高校時代、毎日のように書きためてオープンリールに残していった作品は、いつしか膨大な量になっていた。
「曲作りで最初に参考にしたのはやはり加山雄三さん。ロックからロカビリー、カントリー、ハワイアンまで、ジャンルを超えた幅広さが魅力だったし、聴き込むうちにバラエティーの豊かさが培われました。ラジオから流れる海外の様々な音楽も、もう娯楽としてではなく真剣に聴いていました。結局、卒業までに書いた曲はインスト、歌ものを合わせて200曲を超えていました」
サッカー部を辞めたところで結果は音楽熱がいっそう高まっただけ。受験勉強が充実したわけではなかった。戦後のベビーブームが背景にあるなかでの受験競争が厳しかったこともあるだろう。案の定、志望校への受験は失敗。予備校に通ったが、東京へ出れば誘惑は多い。1968年といえば、66年のビートルズ来日後にGSが隆盛し、そのまたあとに新しいロックが生まれるころ。高校時代からウエスタンカーニバルやジャズ喫茶に行っていたほどだから、いつの間にかライブハウスや映画館に足が向くのは自然な流れだった。
「一浪して日本大学商学部に合格しても、また同じです。学校には行きませんでした。地元の静岡の友達が下宿していた吉祥寺に入り浸って、何かといえば新宿に行って新しい発見を探し求めていました」
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