32歳での復活、アイスダンスへの転向…異例のキャリアで挑戦を続ける高橋大輔の生き方とは – ニッポンドットコム

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昨年の12月22日~25日、大阪府門真市の東和薬品ラクタブドームでフィギュアスケートの全日本選手権が開かれた。今年3月にさいたまスーパーアリーナ(埼玉県さいたま市)で開催される世界選手権の代表選考を兼ねた大会であり、また日本のスケーターの誰もが憧れ、目標とする伝統ある舞台だ。
この大会で脚光を浴びた選手がいる。村元哉中(かな)と共に出場したアイスダンスで初優勝を遂げ、世界選手権出場を手にした高橋大輔である。
初めて優勝したことだけが脚光を浴びた理由ではない。高橋はもともとシングルで活躍していた選手であり、シングルで最後に優勝したのは2011年のこと。つまり、全日本選手権で表彰台の真ん中に立ったのは、実に11年ぶりだったのだ。また、シングルとアイスダンスの両種目で優勝した選手は日本初ということでも、記念すべき優勝となった。
それは日本のみならず、フィギュアスケート界では異例とも言える足跡を刻んできたことをも意味し、高橋という存在に今、大きな関心が注がれている。
あらためて高橋の経歴をたどってみたい。
高橋は06年トリノ、10年バンクーバー、14年ソチと、3度オリンピックに出場。そのすべてで入賞し、バンクーバーでは銅メダルを獲得。アジア男子で初めて表彰台に上った。10年には世界選手権でも日本男子初の優勝を果たしている。これらの成績が象徴するように、日本とアジアの男子を牽引してきたスケーターであった。
2010年の世界選手権ではシングルで金メダルを獲得。このとき高橋は24歳(2010年3月25日、イタリア・トリノ)AFP=時事
2010年の世界選手権ではシングルで金メダルを獲得。このとき高橋は24歳(2010年3月25日、イタリア・トリノ)AFP=時事
14年の秋、競技生活から退くことを発表。以前から痛めていた右膝の状態が思わしくなく、ソチオリンピックで金メダルを獲得した羽生結弦らが台頭。「世代交代」を指摘する記事も出る状況にあった。このとき高橋は28歳、フィギュアスケートでは十分にベテランの域にあり、年齢の面から引退を選択するのは自然な流れでもあった。
その後はプロフィギュアスケーターとして活動する傍ら、キャスターなどでも活躍していた高橋が大きな注目を集めたのは18年。現役復帰を表明したのである。
5シーズンぶりの復帰はフィギュアスケートでは、いやスポーツ全般を通してみても異例のことと言えた。このとき32歳、フィギュアスケートではすでに峠を過ぎていると見られる年齢でもあったから、なおさら、驚きをもたらすことになった。
復帰を決めた直接のきっかけは、自身がテレビのキャスターを務めた17年の全日本選手権にあった。平昌オリンピック代表の座を懸けて滑るスケーター、長期にわたるけがを克服し這(は)い上がろうとするスケーター、大会を最後の晴れの場として臨むスケーターがいた。順位にかかわりなく、一人ひとりが懸命に挑む姿があった。それを目の当たりにした高橋はこう語った。
「これまでは勝てないんだったら現役をやるべきではないと思っていたのですが、それぞれの思いの中で戦うというのもいいんじゃないかと思いました」
復帰戦は18年10月の近畿選手権。ここで3位となって西日本選手権に進出すると、優勝を果たし全日本選手権出場を決めた。すると全日本選手権では2位表彰台に上り、衰えを知らない姿を披露する。
復帰戦となった2018年の近畿選手権での演技(2018年10月7日、兵庫・尼崎スポーツの森)時事
復帰戦となった2018年の近畿選手権での演技(2018年10月7日、兵庫・尼崎スポーツの森)時事
高橋がもたらした驚きは、それにとどまらなかった。翌シーズンの開幕を前に、シングルでの活動を19−20年シーズン限りで終え、その後は村元と共にアイスダンスへ挑戦することを発表したのである。
シングルで数々の実績を挙げてきたスケーターの思いがけない表明は、フィギュアスケート界を超えて話題を呼んだ。だが、転向を選択する下地はあった。もともと「いつかやりたい」と言っていたほどアイスダンスが好きであったこと。シングルの選手として復帰後、あるコーチからふと「アイスダンス、やってみたら?」と言葉をかけられていたこと。そんなときに、前パートナーとの関係を解消していた村元からのオファーを受け、テストとして一緒に滑った後、決意するに至った。
もちろん、懸念はあった。同じく2人で行うペアと異なり、アイスダンスは常に近い距離で演技する必要があり、プログラムにジャンプを加える必要はない。また、アクロバティックな演技が禁止されているので、主に男性が女性を持ち上げる「リフト」もペアのように高々と上げるわけではない。それでもリフトはあるし、男性が支えとなる部分がある。だが高橋は164cm、村元は162cmと身長にさほど違いがない。体格差がない中で村元を持ち上げ、支えられるか不安視された。
また、スケート靴の形状もシングルとアイスダンスとでは異なる。ブレード(刃の部分)がアイスダンスの方が短く薄い、といった違いがあるため、「感覚が全然違います」と高橋も語ったように、滑る感覚をアイスダンスのブレードに適応させなければならない。シングルで世界レベルの活躍をしてきた高橋とはいえ、克服すべき課題は少なくなかった。
また、その挑戦を温かく応援する人がいる一方で、冷ややかな視線がなかったわけではない。シングルでいかに実績を残したとはいえ、アイスダンスは別物だから活躍できるか疑念を抱く人もいたし、そもそも現役復帰の時点から、ピークを越えた年齢での挑戦に限界があると考える人もいた。
だが、それは正しくなかった。高橋と村元は20−21年シーズンにデビューを飾ると、翌シーズン、急速の進歩を見せた。デビュー初年度の20年11月に出場したNHK杯での得点は157.25点で出場3組中最下位。だが21年11月のワルシャワ杯では190.16点をマークして2位となったのだ。
その後の全日本選手権こそミスが出て出場枠が一つしかない北京オリンピック代表を逃したが、初めて世界選手権代表に選出された。それはフィギュアスケート界の予想を超えた大躍進であった。
北京オリンピック出場を目標にしてきたことから、21−22年シーズン終了後に進退を再考した末、続行を決断。その分、開幕への準備が遅れたが、大会を重ねるごとに演技の完成度を高めてきた。
復帰後の高橋は、ときに冷ややかな視線を浴びつつも、それを覆す活躍で再び脚光を浴びてきた。予想を上回る成績を残してきたことはもちろんだが、シングル時代にも定評のあった「表現力」をアイスダンスの世界で発揮していることも理由である。「リスペクトしています」と高橋が言うほど信頼を置く村元というパートナーと共に、シーズンを経るごとに難易度の高い構成のプログラムに取り組みながら、国内外で高い評価を得る演技を披露している。
昨年12月の全日本選手権での「かなだい」こと村元・高橋組の演技(2022年12月22日、大阪・東和薬品ラクタブドーム)時事
昨年12月の全日本選手権での「かなだい」こと村元・高橋組の演技(2022年12月22日、大阪・東和薬品ラクタブドーム)時事
相当のトレーニングを積み、栄養の面でも工夫してきたのだろう。その肉体にはシングルのときよりも大幅に筋肉がついて、「両者の体格に違いがない」という懸念を吹き飛ばした。スケート靴をはじめとするシングルとのさまざまな違いも克服してきた。
「36(歳)でも進化できるんだな」
全日本選手権優勝後に高橋はこう語っているが、その言葉を具現化するのは驚異的としか言いようがない。何が高橋の進化を支えているのか。
18年の復帰以降で得た取材の機会に語った、いくつかの言葉が思い起こされる。
「フィギュアスケートにしかできない表現、魅力があると思うし、もっと可能性があると思うんです。もっと奥深いというか」
「できるだけ長くスケートで表現したい」
何よりも次の言葉に、集約されているのではないか。
「生涯、滑っていたい」
選手として試合で競いながら、表現を、滑りをどこまでも高めていきたい。いつまでもフィギュアスケーターとして活動したい。その思いこそが高橋の異例の挑戦と成長を支えている。
それはフィギュアスケートの世界において、今までになかった選手としての生き方の提示でもある。日本から発信される新たなスケーター像に海外でも関心が注がれ、称賛される理由がそこにある。
バナー写真:昨年のNHK杯のアイスダンスで、フリーダンスの演技をする高橋(右)と村元(2022年11月19日、北海道・真駒内セキスイハイムアリーナ)時事

フィギュアスケート アイスダンス 高橋大輔 村元哉中

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