ビルボード・トップ100 ~1955年・その1~ <さんいん洋楽愛好会> – 山陰中央新報社

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 洋楽ファンがヒット・チャートと聞けば、まずはビルボードという単語が頭に浮かぶに違いない。もともとビルボードは、全米各地のサーカスや移動遊園地などの情報を冊子にして扱っていたが、1913年“Sheet Music Best Sellers Chart”という初めての音楽チャートを世に送り出し、さらに40年に全米を対象とする“Best Selling Retail Records”という音楽集計チャートを発表した。
 この当時は、チャートの順位は10位までだったそうだが、この時の第1位はトミー・ドーシー・オーケストラの“I’ll Never Smile Again”で、楽団をバックに歌っていたのは、駆け出しの歌手、フランク・シナトラだった。そして、時は流れ55年11月になって、初めて100位まで発表されるところとなり、58年にシングルレコードの売り上げとラジオ局のリクエストなどを元に“Hot 100”チャートがスタートした。
 今回は55年に年間トップ・シングルとなった“Cherry Pink And Apple Blossom White”にスポットを当ててみたい。この曲は、元々はフランス人のルイギが50年に発表したもので、ボーカル(当然のことながらフランス語)がフィーチャーされていた。それをキューバ出身のペレス・プラードが、マンボ風にアレンジし、“Cherry Pink And Apple Blossom White”として世に出した。世界各国では、チェリー・ピンク・チャチャとか、チェリー・ピンク・マンボなどさまざまなタイトルで呼ばれ、わが国ではセレソ・ローサというタイトルで世に知られるところとなった。
 翻って55年には“Rock Around The Clock”(ビル・ヘイリー&コメッツ)などのロックンロールや、西部劇風の“The Yellow Rose of Texas”(ミッチ・ミラー合唱団)など、米国人が好みそうなタイトルが数多くリリースされていたが、“Cherry Pink And Apple Blossom White”が栄えある第1位となったのは、想像するに踊れる楽曲だったからではなかろうか。
 この当時は、ルンバやマンボ、チャチャ、ジルバなどのダンスがはやっていて、ノレる曲調だったということが大きかったのでは、と想像する。さらに、当時封切られた冒険映画“Underwater!”(邦題「海底の黄金」)の主題歌となったことも多少なりとも影響したかもしれない。ともあれ、じらすような独特のトランペットの音色、パーカッションや詰まったかのように聞こえる「ウッ」というかけ声(3カ所だけ)が特徴的な楽しい曲だ。
  (オールディーズK)
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