37年ぶりの歌声…藤波辰爾の“伝説の珍盤”『マッチョ・ドラゴン』ってどんな曲? 当時の証言「あれが売れるなんて、ふざけるなって!」(堀江ガンツ) – Number Web – ナンバー

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ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
posted2022/09/09 17:01
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堀江ガンツGantz Horie
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 8月下旬、ツイッターのタイムラインが騒然となった。この令和の世に「マッチョ・ドラゴン」がトレンド入りをはたしたのだ。
『マッチョ・ドラゴン』といえば、1985年11月に発売されたプロレスラー藤波辰爾のデビューシングルレコードであり、当時の入場テーマ曲。藤波による小学生を彷彿とさせるインパクト抜群の歌声が、発売から40年近く経った今でもプロレスファンや一部好事家に愛され続けている伝説の一曲だ。
 その『マッチョ・ドラゴン』が、なぜ突然ツイッターのトレンド入りしたのかと言うと、9月10日(午後11時30分)に放送されるNHKの『1オクターブ上の音楽祭』という番組で藤波自身が37年ぶりに伝説の歌声を披露することが発表され、それが一気に拡散されたためだった。
『1オクターブ上の音楽祭』は「謎の洋館に住む名盤コレクター(竹中直人)が主宰する奇妙な音楽会」(NHK番組公式サイト)という設定で、「一度聴いたら忘れられない異色の歌謡曲を歌手本人ごとよみがえらせる」という、NHKらしからぬとんがった実験的な番組。設定はともかく、あのドラゴンが歌番組に出演するのである。これは観ないわけにはいかないだろう。
 歌謡曲全盛の70~80年代、昭和のスポーツ選手がレコードを出すことは珍しいことではなかった。プロ野球選手や大相撲の力士、プロゴルファーなど、昭和のスターたちは夜の街で自慢ののどを聴かせる機会も多く、人気者にはごくカジュアルに歌手デビューの話が舞い込んできていたのだ。
 もちろんゴールデンタイムで毎週放送されていた時代のプロレスラーも例外ではなく、そんな流れの中で80年代半ば、選手大量離脱に見舞われピンチに陥っていた新日本プロレスでアントニオ猪木の後継者として期待されていた藤波にも(うっかり)白羽の矢が立った。それが『マッチョ・ドラゴン』だった。
『マッチョ・ドラゴン』はオリジナルではなく、ガイアナ共和国出身のレゲエ歌手エディ・グラントが1984年に発表した『Boys in the Street』にオリジナルの歌詞を付けてカバーしたもの。当時、日本の歌謡界では洋楽のカバーが流行っており、『マッチョ・ドラゴン』も作詞は森雪之丞、編曲は若草恵というヒットメーカーを起用。しっかりとしたMVも製作され(B面の『ドラゴン体操』にもMVがある)販売元のポリドールレコード(現在のユニバーサルミュージック)も力を入れていたことがわかる。
【次ページ】 『マッチョ・ドラゴン』はなぜ“伝説の珍盤”になった?
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