【林哲司 ポップス半世紀】『恋は紅いバラ』を歌う加山雄三にあこがれて高一から始めた曲作り テープレコーダーの録音から創作活動をスタート(1/2ページ) – ZAKZAK

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スクリーンのなかから世界中をとりこにしたエルヴィス・プレスリー同様に、1950年代後半から60年代半ばにかけては、日本でも歌う映画スターがキラ星のごとく誕生していた。
林にとって石原裕次郎は少し前の世代のスターで、次の小林旭の時代だ。〝渡り鳥シリーズ〟(59年『ギターを持った渡り鳥』から62年『渡り鳥北へ帰る』までの8作)で歌われた曲は、しっかりと愛唱歌になっていた。
洋楽を追いかけていた少年がなぜ突然、〝曲を作りたい〟と思い始めたのか、それは、高1だった65年に、銀幕のスターが歌うのをたまたまテレビで見たのがきっかけだった。
「当時はまだ白黒画面で、あまり映りのよくなかった東京の放送で、歌う加山雄三さんを見ました。その瞬間、身体に電気が走ったような衝撃を覚えたんです。『スター千一夜』(フジテレビ系)で、ザ・ランチャーズをバックに歌っていたのは『恋は紅いバラ』。加山さんのオリジナル曲でした」
「恋は紅いバラ」は、同年8月に公開された映画『海の若大将』の主題歌になった。大御所の作品で占められていた従来の歌謡曲とは違い、自分で曲を作って、バンドで演奏していた。
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