The Good-Byeはなぜ唯一無二のバンドなのか? 野村義男、曾我泰久、衛藤浩一が明かす、夢中で駆け抜けたあの時代 – Mikiki

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元たのきんトリオの野村義男(ボーカル/ギター)、そして曾我泰久(ボーカル/ギター)、衛藤浩一(ドラムス/ボーカル)、2013年に惜しくもこの世を去った加賀八郎(ベース/ボーカル)からなるバンド、The Good-Bye。ロックバンドとしての高い演奏力、魅力的な自作曲、さらに洋楽ファンをニヤリとさせるこだわりのサウンドなど、いわゆる〈アイドル〉という枠組みに収まらない異彩を放った伝説的な4人組だ。
2019年、30年ぶりのニューアルバム『Special ThanX』を発表したことも話題になった彼らだが、デビュー40周年を2023年に控える今、オリジナルアルバム9作とベスト盤『READY! STEADY!! THE GOOD-BYE!!!』(2004年)、野村のソロアルバム『待たせてSorry』(83年)が再プレスされ、ついにタワーレコードで手に入れられるようになった。長く入手困難だったこと、近年再評価の声が高まっていることもあってか、店頭での売れ行きはすでにかなり好調だという。
これに合わせて、The Good-Byeの音楽をこよなく愛し、2004年の再発盤の監修と『READY! STEADY!! THE GOOD-BYE!!!』の編集を務めたイラストレーター/漫画家の本秀康が、The Good-Byeの3人に直撃した。後半ではディレクターの川原伸司も参加し、バンドの本質に迫る貴重なロングインタビューになった。
 

芸能界を辞めようとしていたヨッちゃん
――インタビューをさせていただくなんて初めてですが、The Good-Byeのことをご本人がたにお訊きできるまたとない機会なので、ついお引き受けしました。拙いインタビュアーですが、よろしくお願いいたします! まずは結成についてお伺いさせていただけますか? もう何度もお話しされていると思いますが……。
野村義男「もちろん。たのきんトリオから田原俊彦と近藤真彦が(80年に)デビューして、順番的に次は僕だったんですよ。でも、僕は踊りもできないから、〈ギターを持って歌いたいです〉と言ったんです。色々なロックを聴いてた時期で、〈バンドがいいです〉と。そしたら、意外にも事務所から〈いいよ〉と言われて(笑)。それで〈メンバーはどうするの!?〉となった。それが、デビューが2人よりも遅れた理由でした。
実は当時、僕は事務所を辞めようとしてたんです。芸能界で3年も遊んで十分楽しかったし、色々な経験をさせてもらったから、実家のバイク屋を継ごうと思って。なのに、バンドを作ることにOKが出ちゃったもんだから……事務所は辞めさせないようにと考えていたのかもしれませんけどね」
――ええっ、芸能界を辞めようとされていたんですか!?
野村「どれだけ辞表を出したことか(笑)。でも、事務所が協力的に〈オーディションをしよう〉と言ってくれて、ジャニー(喜多川)さんもヤッチン(曾我泰久)に〈ヨッちゃんの相談に乗ってくれない?〉と声をかけてくださっていたんですね。それで、ヤッチンと〈何人組にする?〉というところから相談しはじめて」
曾我泰久「ビートルズが好きだから、〈絶対4人組がいいよ!〉と義男に言ったんです」
野村「しかも、〈バンドなんだから自分たちで曲を作ったほうがいい〉なんて言い出すから驚いたんだよね。それからヤッチンがよくウチに来るようになって」
曾我「事務所に届いた(オーディションの)履歴書を紙袋4袋分くらい持って義男の部屋に行って、2人で見てたよね」
野村「デモを聴いたり、ビデオや写真を見たり。後で有名になった人もいたな~。一緒に仕事をすると〈今だから言えるんですけど、実はヨッちゃんBANDのオーディション受けたんですよ〉と打ち明けられたり(笑)」

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