実写版「東京リベンジャーズ」が今夜地上波で放送!昭和、平成、令和にみるヤンキーファッションの変遷| – @DIME

恥ずかしながら、親父が元ヤンキーである。
3歳ぐらいの頃には蒸発してしまったが、記憶の中にうっすら残っている親父の残像は、若い頃の島田紳助みたいな風貌であった。
80年代後半の記憶だ。当時はああいうルックスのヤンキーは多かったし、頭にはパンチパーマをあてている者も多かった。
バイクでの暴走行為もやっていたようで、母親も影響を受けてバイクの免許を取得していたようだが、僕が生まれてからは普通免許を取得していた。
もしかすると母親もスケバンかなにかだったのかもしれないが、知りたくないので聞いていない。
さて。
7月30日(土)に、フジテレビ系の『土曜プレミアム』枠で、21時から映画『東京リベンジャーズ』が地上波初放送となる。
しかもノーカット。映画のテレビ放映にありがちな、ところどころを省略する措置がとられておらず、23時30分までしっかりと放送するようだ。
フジテレビの、この放送にかける熱意のほどがうかがえる。
この『東京リベンジャーズ』。説明不要の人気コミックを原作としたもので、こちらは2017年から連載スタートとなっている。
作中にはさまざまなヤンキーが登場するが、タイムリープ要素とサスペンス性のあるシナリオがウケており、従来のヤンキー漫画とはかなり毛色が異なっている。
そしてこの原作漫画人気を受けてアニメ、舞台化も果たしているし、昨年には実写映画も公開となった。
30日に放送されるのは、その実写版となる。
今日は『東京リベンジャーズ』という作品の醍醐味について、とことんまで語りつくそう…と思ったのだが、今となってはそもそも日本における「ヤンキー」とはなんぞや、という部分について、あまりスポットライトが当たらなくなっているように思える。

ことさらにヤンキーだ、不良だと忌諱されない時代になってきたというか、他人にそこまで興味を持てない時代になったというか。
そこでちょっと、今回は昭和から今に至るまでのヤンキーの見た目に関する部分だけでもおさらいしてみよう!
時代を経るごとにヤンキーのルックスのバリエーションって、実は結構豊富になっているのだ。
ということでまずは昭和のヤンキー。
一口に昭和と言っても年数が60年以上あるので、不良の種類は色々とある。
ヤンキーの前進はツッパリと呼ばれていたが、そのツッパリが幅を利かせていたのは昭和40年代頃の話で、西暦で言えば1970年代にあたる。
大辞泉によると、「虚勢を張り、不良じみた態度をとること。また、その者」とある。
この当時のルックスと言えば割と画一化されているというか、服装面で言えばボンタンと呼ばれていた改造ズボンが当時としてはおなじみであった。
丈が長くて履き心地の悪そうなズボンである。
それに加えて、上着も多少の刺繍が入っているケースも多く、髪型に関しては剃り込みが入っていたり、リーゼントというスタイルが基本。
誰が見ても「あ、不良だ」と分かりやすい見た目だったのは、ある意味親切か。
これが昭和50年代の半ばぐらいになると、ヤンキーと呼ばれる不良の数が増えるようになる。
ヤンキーというのはもともとはアメリカ人の俗称であるが、第二次世界大戦後は日本においても米国文化が流入し、いつしか不良青年たちもアメリカの若者の風俗習慣を、髪型やファッション面で影響されて、ヤンキーと呼ばれるようになったとのこと。

スカジャンやアロハシャツなどを着用し(着こなせていた者は少ない)、ツッパリとは違って改造制服にこだわらず、ジャージを着用する者もいた。
今見るとこの頃のヤンキーの服装はなんとも個性的で面白いものが多い。
髪型に関しては従来のリーゼントヘアにカラーを入れたり、パーマを当てたりするなど、徐々にヘアスタイルで個性を演出する者が増える。
さらに複数のヤンキー漫画の連載がスタートしたことで、その登場人物の髪型にインスパイアされたヤンキーも出ることとなり、髪型のバリエーションは一気に激増することとなった。
ただ、昭和50年代半ば頃まではツッパリもまだ多かったので、不良集団にいわゆるツッパリスタイルの者と、ヤンキースタイルの者とが混同していたということになる。
昭和の時代にツッパリ文化からヤンキー文化へと自然に鞍替えしていった不良青少年たちがぼちぼち親世代になる頃、元号が変わって平成となった。
しばらくは昭和のヤンキースタイルが踏襲されていたが、徐々に新しいファッションが目立つようになる。
上下スウェットで足元にはサンダルやクロックスなどラフな格好のヤンキーというのが増えてきて、以前のヤンキーと比較するとそこまで上下関係も厳しくないというか、世代間の繋がりが薄くなっていく。
人と人との繋がりの希薄さがこの頃から指摘されるようになったが、平成になると「地元では伝説のやばい先輩」などの逸話が口伝されなくなったことで、自由に日々を謳歌するヤンキーも増えたようだ。それと同時に、めちゃくちゃ暴力的なヤンキーの数は減っていったというか、イキるときはイキるけど、1人のときは大人しいというヤンキーも見かける機会が増えていく。
平成10年頃からB系のファッションを好むヤンキーも出たように記憶している。
オーバーサイズの洋服を着用し、カーステでHIPHOPを大音量で流してるヤンキーが、赤信号でちゃんと停止せずに、パトカーとそのままカーチェイスになる様子を僕も見たっけ。
髪型に関しては、割と普通のヘアスタイルというか、髪型込みでの自分のルックスに固執するようになったというか、奇抜なものは見られなくなり、ちょっと脱色した程度のヤンキーが増えていったのも平成のある時期からの特徴。
「リーゼントとかモテないし、眉はイジるけど剃り込みも入れないよ」というヤンキーが多数派となった。
言ってみれば、昭和のヤンキースタイルの放棄というか。
平成一桁の頃からJ-POPブームが到来して、CDが売れに売れる時代になると、浜崎あゆみなどのトップシンガーに共感する若者が続出し、ファッション面で彼女に寄せた色使いをするヤンキーも見かけるようになったもの。
あと、昭和のヤンキーも白マスクをあえて着用している者がしばしばいたが、平成の頃のヤンキーぐらいから黒マスクも着用するようにもなっている。
それにしても、コロナ禍前まで黒マスクを見かけるとちょっと警戒してたけど、今はもう普通になってしまった。時代の変化する流れは早い。
今じゃ年輩の女性でも、黒マスクなんかよりもっとドギツい刺繍の入ったマスクを愛用していたり。
ちなみに筆者は平成の大半を宮崎のド田舎で暮らしていたが、やることがない地域なので暴走族がとにかく多く、ヤンキーもそこら中にいた。
毎年決まった時期にはわざわざ走り屋たちが集まって暴走するという終わってる文化みたいなものもあって、それを目当てに大勢の不良とその予備軍、暇人、ヤンキー好き女子などが集まっていた。
そういえば今年もそういう暴走案件が宮崎で起きたようで、数名逮捕されるというニュースが全国区で流れていた。
平成も終わり、元号変わって今は令和。
相変わらず不良を見かける機会はちらほらあるが、ヤンキーという呼称自体は結構過去のものになりつつあるような…。
ヤンキーと呼ぶほど、そこまでアメリカの文化に精通しなくなったというか、服装もだいぶバラエティが豊かになったきらいがある。

今後、いわゆるヤンキー扱いをされていた不良青少年がそのファッションをどう変化させていくのか。
これは推移を見守るほかないんだけれども、個人的には不良にも服装と髪型に関しては多様性が浸透していて、昔みたいに「お前ツッパリなら鬼剃り入れろや」みたいなやり取りも、もう霧散しそうだな、と思っている。
不良界隈には今後、「みんなちがって、みんなワルい」が定着するのかもしれない。
文/松本ミゾレ
編集/inox.
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