『ファイナルファンタジーVI ピクセルリマスター』の音楽制作舞台裏 オペラシーン7カ国語歌唱への熱き挑戦【CEDEC 2022】 – IGN Japan

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1994年にスクウェア・エニックスより発売された名作RPG、『ファイナルファンタジーⅥ』。SFCでリリースされた最後のFFシリーズであり、今日においても最高峰の美しさを誇るドットビジュアルや、多くの個性豊かなキャラクターたちによって彩られたストーリーを誇る本作は、今なお世界中に多くのファンを持つ人気作でもある。
あれから20年以上が経った今、そんなFF6が、リマスター作品となってリリースされた。それが『ファイナルファンタジーVI ピクセルリマスター』(以下、「ピクセルリマスター版」である。
美しさはそのままにHDとなってよみがえったグラフィックや、より遊びやすくなったゲームシステムなど、さまざまな変更点が加えられた珠玉のリマスターとなっている今作。しかしそれ以外にも、ピクセルリマスター版ではとあるシーンに大きな変更が加えられている。それが、作中でも1、2を争う名シーン……そう、セリスの「オペラ」シーンだ。
SFC音源で巧みに表現されたアリアに合わせ、セリスの切ない心情が歌われるこのシーンは、遊ぶ者すべての心を打つ感動のシーンである。
さて、この名シーンをリマスターするにあたって、ピクセルリマスター版サウンドチームはある巨大な野望を打ち立てた。
今回は、CEDEC 2022で行われたセッション「『いとしの あなたは とおいところへ・・・』 FINAL FANTASY VI ピクセルリマスター オペラ7か国語歌唱への挑戦」の内容をもとに、ピクセルリマスター版サウンドチームとローカライゼーションチームが行った数々の挑戦、その全貌を紹介しよう。
今回登壇して講演を行ったのはピクセルリマスター版のサウンド、翻訳に携わったスタッフの5名。
ことの発端は、ピクセルリマスター版サウンドチームが、オペラシーンについてどのようなリマスターを行うかと思案しているところからだった。もともとサウンドについてはそのままの音源を使うわけにはいかず、これまでのリマスター同様、現代機に合わせたリッチなサウンドを使用することにはなっていた。オペラの編曲はもちろん生のオーケストラを使用したシンフォニー1択、原曲の8音をフルオケに膨らませる大きな作業だ。
ただ、問題はボーカル部分。セリス、もといマリアの歌唱パートをどのように表現するか……。サウンドチームの意見としては、やはり実際に歌わせたいということに。
こうして歌唱曲での編曲が決まったわけだが、その旨をFFシリーズ音楽の産みの親、植松伸夫氏に伝えたところ、以下のような返事が届いたという。
歌うのはいいにしても、それを各国の言語でローカライズして収録するとなると、その作業量はとてつもなく膨大なものになる。もはや新作を作るレベルのことをやってのけなければならず、コロナ渦での収録はさらに困難を極める。しかし、サウンドチームはこの植松氏の熱意溢れるコメントに背中を押され、なんとか多言語収録が可能にならないか、その道を模索することに。
しかし、当然懸念がないわけではなかった。原作はドットで表現された2Dアート。キャラクターや背景のグラフィックもドット絵表現の中でデフォルメされており、SFC音源とうまくマッチしていたが、果たしてそれが壮大なフルオケ音源となると、見た目と音楽がうまく合致するかについては疑問があった。
サウンドチームが最初に直面したいちばん大きな壁は、「そもそも歌付きのオペラと合わせて違和感が生じないか」という問題であった。
そこで、ピクセルリマスター版のプロデューサーを務める秋山氏と開発チームは、ある一大決心をすることとなる。なんと、開発チーム内に「オペラシーン専門チーム」を立ち上げ、2D+3Dで表現することにしたのだ。
もちろん開発予算はその分だけ増えることとなったが、これにより、歌唱オペラを実装するための土台ができあがった。
こちらは3D化するにあたっての演出案に関する開発資料だ。背景を3D化し、その中にドット絵のセリスを立たせて、違和感のない画作りを目指していく。ちなみにここでの背景は、専用ツールではなく『ドラゴンクエストビルダーズ』の建築機能を使って作られている。
上からの見下ろし視点で構成されている2Dゲームをそのまま3Dに落とし込むだけでは見え方の点でさまざまな問題があるので、3Dの自由なカメラアングルを使った演出案が求められた。
翻訳についても具体的な内容が決定していく。
日本語含め12言語でのリリースが予定されていた本作だが、かつてGBA版リマスターですでにローカライズが行われていたこと、翻訳作業にかかる工程などを考慮した結果、日本語をもとに英語、イタリア語、フランス語、ドイツ語、韓国語、スペイン語での7カ国での収録となった。
「オペラシーンのことが決まったときにはある程度翻訳作業が進んでいたので、まさに寝耳に水、というよりも寝耳にオペラのような感覚で、頭が真っ白になっちゃいました」とローカライズチームの春口氏は語る。
こうして実際の歌が収録される言語と、新たなグラフィック案が決定したわけだが、グラフィックに関して、どのような調整が行われたのか、実際のゲーム画面をご覧いただこう。
こちらが実際のゲーム画面。背景はドットの雰囲気を残しつつも3Dへ刷新され、カメラワークも新たなものに。これでリアルな歌と合わせても違和感のないグラフィックが完成した。
そうしていよいよ、サウンドチームとローカライズチームによる「歌唱オペラ7カ国語収録」の挑戦が始まっていくこととなる……。
まずは歌以前に、元の楽曲をオーケストラのもとシンフォニーに編曲する必要がある。
こちらは楽曲内で使われる音数を表した一覧表だ。ボーカルからストリングス(弦楽器)含め合計49の音数、とんでもないボリュームアップだ。それも凄いが、何より元のオペラがボーカル、ホルン、ハープ、ストリングスの4つの音だけで構成されているのが驚きだ。たった4つの音だけでオペラを奏でていたと考えると、当時の開発チームがいかに凄かったのかが見てとれる。
こちらはSFC版とピクセルリマスター版の楽譜を比較したもの。この楽譜はCEDEC用に用意されたもので、実際にはもっと長く、間奏部分に至っては実に32段というとてつもない長さのスコアを用いて制作されている。
基本的にはSFC版の音をそのまま楽譜に起こし、冒頭や歌の入っている箇所はほぼそのまま活かすことに。原作の色を多分に残した編曲と言えよう。
ただし、アレンジもしっかりと加えられている。
たとえば楽譜上の水色の線で囲まれた部分。SFC版の原曲ではホルンのメロディーに対してストリングスが3度上のハモリ(これはハモリとしてはオーソドックスな度数)を入れているのに対して、ピクセルリマスター版ではホルンの音を2音にし、ストリングスは3度上ではなく下に転回(音の上下関係を置き換えること)するという形をとっている。この編曲によって、ホルンの響きがよりクラシック的なものとなり、楽曲全体に重厚感が増した。
こうした細かいアレンジを加えていき、歌を乗せる楽曲部分が完成したら、次は本題となる歌の翻訳作業だ。
ここからは具体的な翻訳作業の内容を見ていく。翻訳作業、特に歌の翻訳において悩ましいのは、各言語によって言葉ひとつひとつの長さが異なることだ。音符の位置は変えられないので、必然的に単語を置く位置を変えなければならないのだが、単語が音符をまたぐ場合、つまり一音の中に単語が収まりきらない場合は、特に困難な翻訳作業が伴う。
幸いだったのは、今回翻訳が決まった7つの言語のうちいくつかの言語では、GBA版の翻訳時に「すでに歌える状態」として翻訳されていたことだ。実際の歌の翻訳作業とほぼ同じ形で翻訳されていたことで、譜割りに合わせるという作業にかける労力をいくらか節約可能になった。「当時のGBA版翻訳スタッフに話を伺ったとき、FFの歴史を感じられ、感慨深いものがありました」と春口氏は語る。
翻訳と楽曲への当てはめは平行して行わなければならないので、まずはそれらをわかりやすい形で行えるようなフォーマットが必要だった。そこで、歌詞を含めた楽譜制作時には、単語をどれほど音に合わせるかを具体的に示す記述を行うようにし、音節と音節の間を単語がまたぐ場合には「‐」(ハイフン)の記号、単語の終わりで音を伸ばす場合は「_」(アンダーバー)記号を用いることで、具体的な指示を行えるように環境を整えた。そうして制作された楽譜がこちら。
こちらはエクセルを用いて制作されたもの。これを清書してパート譜にすると……。
このように、各言語に対応した楽譜が完成する。さらに、これらの楽譜に加え各言語の歌詞カードを制作。各言語のボーカリストが気持ちよく歌えるよう、配慮もしっかりと行われている。
もっと具体的な翻訳作業についても紹介する。セッションでは英語と韓国語の翻訳作業について具体的にどのようなことが行われているのかが紹介された。
英語のケース
英語での翻訳はリリースされたバージョンによって大きく翻訳が異なるのが特徴だ。SNES版、GBA版、コンサート版とそれぞれに応じて翻訳が毎度変わっており、どれが実際の楽曲と合うのかを選定し、日本語版と合わせて違和感がないようにしなければならない。
たとえば最初期のSNES版翻訳では、日本語の「つらいときにも」の部分は「Our love is brighter than the sun(私たちの愛は、太陽よりも明るい)」となっている。実際に歌ってみればわかるかと思うが、この訳は日本語の「つらいときにも」の7ビートよりも1ビート先のテンポから歌い始めるよう翻訳されている。今回の収録ではこれは日本語版と合わないので、日本語とリズムが一致するGBA版翻訳が採用されることとなった。
SNES版のドラクゥパートはより悲惨な状況だ。初めから歌うように翻訳されておらず歌詞をそのまま言葉として翻訳したため、歌とメロディーがまったく合わない状態となっている。なので今回はGBA版を基に再翻訳することとなった。この部分以外にも多くの箇所で再翻訳作業が行われているが、英語圏においてGBA版翻訳の人気はかなり根強く、今回の翻訳作業においても、かなりの量がGBA版翻訳を下地として作られているという。
また、各言語ごとに、それぞれ意識しなければならないこともある。たとえば英語圏であれば「韻」の問題が存在する。
こちらは日本語版、SNES版、GBA版の歌詞を比較したもの。SNES版と比較して、GBA版では各小節ごとに韻が踏まれていることがわかる。日本語と違い、英語圏での「うた」はシェイクスピアの時代から常に煌びやかな韻律とセットで作られてきた歴史がある。そのため洋楽を聞いてみると、ほとんどが多かれ少なかれ韻を踏んでいることがわかるだろう。劇の舞台で歌われるオペラとなればなおさらだ。このように韻というものが重視される言語では、その言語での「うた」として不自然でないよう、韻も含めた翻訳作業が必要となる。英語の場合はGBA版翻訳の際に一部を除いてすでに歌として翻訳されていたので、翻訳はGBA版との兼ね合いが多くなっている。
韓国語のケース
韓国は日本と地理的に近く、言葉自体の文法や語順も日本語と類似点が多い。しかし韓国語には基とすべき翻訳というのがなく、その点で英語や他言語とは異なる。そこで韓国語翻訳では、より日本語版と歌のニュアンスを近づけるため、多くの工夫が行われている。
これは韓国語に翻訳した歌詞を日本語に再翻訳したもの。ここでも、日本語のリズムに合わせるべくさまざまな取り組みの跡がある。先ほど紹介した歌詞全体のリズム、たとえば「つらいときにも」は7ビート、といったことを実現するにはどのようにすればよいだろうか。
韓国語は基本的に一文字を一音節で発音するという構造をしており、考え方としてはローマ字よりもひらがなに似ているが、母音と子音の組み合わせや単語自体の長さが日本語と大きく異なるため、「音があってても意味がずれる」という問題が起こる。
「なので、日本語の音節の区切りにできるだけ近づける努力をおこなったんです」と韓国語翻訳を担当した金氏は語る。
たとえば上の画面の緑枠で囲まれた部分、「かなしい ときにも」「つらいときにも」という歌詞は、韓国語翻訳をそのまま当てはめるだけでは日本語の音節とずれてしまうという問題があった。そこで、韓国語翻訳では「悲しいときにも つらいときにも」という歌詞を前半の「かなしい ときにも」の部分に当てはめ、残った「つらいときにも」の部分に追加の歌詞、「胸が張り裂けようとも」を当てはめている。こうすることで、音節は日本語版とほぼ同じでありながら、マリアの胸中を遜色なく翻訳することに成功している。
また、歌詞そのものの文法を入れ替え、音としての盛り上がりと歌詞の盛り上がりが一致するようにも工夫されている。画像の左部分、赤枠で表示されている箇所は、このパートのもっとも音が高くなる部分、つまり歌としてピークの盛り上がり部分だが、韓国語ではこの部分に「声が」「届きますように」といった歌詞としての盛り上がり部分が意図的に割り当てられている。
結果、意味としても歌としても、盛り上がりまで含めかなり日本語に近いニュアンスで翻訳されている。言語によるゲームプレイ体験の差異はほとんどゼロに近い。
また、各キャラクターごとの性格や物語上の立ち位置を意識し、語尾や言葉遣いも巧みに翻訳されている。たとえばマリアのパートでは、マリアの優しく上品な性格を表現するために、日本語における「〜です・ます」に当たる終結語尾「〜ヨ」が使われている。韓国語の丁寧語には多くの種類があり、「〜スムニダ」といった語尾も存在するが、マリアの印象にあったやわらかい表現である「〜ヨ」が選ばれたという。
ほかのキャラクターについても同様だ。ラルスの場合は作中で高圧的な悪役というポジションなので、日本語と同じく命令的で語調の強い終結語尾「~ダ」が用いられている。ちなみに日本語でもこのような表現の終結語尾には「〜だ」を使うので、意外な共通点が見えておもしろい部分でもある。
ドラクゥの場合はより勇壮に、仰々しいセリフを意識して、「私の息が絶えようとも」といったドラマチックな翻訳がなされている。また、終結語尾は韓国語では日常であまり使われることのない格式ばったものに、日本語に再翻訳すると「〜せぬ」となっていることからも、ドラクゥのキャラクター性が見えてくる。
と、このように各国それぞれの言語で、それぞれの言語に合わせたユニークな翻訳作業が行われている。どの言語においてもできるだけ原作のニュアンスを拾いながら、ゲームのBGMとしてではなく一つの歌として翻訳が行われているのがおわかりいただけただろうか。
翻訳が完成したら、次はそれを歌うマリアの声が必要になってくる。
サウンドチームがマリアの歌声役を選定する際に重視したこと、それは「セリスらしさとは何か?」ということだ。
そもそも、マリア、もといセリスは作中ではオペラ歌手ではない。パーティを支える重要なメンバーの1人であり、群像劇の中でひときわ輝くキーキャラクターでもある。シナリオ上、ドラクゥやラルスなどとは異なり飛び入りで代役を務めることとなっただけにすぎないセリスに、果たしてオペラを歌い上げることなど可能なのだろうか…?
思い悩んだサウンドチームは、マリア役を務める歌手たちに急遽無茶ぶりをお願いすることに。
「マリア役の方たちに、大変申し訳ないんですけど、オペラ的に歌うのを封印してもらうよう頼みました。ソプラノの皆さんにとっては不本意だったと思いますが、結果的に狙った効果が得られたと思います」
そう語るのはサウンドチームの宮永氏だ。マリアパートではオペラ禁止、すべてミュージカル調で歌ってほしいというサウンドチームのオーダーが、結果的にマリアのキャラクター性を上手く表現することにつながったのである。
そして収録の段階にまでやってきた。収録時期はちょうどコロナ渦の真っ只中であり、日本在住の歌手、海外の歌手にかかわらず、厳重なリスク管理のもとレコーディングが行われることとなった。日本在住の歌手はある程度日本語でのコミュニケーションが可能であり、身振り手振りでのコミュニケーションも可能だが、海外スタジオでのレコーディングの場合はそうもいかない。レコーディングの際には音楽的知識を持つ通訳者とともに、リモートでのレコーディング作業が行われた。
こうして、編曲からレコーディングまですべての作業が終了し、ピクセルリマスター版での「歌唱オペラ7カ国語翻訳」は無事終了した。チームが描いた理想像がここに完成し、ピクセルリマスター版は最高のオペラシーンを引っ提げて発売されることとなった。
彼らがこのプロジェクトを成功させた秘訣はいったいどこにあったのだろうか?
伝えたいことは「チームワーク、事前の準備とチームビルディング、そして三位一体の魔法」であると、講演終盤に宮永氏は語った。
曲をアレンジする編曲者、それらに言葉を当てはめていく翻訳者、それを歌手に適切に伝える通訳者、そして歌い上げる歌手。開発に関わるすべての人間が現場でアイデアを出し合い、その場でどんどん言語に最適な譜割りや歌詞へと変化させていく。こうした密接なチームワークこそが「三位一体の魔法」であり、この魔法が今回のプロジェクトを成功に導いたことは言うまでもない。
またその裏で、そうしたチームワークを生み出すためにさまざまな努力や工夫がおこなわれていたこと、そして関わるものすべてに開発へのみなぎる情熱があったことは決して忘れてはならないと、そう私は思う。
ピクセルリマスター版でのオペラシーンが完成した後、開発チームはオペラの完成版を持って植松信夫氏のもとを訪れた。最後に、完成版を聴いた植松氏のコメントを引用して、この記事を終わろうと思う。

発売から27年経って、この曲が様々な国の言葉で歌ってもらえていることに感動しています。音楽のように、そこにあるのは感動だけで、決して勝敗を明らかにすることが目的ではない世界に住んでいると、62歳になった今でもなぜ戦争が起きているのかが理解できません。ゲームを通じて音楽の感動を他の国の人々と少しでも共有できたかと思うと、自分の人生も捨てたものではありません。

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