ヤマハでアルバイトしていた年月はそう長くはなかったが、在籍中は作曲コンクール(のちポプコン)の譜面審査をしたり、ヤマハが制作協力していたラジオ番組「コッキーポップ」(ニッポン放送)に曲を発表したこともあった。また、音楽雑誌『ライトミュージック』の編集を手伝うようにもなっていた。
「雑誌の記事はほとんどが外注でしたが、一部をヤマハのスタッフで作っていて、僕も特集企画やレコード評を書いたりしていました。レコード評は外部にも委託していたから、細野晴臣さんや大瀧詠一さんから入稿されていたことも覚えています」
音楽雑誌の編集部にいれば当然、出入りしているレコード会社の人間とも顔見知りになる。
「ビートルズやピンク・フロイドを手がけていた東芝EMIの石坂敬一さんが、たくさんのレコードを持ってきてくれたり。いろいろなロックが生まれていたころですから、ジャンルにこだわらない音楽に豊富に触れることができました。1969年末にロックミュージカルの日本版『HAIR』が上演されて、あのあたりが新しい音楽の始まりだったのかもしれません。70年代の前半あたりまでは、音楽の世界がグッと凝縮されていったような気がします」
林のような音楽の道を目指す若者を原動力に、『ライトミュージック』はそれまでにはなかったミュージシャン志向の音楽誌として評価を高めていった。
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