【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】ワーナーからの移籍、竹内 … – ZAKZAK

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1991年3月25日に発売された中森明菜の通算26枚目シングル「二人静―『天河伝説殺人事件』より」は「明菜にはワーナー・パイオニアで最後のシングルになりました」(音楽関係者)。
ワーナー・パイオニアは、米国の「ワーナー・ブラザース」と日本の電器メーカー「パイオニア」、芸能事務所「渡辺プロダクション」の出資で、70年に設立され、72年にワーナー・パイオニアと社名変更した。
「洋楽色の強いイメージでしたが、最初のヒット曲は渡辺プロの新人、小柳ルミ子『瀬戸の花嫁』でした。比較的、歌謡曲路線でしたが、78年に渡辺プロが離れ、体制が変わる中で初めて手掛けたアイドルが明菜だった」(同)
アイドル戦略は不慣れな上、所属事務所の「研音」も音楽では実績がなかった。
しかし、「明菜の制作宣伝の担当が洋楽系のウドー音楽事務所でレッド・ツェッペリンやエリック・クラプトンら多くの海外アーティストの招聘に携わった寺林(晁)さん(2022年11月28日没)で、デビュー後にはワーナーの洋楽部で辣腕ディレクターだった藤倉克己さんが制作を担当するなど、実は明菜は洋楽色の強い環境にいたのです。それが明菜のアーティスティックな部分を形成し、セルフプロデュース能力を高めていったのだと思います」と、前出の音楽関係者は明菜を取り巻く環境が当時のアイドルとの「差別化」になったと言い切る。
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