【林哲司 ポップス半世紀】音楽出版社と世界に通用する日本発の … – ZAKZAK

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ポリドール~キティミュージックと同様に、1stアルバム『ブルージェ』のころから林の洋楽志向の音作りに着目していた音楽出版社があった。ポップスに明るい、パシフィック音楽出版(PMP、現フジパシフィックミュージック)だ。
「現会長の朝妻一郎さんには当時、洋楽として通用する日本の曲を世界でリリースしたいという想いがありました。その発想のなかに僕がいたのでしょう。海外に売り込むための曲を依頼され、ニッポン放送の中にあったスタジオでレコーディングしていました。ヤマハ時代からの仲間だったデビュー前の大橋純子さんに歌ってもらったこともあります。制作の現場ではチーフだった笹島斌さんに可愛がっていただきました。新しい音楽を追いかけている自分に興味を持って、最初に声をかけてくれたのが笹島さんでした。PMPのサポートで僕の楽曲が海外に認めてもらえることになるんです」
時を同じくして、アメリカを再び訪れる機会を得た。1975年の春ごろ、キティの多賀英典の計らいで、小椋佳のロサンゼルス録音に同行できることになった。
「プロデューサーの多賀(英典)さんをはじめ、アレンジャーの星勝さんたちと一緒でした。72年のチリ音楽祭の際に立ち寄ったのはニューヨークでしたから、僕にとっては初めての西海岸。当時のロスは音楽のメッカで、音楽産業が一気に活性化していくころです。タワーレコードが日本にできる前のこと、レコードショップの大きさだけでも驚きでした。個人店舗が主流の日本とはまったく違い、広いフロアーにレコードが平積みにされ、いかに大量生産されているかがひと目で分かりました。日本に比べて値段も大幅に安い。大人買いなんて言葉はまだありませんでしたが、みんながレコード店に来ると2、3枚、もっと大量に買っていくのも当たり前でした」
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