BONNIE PINK、大学時代の学園祭が“転機”でデビュー 上京当時は「孤独でした」(ENCOUNT) – Yahoo!ニュース – Yahoo!ニュース

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11月に単独では3年ぶりとなるライブを行うBONNIE PINK【写真:(C)TAISUKE,Inc.】
 シンガー・ソングライターのBONNIE PINKが、3年ぶりとなる単独公演を東京、横浜、大阪のBillboard Liveで開く。“Hello Again”と題したライブでは、今夏リリースした「宝さがし」や「エレジー」などの新曲のほか、自身が今の気分にフィットする曲を選曲して披露する予定だ。3公演に向けて体力づくりに励んでいるというBOONIE PINKに、アーティストを志した理由や、CMに起用され大ヒットした楽曲の誕生秘話。日々奮闘しているという子育てなどについて、全3回に分けて聞いていく。初回のインタビューでは、生まれ育った京都で兄の影響で聴き始めた洋楽との出合いから、上京後に感じた違和感などについてたずねた。(取材・文=西村綾乃) 【動画】2000万再生超の大反響! BONNIE PINKの大ヒット曲「A Perfect Sky」ミュージックビデオ  2020年にデビュー25周年を迎えた。高い歌唱力と、光る作詞・作曲のセンスなど、唯一無二の存在として、魅力を放ち続けている。音楽を好きになったきっかけは。 「兄の影響で小学生のときから、ザ・ビートルズや、エアロスミス、ミスター・ビッグやXTCなどの洋楽を聴いていました。6・70年代のシンガー・ソングライターものなど古いものも好きでしたが、小学6年生の時に知ったプリンスは衝撃でした。歌いながら踊れる人がカッコいいと思い、マイケル・ジャクソンや、ジャネット・ジャクソンのダンスをコピーしながら歌ったりしたこともありました」  中学進学後は、辞書を手に英語で記された歌詞カードを訳すようになった。高校では、軽音楽同好会に所属し、同級生と結成したバンドではボーカルを務めた。 「いまは、好みなどに合わせて楽曲を選んでくれるプレイリストがありますが、当時はなかったので、CDを貸し出してくれるレンタルショップで、店員さんが書いた(CDの)オススメを読んだりしていました。後は、レニー・クラヴィッツなど、好きになったアーティストが、ルーツとしている音楽を掘っていくなど、音楽との出会いを広げていきました。高校時代は、学園祭のときに講堂でライブをしたこともありました」  学生時代にステージを経験。その楽しさに魅了され、アーティストを志した……のかというと、そうではないのだという。 「いずれミュージシャンになるんだと思ったことはありませんでした。音楽好きの兄がキーボードを買って作曲をしていたのを横目で見ていましたが、私自身は幼少期にピアノを習ったり、小学生の時は合唱部で歌うなどしていた割に、兄のように自分で作るという願望は持っていなかったんです」  転機は大学生のときだった。 「友人と作った音楽サークルで、学園祭のときに出し物をやることになって、そこで教室で歌ったんです。そこに呼んだDJの男性の知人が、私が所属している事務所の当時の社員さんで。そこから『歌が好きな子が京都にいる』という噂が人づてに伝わって、(音楽プロデューサーの)S-KENさんに、『女性ボーカリストを集めたコンピレーションアルバムを作るから参加してみない?』と誘われたんです」  S-KENがレコード会社の日本コロムビア内に発足したレーベル「チャンス・レコーズ」が1993年に制作したオムニバス・アルバム「Ledies In Motion」では「Freedom」、「クレージー・フライト」の2曲を担当。若き歌姫の豊かな表現は、プロデューサーの井出靖の耳に止まり、プロへの扉が開いた。 「ソロとしてデビューすることが決まり、初めは作曲家さんからいただいた曲に歌詞をつけていました。小学生のときから日記の代わりに詩を書いたりはしていたんですが、そのときいただいた曲に歌詞をつける作業には苦戦してしまって、困っていたらS-KENさんに『曲も自分で書いてみたら?』と言われ、こんな感じかなと、ピアノで和音をおさえながら3~4曲作ってみたんです。できた曲をS-KENさんに渡したら、『できるじゃん』と言われて。このときに生まれた曲は、デビューアルバム『Blue Jam』にも収録されています」  学園祭でのパフォーマンスから、掴んだチャンス。周囲はどのような反応だったのだろうか。 「実はコンピレーションアルバムを作ったことは、親に話していませんでした。ソロデビューが決まって、ただならぬ数の人がこれから私に関わることになるので、覚悟を決めて親にコンピを見せたんです。そこで『ソロデビューという流れになりつつあります』と正直に伝えました。母は芸能好きなので『頑張って』と喜んでくれましたが、父は堅実な公務員だったこともあり、『ほほう』という反応の後に、『反対もしないが、応援もしない』と……。兄は『大丈夫か?』と疑っていました」  自ら作詞・作曲を手掛けたアルバム「Blue Jam」でデビューしたのは22歳のとき。京都と東京を行き来する生活を送っていたが、数年後に上京した。慣れない暮らしには戸惑いもあった。 「友達はいないし、孤独でした。あとは街を歩いている人のスピードの速さに驚きました。京都の人たちはゆったりしているので。最初は東京の空気に慣れず、突然発症した喘息にも悩みました」  コンスタントに作品を輩出していく中で、ぬぐえなかった違和感。1998年にアルバム「evil and flowers」を発表したBONNIE PINKは活動を休止し、単身渡米した。  2回目のインタビューでは、CM曲に起用された「A Perfect Sky」が生まれた背景について聞いていく。 □BONNIE PINK(ボニー・ピンク)京都府生まれ。1995年にアルバム「Blue Jam」でデビュー。初めて作詞・作曲を手掛け、97年に発売したシングル「Heaven’s Kitchen」は約30万枚を超えるヒットに。2006年に資生堂の日焼け止め「ANNESA」のCMに起用された「A Perfect Sky」でその人気を全国区にした。同年末にNHK紅白歌合戦に初出場。音楽面はもちろん、多彩な表現力が認められ、同年に映画「嫌われ松子の一生」で女優デビューも果たしている。
西村綾乃
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