担当ディレクターによる裏話続々! 『a-ha THE BOOK』出版記念 … – MUSIC LIFE CLUB

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MUSIC LIFE CLUB
11月3日(木・祝)@ 銀座ラウンジゼロ
第二部ゲスト:佐藤 淳氏(元ワーナー・パイオニア洋楽部)
『a-ha THE MOVIE』での印象深いシーン

佐藤:今度の映画を見て変わらないなと思ったのが、常に誠実で飾らない三人。例えばポールさんはイライラを隠さないし、誠実だからこそモートンさんはずっと悩んでる。
荒野:映画の中で印象に残っているシーンってありますか?
佐藤:映画を観て思い出したのが、かつて音楽業界のレジェンドの方から、「アーティストはレコード会社の連中にホントのことなんか話さない」と言われたこと。あ、このことなんだ……四人目のa-haとか名乗って浮かれていたけど、メンバーのことを俺は何ひとつ知らなかった。
荒野:なるほど。何が絆であの三人が結ばれているのか──がよく分かる映画でした。音楽、a-haという場所が友情云々を超えたところであるということ。
佐藤:ここしかない──感、結局ここに戻ってくるしかない。ポールさんとマグネさんがそれぞれ曲を書く、で、モートンさんは「そろそろメンバーになれたかな」みたいな第三者感があったりして。思い出したのは「マンハッタン・スカイライン」という曲、バラードで始まってハードになる展開で、マグネさんが愚痴ってたのは、「どうせバラードの美しいところはポールが書いて、ハードなところは俺が書いたと思ってるだろうけど、実は逆なんだよ」
荒野:そういう役割分担は80年代は見えにくかったと思いますが、だんだんそれぞれの色が出て分かれてきた感じはありますよね。
佐藤:80年代は「テイク・オン・ミー」のリプロデュースとか大人たちによる支配があり、そこから独立していく流れ。今回映画を観て『トゥルー・ノース』を聴いて、アイドルの呪縛からついに解き放たれたんだな──と思ったので、一応マグネさんに〈おめでとう〉ってメールを出しておきました。
荒野:『トゥルー・ノース』はかなり成熟したアルバムだと思います。
佐藤:これは自分のフェイスブックにも書いたんですが、初来日のときに全てのメディアの方が「ノルウェーの音楽状況はいかがですか」と同じ質問をするので、僕も含め皆んな若かったからイライラして、その対応として、一案は〈壁に質問の答えをあらかじめ書いておいて、黙って指を差す〉、二案は〈自分たちは食事に行って通訳の肥田さんに回答を託す〉っていうような、生意気盛りの僕たちでした。ともかく革命的なビデオで出てきたルックスのいい人たちという以外に手掛かりがなかったんでしょうね、僕は「他の曲は聴きましたか?」って心の中で問いながら繰り返されるインタビューをやり過ごしてました。
荒野:これは来たな!という手応えがあったライヴとか、なにか記憶に残っていますか?
佐藤:僕の五年間はまだ途上期でしたね。コンピュータを多用したレコーディング・アーティストだから、ライヴ・バンドとしてはスタートに近い時期だった。だから、皆さんに助けていただく瞬間──ステージの縁に腰掛けて生ギターで「ハンティング・ハイ・アンド・ロウ」とかを皆さんと歌うときに、〈来る〉んです。結局、歌声とメロディなんだなということと、皆さんもそこを愛してくれている──というのが鳥肌ポイントでした。武道館で舞台からマグネさんが僕の名前を呼んでくれた時は、「この人たちと一緒に武道館まで来たな」と思いました。一回途中で止まったりして演奏は大変そうでしたけどね。
荒野:世間的に最近はバンドって経費的なこともあり維持が難しくなって、打ち込みとか手軽にできる方向に向かっている中、彼らは人間を使ってバンドでツアーをするということに拘ってますよね、初期はコンピュータを使うポップ・ユニットというイメージでしたけど、本質的にはバンドマンなんだなというのを新作で感じたんですけど。
佐藤:コンピュータが入ってきた時代でしたけど、成り立ちはポールさんとマグネさんが始めた……というバンド少年。それが今まで40年、紆余曲折がありながらよくぞa-haの看板で続けてくれたなぁ──と、大昔関わった者としてはしみじみ思います。
荒野:最近はメディアへの露出も変わってきて、他のメンバーではできないけど、例えば『マスクド・シンガー』という番組にモートンがマスクを被って出てたり、そういう器量があるということですよね。
佐藤:彼は役者をやったりもしています。最近、意外なところから話が伝わってくるんですよ、僕が以前いた会社のデンマークの同僚から「モートンがよろしくって言ってた」とか、映画の配給会社の方がニューヨークでモートンさんにインタビューをした時に「あぁ日本の取材か、JUN SATOっていう親切な人によろしく」って言われたとか。親切??  怒鳴られるくらい宣伝し倒したんですけど……モートンさんは一つ違いのご高齢なので、そろそろ全ての記憶が美しくなったのかな(場内爆笑)。
荒野:さっきの『マスクド・シンガー』も臨機応変に対応できてるところがいいなと思ったんです、バンドの中で役割分担ができている気がします。モートンも作曲はしてるけど、a-haという場所に関しては、『トゥルー・ノース』もそうですけど、作曲というエリアには敢えて干渉しない、ポールとマグネの二人に委ねる──自然とそういう決め事があの三人の中にはできてたんだなっていう気がしました。
佐藤:一方で、ポールさんとマグネさんがどんな曲を書こうと、モートンの声がなければそれはa-haではないので。そういう意味ではほぼ完全な三角形。しかし、よく出ますよね、あの声。
荒野:どうやって保ってるんだろう。
佐藤:最初のプロモーション来日のときは芝浦インクスティックでショウケースをやったり、色々なマスコミに取材していただいたんですけど、次にコンサート来日してもうワンランク上の会場でライヴをするとなると、取材が制限されるんですよ、モートンの声を保つために。だから当時は「なんで取材を受けないんだ!」とプレスから怒られながらモートンの声を守りました。今は声を保ったりコントロールしたりする術も当時より多いと思います。
荒野:色々なシンガーの方を取材してきて、よく聞くのは、〈会話で喋るのは喉に凄い負担がかかる。だからなるべくライヴ当日とかデリケートな時にはあまり喋りたくない〉。その辺りモートンは凄く慎重にしていたということですね。ではここで、前回のイベント開催に際して皆さんから前もっていただいた質問があるので、それを佐藤さんにぶつけてみたいと思います。
佐藤:80年代の話だけにしてくださいよ(笑)。
a-haについてのQ&A

Q:来日時の三人についてのエピソードを言える範囲でお聞きしたい。
佐藤:宿舎からポールさんと(ローレン・)サヴォイさんのカップル(当時はまだ結婚していなかったと思いますけど)を冷凍車に入れて逃がしました。その時、ポールさんらしいなぁ〜と思ったのは、出て行く時「It’s supposed to be a romantic night(ロマンティックな夜になるはず)」って言ったんです、ポールさんとはほとんど喋ったことはないんですけど(笑)。そして「テイク・オン・ミー」が全米ナンバー・ワンになった後、残念ながら徐々にアメリカではあまりヒットが出なくなった、でも皆さんのお陰で来日コンサートができた──という頃、ポールさんから、「アメリカのチャートがなくても、ここまで持ってこれたね」ってビジネス・パートナーみたいに言われた。
荒野:アーティストはなかなかそういうことは言ってくれないですよね。
Q:映画にも出てくる、新幹線の中でモートンが「ハンティング・ハイ・アンド・ロウ」を歌うのは自然な流れだったのでしょうか。
佐藤:京都に向かう移動中、新幹線車内でポールさんの生ギターでモートンさんが歌い出す、あれはワーナー側でTVKの撮影クルーに密着でついてもらったもの。よく見ると分かるんですが、ギターを弾きだした時にノルウェー語で「◎▼■○…モルツ…」ってポールさんが顎で〈やれ〉みたいな合図をするんです、あの瞬間に〈あ、ポールさんが音楽的な指示者で、こういう構造の三人なんだな〉と思った。これはどのアーティストもそうですけど、初めて接する時はできるだけ早くその中の力関係を察知しなければいけない。例えばマネージャーよりメイクアップの人の方が影響力を持っている(笑)──とか。
荒野:a-haのスタッフで印象に残っている方はいます?
佐藤:「シャイン・オンTV」のPVでベースを弾いているマネージャーのテリー・スレイターさんが凄く強く握っていて、場所は覚えてないのですが、ホテルのレストランで食事をしている時、そこで酔っ払ったイギリス人のオジサマ二人組が「なんかa-ha〜とかいうのが来てるんだろ〜〜」って聞こえよがしに言った。それを聞いた瞬間スレイターさんは立ち上げって二人組の所に行き、バン!!とテーブルを叩いて「Do you have a problem?」。昔気質のタイプだなと。
荒野:そういう腕っ節の強い人も側にいないと。
佐藤:コンサートのエージェントがメル・ブッシュさんというベテラン。その二人にa-haは守られていた。
Q:日本への思い入れはメンバーにどれくらいあったのでしょうか。
佐藤:『トゥルー・ノース』を聴いて僕がマグネさんに〈昔は取材の度にノルウェーの音楽状況を質問されましたが、ついにあなた方は「これがノルウェーの音楽だ」と言い返せるアルバムを作れましたね〉ってメールを出したんです。そうしたら〈皆さんのおかげで日本という国をより深く知りたいと思い、本当に感謝しています〉という返事が来ました。
荒野:そういう風に〈常に日本を気にかけてくれているバンド〉って印象はありますよね。
Q:今もう一度メンバーに会ったら言ってあげたい言葉はありますか。
佐藤:「映画見たよ」と、『トゥルー・ノース』の話はすると思います、「ここまで来たんだなぁ」って。でも現担当じゃなく昔一緒に戦った仲間なので、今はあまり喋ることはないんです。昔のことをしみじみ語るほどあの人たちは後ろを向いてないし。
Q:バンドがここまで長く続くと思いましたか。
佐藤:誰も思ってなかったでしょうね。単に上を向いているわけじゃなく、アップ&ダウンしながら『トゥルー・ノース』に届いたというのが、本当に「おめでとう」と言いたいです。
Q:佐藤さんにとってa-haはどんなアーティストでしたか。
佐藤:レコード会社との親密度は、プロモーション来日がある/なしでもの凄い違うんです。コンサートで来日した時ずっと付いているのは招聘元の担当者さんなので、レコード会社は一歩遠い感じ。それに対しプロモーション来日は自分でスケジュールを組めるし、彼らも窓口の僕しか知らないから近しくなるかな。ただ毎月5枚くらい作品を担当してましたしずっとa-haに連絡するという暇もないので、僕にとってはデビューを担当させてくれた、僕に居場所を作ってくれた、いくつかの偶然も含め特別なアーティストです。
荒野:こういう機会なので、会場でご質問のある方いらっしゃいますか。
Q:勝山です。すみません私で(笑)、佐藤さんが個人的にa-haの曲で一番好きなのはなんですか。
佐藤:初期、一緒に動いていた頃は「ボーイズ・アドヴェンチャー」、僕らみたいだ!って勝手に思ってました。最近頭の中でグルグルしてるのは「マンハッタン・スカイライン」。後、困った時にa-haを聴くと韓国コスメクラスのデトックスがあるらしいです。
Q:櫻井です。a-haのデビュー・プロモーション当時、先に日本で人気があった、G.I.オレンジなどのプロモーションは参考にされましたか? 彼らも日本各地を長期間ツアーして、洋楽の入り口にいた地方の少女たちにとっては「会いに行ける洋楽アイドル」的な存在でしたし、80年代にa-haが地方まで遠征していたのは、G.I.オレンジを意識した戦略だったのかもと思ったのですが。
佐藤:ここにいらっしゃってる皆さんがa-haについていてくれたので、敵じゃないです! (笑)。来日時にあれだけ日本各地を廻ったのはa-haとヴェンチャーズさんくらいだと思います(席に戻ったら「カーペンターズは津々浦々廻った」と肥田さんに教わった)。初めて見た洋楽アーティストがa-haだとも言っていただいて、腰の強い応援をずっとして貰えたんじゃないかな。
荒野:佐藤さん、今日は長々とお付き合いいただきありがとうございました。
佐藤:ありがとうございました。

この後a-haの『トゥルー・ノース』ミュージック・ビデオ他が上映され、櫻井さん、勝山さんのサイン会が行われた。
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