃっている明菜のようです。

野球評論家でもあるスージー鈴木さん

野球評論家でもあるスージー鈴木さん


野球評論家でもあるスージー鈴木さん

──ちょっと切なくなってきますね。ちなみに明菜のライバルたちを例えると……

もちろん、ここまで語ったら触れないわけにはいかないのが松田聖子です。当時、中森明菜と同じように活躍していた彼女は、ミスタージャイアンツこと長嶋茂雄かなぁ。誰もが認める大輪の花。明るくてみんなが大好き。80年代のシングルのキーもほとんどが明るいメジャー(長調)。逆に中森明菜はマイナー(短調)中心。でも、記録でいうと落合が長嶋に決して負けていないってとこは、当時の中森明菜と松田聖子にも通じますね。

──中森明菜と同期、「花の82年組」の小泉今日子はどうです?

小泉今日子は歌だけじゃなく、総合的な戦略家ってことで野村克也。当時の小泉今日子の商品性は「コイズミが時代をどう捉えるか」ってこと自体にあって。小泉今日子という存在がアイコンとして輝いていた。そういう意味では極めて頭脳派で、アカデミックに野球を捉えた野村克也と似ていますよね。

──伝説のスター選手というところで、王貞治も出てくるかと思いましたけど……

王貞治ぐらいになると人生よりも野球が上回っているような存在なので、本当に音楽一筋の美空ひばりや、ちあきなおみとか、そっちの感じになりますね。歌に人生を費やしたみたいな。

今年、中森明菜はデビュー40周年ですが。いまだ表舞台から姿を消したままです。近い将来、必ず復帰していただいて、またあの唯一無二の世界観と歌唱力で、我々を魅了してほしいものです。

あと、機会あれば、また例えてみたいですね(笑)。中森明菜、小泉今日子だけでなく、石川秀美、早見優、シブがき隊、堀ちえみ、三田寛子などの「花の82年組」でナインを作ってみたり……。

取材・文/若松正子

08/09 18:01
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