いきなりラストソング! キャロル、RC、ブルーハーツ…(俺的 … – Au Webポータル

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好きなバンドの解散はファンにとって衝撃的大事件だ。その解散ライブ、あるいは解散の決意を胸に秘めた実質最後のライブで、もっとも重要といってもいい「ラストソング」にはどんな曲が選ばれているのだろうか。
解散ライブのラストソング―邦楽バンド編

なぜか解散することが少ない最近のバンドと
解散劇が伝説として語り継がれる昔のバンド

これはまったくの私見であり、エビデンス的なものは1ミリもないので、どうか突っ込まないでもらいたいのだが、最近のバンドって、なんか滅多なことでは解散しないと思いません?

若者が好む今のバンドが事なかれ主義の仲良しグループで、まったく骨がないから……などと老害的なことを述べるつもりはない。
50代の僕が若い頃に聴いていたバンドで、一旦は弾けるように解散した人たちも、いつの間にか再結成し、目立たないながらも安定的に活動していたりするし。

これは一体、どうした現象なのだろうか?

真面目に考え出すと沼にハマり、なかなか今回の主題が始められなくなりそうなのでやめておくが、ともあれ、バンドが解散せずに長く活動し続けてくれることは、音楽ファンにとってはありがたいことだ。

何しろ、好きなバンドの解散劇は一大事。
青天の霹靂で、しばらくはショックのあまり何も手につかなくなってしまうこともある。

個人的なことでいえば、本文でも紹介するハードコアパンクバンド、カーゼの今年11月の解散は大変な衝撃だった(で、このコラムテーマを思いついたのだが)。

そこで今回は、アラフィフロック好きおじさん(筆者)が完全な独断と偏見で、見事に散っていった12の潔いバンドをピックアップ。
彼らが解散ライブあるいは解散の決意を胸に秘めた実質最後のライブで、特に重要な意味を持つラストソングにどの曲を選んだのかを調べてみた。

まずは別格級のこのバンドから。

実は僕自身にとってもリアルタイムではないのだが、1975年の解散ライブが伝説として語り継がれているキャロルである。

キャロル(1972―1975)
ラストソング「ラスト・チャンス」

矢沢永吉率いるキャロルは、1975年4月13日の東京・日比谷野外音楽堂でのライブをもって解散。人気曲のオンパレードで、激しい雨にもかかわらず異様に盛り上がり、最後はバンド最大のヒット曲である1973年発表の「ファンキー・モンキー・ベイビー」から1974年発表の「ラスト・チャンス」へとつなげて大団円。

……となるはずだったのだが、最後の曲は途中で演奏を止めざるをえなかった。「ラスト・チャンス」の演奏中、ステージ上に掲げたCAROLの電飾文字を爆竹で破裂させるという演出計画だったのだが、火が舞台装置上部の発泡スチロールに引火。ステージが火事になるというハプニングが発生したのだ。

この衝撃のラストライブの模様を収めたアルバムのタイトルは、よりによって『燃え尽きる:ラスト・ライヴ』(なんとまあ、おおらかな時代だ)。そこには、消火活動をする、この時キャロル親衛隊を務めていたクールスのメンバーの声や、駆けつける消防車のサイレンの音も記録されている。

80年代を彩ったBOØWY、RCサクセション、
ザ・ブルーハーツ、フリッパーズ・ギター

BOØWY(1981―1988)
ラストソング「NO. NEW YORK」

1988年4月4日・5日の2日間にわたり、LAST GIGSと銘打って東京ドームで華々しくおこなわれた解散ライブ。最終日2回目のアンコールでは、「ホンキー・トンキー・クレイジー」に続いて「NO. NEW YORK」が披露され、熱狂の渦のなか幕切れとなった。
1982年発売ファーストアルバム『MORAL』に収録されている「NO. NEW YORK」は、バンド結成後「IMAGE DOWN」に次いで制作された、最初期の曲にして代表曲のひとつ。

RCサクセション(1968―1991)
ラストソング「ドカドカうるさいR&Rバンド」(推定)

1991年1月に無期限活動休止を宣言したRCサクセションは、いわゆる解散コンサートをやっておらず、1990年12月25日におこなわれた、クリスマス恒例の日本武道館公演が実質的なラストライブとなった。

その日のラストソングは、資料不足で正確にはわからないのだが、12日前の12月13日に名古屋市公会堂でおこなわれたライブや、1989年のクリスマスライブでは「ドカドカうるさいR&Rバンド」がラストソングだったので、RCとしての最後の曲もおそらくこれだったはず。
資料に乏しいのは、この年のRCサクセションがもはや空中分解状態のバンド末期で、リアルタイムで見ていたファンもあまり多くを語りたがらないからかもしれない。

(当時のRCファンクラブ会報『BAD vol.32』に当日のセットリストが載っているという情報あり。持っている人がいたら、個人的に連絡ください(笑))

フリッパーズ・ギター(1987―1991)
ラストソング「GROOVE TUBE Part2」

フリッパーズ・ギターの解散が明らかになったのは1991年10月29日のこと。既にチケットが発売されていたその後のツアーを全部キャンセルしたため、世間から「プロ意識を欠く行為」と批判されたが、小山田圭吾と小沢健二の解散の意思は、もっと早くから固まっていたようだ。

解散表明前の同年9月19日に、TOKYO FMホールでおこなわれた公開録音が最後のライブで、同年3月に発売された5thシングルのカップリング曲で締めくくっている。解散の本当の理由については諸説あるが、小山田氏と小沢氏が二度と手を組むことはないだろうというのが、ファンたちの間での共通認識。

ザ・ブルーハーツ(1985―1995)
ラストソング「TRAIN-TRAIN」

1994年8月13日に長野県の科野の里歴史公園で開かれた、あんずの里ロックフェスティバルへの出演がザ・ブルーハーツとしてのラストライブ。1988年にリリースした6枚目のシングル曲にして、現在でも名曲として歌い継がれる「TRAIN-TRAIN」を最後に演奏した。

ブルーハーツの解散表明は翌1995年6月だが、メンバー間の種々の精神的軋轢による解散劇だったためか、改めての解散ライブはおこなわれなかった。

90年代デビューのTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT、
SUPERCAR、ナンバーガールのラストソング

THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(1991―2003)
ラストソング「世界の終わり」

人気絶頂期の2003年9月1日に、突如解散を正式発表したミッシェル・ガン・エレファントは、その後の1ヶ月余りで全国ラストツアーを敢行。10月11日に幕張メッセでおこなった最終ライブは、3万7000人もの観客を動員した。
ラストソング「世界の終わり」は1996年に発表したデビューシングルにしてバンドの代表曲。バンドの始まりも終わりも“世界の終わり”というのは、なんともミッシェルらしい感じがする。

SUPERCAR(1995―2005)
ラストソング「Trip Sky」

ジーザス&メリーチェインやライドを彷彿とさせる轟音ギターサウンドでデビューし、徐々にエレクトロテイストを取り入れて進化していったスーパーカーは、2005年2月26日、東京・新木場のスタジオコーストでおこなったラストライブをもって解散。

最後の最後までMCをまったくおこなわず、シューゲイザーらしい態度を保ったまま去っていった彼らのラストソングは、1998年発表のデビューアルバム『スリーアウトチェンジ』に収録されている「Trip Sky」。ハウリングギターの轟音と幻想的なメロディが印象的な曲で、最後は突如として静寂が訪れる展開。このバンドのあり方そのものを表しているようだ。

ナンバーガール(1995―2002)
ラストソング「IGGY POP FAN CLUB」
同(2019―2022)
ラストソング「透明少女」

2002年9月に解散を表明したナンバーガール。同年11月30日に札幌PENNY LANE24でおこなわれたラストライブは、1997年リリースのファーストアルバム『SCHOOL GIRL BYE BYE』に収められた名曲「OMOIDE IN MY HEAD」からの「IGGY POP FAN CLUB」という流れで締めくくった。

2019年には再結成したが、2022年12月11日に横浜のぴあアリーナMMでおこなわれたライブを持って再解散。ラストソング「透明少女」は1995年に発売されたデビューシングルで、ライブではもっとも盛り上がる曲だ。

マニア&通好みのバンドの最後の瞬間とは。
ザ・スターリン、BLANKEY JET CITY、ゆらゆら帝国、GAUZE

ザ・スターリン
1980―1985(ザ・スターリン)
1987―1988(ビデオ・スターリン)
1989―1992(スターリン)
ラストソング「バイ・バイ・ニーチェ」

遠藤ミチロウ(故人)率いる、スキャンダラスなパンクバンド、ザ・スターリンは、豚の頭や臓物、爆竹、花火などを客席に投げ込んだり、全裸でステージから放尿したりといった過激なパフォーマンスを続けたため、全国のライブハウスやホールから締め出され、ライブ活動が困難になり、1985年2月21日の大映スタジオでのライブを最後に解散した。

その後、活動内容を改めて再結成と解散を繰り返したが、もっともスターリンらしかった第1期のラストソングは、1984年発表の4thアルバム『Fish Inn』収録の「バイ・バイ“ニーチェ”」。この曲の歌詞は、「バイバイ だけど大好きだから もっと遊ぼう」だけである。

BLANKEY JET CITY(1987―2000)
ラストソング「BABY BABY」

2000年7月28日、新潟県・苗場のフジロックフェスティバル’00初日のトリのステージが最後となったブランキージェット・シティ。怒涛の22曲を披露し、アンコールに応えて演奏した「BABY BABY」で終焉を迎えた。
ラストソングに選んだ「BABY BABY」はスタジオレコーディングされたことがない幻の曲で、ライブでの音源しか残されていない。

ゆらゆら帝国(1989―2010)
ラストソング「つぎの夜へ」

2010年3月31日にウェブサイトで解散を発表した、坂本慎太郎率いるゆらゆら帝国。音楽性の高さから国内外で高く評価されていたため、解散を惜しむ声は多かったが、坂本による解散理由は、「完全にできあがってしまったため」ということで、ファンも納得せざるをえなかった。

解散表明前の2009年12月30日に東京・恵比寿のリキッドルームでおこなわれたライブが最後の姿で、2006年発表のシングル「つぎの夜へ」をラストソングとして選んでいた。

GAUZE(1981―2022)
ラストソング「栄枯盛衰」

アンダーグラウンドなジャパニーズハードコアシーンの第一線で40年以上にわたって活動を続けてきたガーゼが、2022年11月26日、老舗ライブハウス・新宿ANTIKNOCKでの招待した関係者のみを観客とする無告知ライブで解散した。
ラストソングは1997年発表の5thアルバム『面を洗って出直して来い』に収録されている「栄枯盛衰」。解散理由はボーカルFUGU氏の体調問題であったため、解散ライブはボーカル不在で進んだが、最後の曲だけFUGUがマイクを取り、会場を大いに沸かせた。

さて、いかがだったでしょうか?
一時代を築いた人気バンドが選んだラストソングには、それぞれ何らかのメッセージがあるような気がしないだろうか。
もちろん、ファンそれぞれの思い入れによって受け止める意味は違うはずだから、これ以上の解説をつけるのは野暮というものだろう。

紹介したバンドによってはYouTubeなどにラストライブの様子がアップロードされていたりするので、興味が湧いたらぜひ見ていただきたい。

それではまたいつか、洋楽編でお会いしましょう。

文/佐藤誠二朗

12/28 17:01
集英社オンライン
元記事を読む

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