【洋楽を抱きしめて】兄たちに続け!アンディ・ギブの三連発――「恋のときめき」、「愛の面影」、「シャドー・ダンシング」 – オーヴォ

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『恋のときめき(Flowing Rivers)/アンディ・ギブ』 (ワーナーミュージック・ジャパン)
『恋のときめき(Flowing Rivers)/アンディ・ギブ』
(ワーナーミュージック・ジャパン)

 一世を風靡(ふうび)していたビージーズの兄たち3人に続けとばかりに、アンディ・ギブが3曲連続で全米ヒットチャートの首位を獲得したのには、多くの人たちが驚かされた。その3作品とは「恋のときめき(I just want to be your everything)」、「愛の面影(Love is thicker than water)」、「シャドー・ダンシング」である。
 アンディは1958年、英国のマンチェスターで生まれた。その半年後には家族とともにオーストラリアに引っ越す。アンディは末っ子で、姉が一人と三人の兄(バリー、ロビン、モーリス)がいた。兄たちはショー・ビジネスの世界で働くようになるが、アンディは再び英国そしてスペインのイビサ島などへと居を移していった。
 アンディは10代の頃、旅行者向けのクラブで音楽活動を始めた。そして70年代半ば、彼は兄のギブとビージーズのマネージャー、ロバート・スティグウッドの指示で、兄たちのような成功をつかむべく、オーストラリアへ戻ったのだ。
 アンディはまずATAレコードと契約した。デビュー・シングルは「ワーズ・アンド・ミュージック」で、オーストラリアではまずまずのヒットを記録した。次なる、そして本命のターゲットはもちろんアメリカだった。スティグウッドはアンディの米国行きを説得し、彼のレーベルであるRSOレコードと契約させた。
 アンディはバリーらとスティグウッドのバミューダの大邸宅のベッドルームに缶詰めになって、米国デビューのためのシングル制作に取り組んだ。バリーは「恋のときめき」を書き、彼とアンディは「愛の面影」を共作した。「恋のときめき」は’77年4月に米ビルボードのHOT100に初登場、7月末にナンバーワンとなり、計4週間その座を守った。
 同年9月、デビュー・アルバム『恋のときめき(Flowing Rivers)』を発表。ビージーズのプロデューサーであるアルビー・ガルテンとカール・リチャードソン、そして兄バリーがプロデュースを担当した。セカンド・シングル「愛の面影」は’78年3月に2週間首位を獲得する。イーグルスのジョー・ウォルシュがギターで参加。
 ’78年4月にはセカンド・アルバム『シャドー・ダンシング』をリリース。ギブ4兄弟によって書かれた表題曲は7週連続で全米1位。また’78年のビルボード年間HOT100の堂々の首位を獲得した。ちなみに同年の年間チャートには、「恋のナイト・フィーヴァー」(2位)、「ステイン・アライブ」(4位)、「愛はきらめきの中に」(6位)といったビージーズのヒット曲、そしてアンディの「愛の面影」(8位)がトップ10入りしていた。
 アンディ最後のアルバムとなる『アフター・ダーク』は’80年2月にリリースされた。将来を嘱望され、ビージーズ入りの話さえあったといわれるアンディだが、恋人との破局などが原因とされるうつ病やコカイン中毒などに苦しんだ。そして彼は’88年3月、ウイルス感染による心筋炎で亡くなってしまった。わずか30才だった。
文・桑原亘之介
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