川村元気「失敗と反省」 ロングインタビュー(前編) : 川村元気 誰も知らない100の企み – 映画.com

2022年9月16日更新
電車男」に始まり、「告白」「悪人」「モテキ」「おおかみこどもの雨と雪」「君の名は。」「怒り」「天気の子」など、これまで40本の映画を手がけてきた川村元気氏は、映画業界ならずとも、クリエィティブな仕事に従事する人々にとって無視することができない存在といえるでしょう。今年、映画プロデューサーのほかに小説家、脚本家、絵本作家など、実に多くの顔を持つ川村氏に、「映画監督」という肩書きが新たに加わりました。
自らの祖母が認知症になったことをきっかけに、人間の記憶の謎に挑んだ自著「百花」の映画化に際し、なぜ監督を務めようと思ったのか。激務をこなす川村氏にとって、仕事というカテゴリーにおける効率、非効率の線引きはどこにあるのか。
この連載では、本人のロングインタビューや仕事仲間からの証言集などを通して、全7回で「川村元気」を紐解きます。映画人としてのキャリアをスタートさせてから「百花」に至るまで、100の企みに迫っていきます。
第6回、そして最終回となる第7回では、川村氏のロングインタビューを前編、後編という形でお届けします。この連載で川村氏の成功体験を改めて紹介するつもりはありません。2001年に東宝に入社してから、2022年に「百花」の原作・脚本・監督を手がけるまでの20余年で得た学びを、「失敗と反省」というテーマに基づいて語ってもらいました。
●目次
■映画人だった父の英才教育
■大阪・難波で過ごした新人時
■金髪のとんでもない先輩
■東京に戻って最初の仕事
■後輩の企画を先輩が奪わないカルチャー
■「電車男」後の気づきは、自己模倣はダメ
■驕りはない 最初から生意気だから
■映画作りの先生は中島哲也李相日
■「告白」「悪人」は社内で落選寸前の企画
■時間の使い方、頭の中の整理の仕方
■震災後に訪れる“心”の変化
川村氏は上智大学文学部新聞学科を卒業後の2001年、新卒で東宝に入社。そもそもどのような経緯で映画業界を志望するに至ったのでしょうか。
川村:父親が日活で藤田敏八組の助監督をしていたようです。当時の日活の給料では、赤ん坊の僕を養っていくことが出来ず、映画業界で生きていくことを諦めざるを得なかったそうなんです。
(C)1982 Universal City Studios, Inc. All Rights Reserved.
ただ子どもの頃から、英才教育は施されていました。3歳の頃に初めて映画館で観たのが「E.T.」。そして週末になると、フェリーニの「道」、川島雄三の「幕末太陽傳」、リドリー・スコットの「ブレードランナー」、宮崎駿の「風の谷のナウシカ」という謎のチョイスを、ローテーションで見ていました。
父親も元映画人でしたし、必然的に映画の仕事に入っていったという感じですね。他の選択肢がなかったわけではないのですが、内定をいただいたのが映画会社だったというのは何かの縁なのでしょうね。
――入社後、配属されたのは大阪・難波の南街会館という劇場勤務。最初から希望通りということではなかったわけですね。
川村:企画がやりたくて入ったのですが、生意気だったんでしょうね。「関西へ行ってこい!」ということで、「映画興行発祥の地」という記念プレートがある南街劇場でモギリをしたり、パンフレットを売ったりしていました。
――「映画が作りたい!」という気持ちとは裏腹に、劇場で働く毎日に焦りはなかったのでしょうか。同期たちの動向も、全く気にならなかったと言い切ることはできないはずです。
川村:映画を企画する仕事ができるのかなと思ったら、関西の劇場勤務。「なんだよ……」と思いながらも、そもそも映画館という場所は好きでしたから、南街劇場での仕事は純粋に楽しかったです。
お客さんは鑑賞料金を払って中に入れば、1日中いられる古い興行システムの最後の時期。そんな時に「千と千尋の神隠し」が公開され、信じられないくらいお客さんが来てくれました。ギュウギュウで、立ち見も出て、「ニュー・シネマ・パラダイス」みたいな光景だなあって。
劇場で観客の興奮を目の当たりにするにつけ、「映画ってやっぱりお金を払ってくれる人たちによって作ることができているんだな」とリアルに感じることができました。この人たちが面白いと思ってくれるか、映画館に行こうと思ってくれるか……、そういう気づきがありました。モギリ時代に知ることのできた、僕の原点ですね。
当時、劇場の事務所でガンガン音楽をかける金髪のとんでもない先輩がいました。でも1年後、その先輩が「本社の宣伝部に呼ばれたから帰るわ」って言われて、寂しかった。更にその1年後、僕が本社へ異動となり共に働くことになりました。僕が手がけた「告白」や「モテキ」の宣伝プロデューサーを務めてくれたのは、その金髪の先輩・鎌田亮介さんでした。天才的なセンスの宣伝プロデューサーで、それらの作品は彼にヒットさせてもらったと今でも思っています。
シネコンになる前の映画館ですから、暇な時もあるんです。仕事が終わった後、館内の小さな事務所で企画書を書いたりして、ある意味で凄くピュアですよね。「この劇場に将来、来てくれる人たち」に向けて企画書を書いていたわけですから。僕が大阪から送る企画書を見つけてくれたのが、東宝の現会長・島谷能成さんでした。「大阪から面白い企画書を送ってくるやつがいる」って。それで、右も左も分からない23歳の若造が企画・編成のセクションに呼ばれ、現場に放り込まれたんです。
――映画製作の中枢ともいえる部署では文字通り新人だったわけですが、どう活路を見出していったのですか?
川村:当時の東宝は今ほど映画を作っていなくて、現在の半分以下だったと記憶しています。僕の最初の仕事は、坂元裕二さんが書いた「世界の中心で愛を叫ぶ」の脚本を読んで、上司の市川南さんにその感想を伝えるというもの。ちょうど、“セカチュー”の開発をしていた時期だったんです。
何もかもが新鮮でした。坂元さんの脚本をいち早く読める。撮影所へ行けば、森田芳光監督が「阿修羅のごとく」を撮っていたり……。“映画小僧”が本物の映画人たちに会いながら、アマチュアがプロになるにはどうしたらいいんだろうと常に考え、圧倒的に本を読むしかないだろうと、年間300冊くらい読んでいました。
とはいえ、東野圭吾さんや宮部みゆきさんのようなベストセラー作家の原作権を、新人の自分が取れるわけがない。有名監督や人気俳優の伝手もない。途方に暮れてインターネットを探り始めたら、2ちゃんねるで「電車男」を見つけたんです。
その時に、これまで観てきた映画たちが、僕を助けてくれることになりました。インターネット発のトゥルー・ラブストーリーである「電車男」を、ビリー・ワイルダーの「アパートの鍵貸します」みたいなロマンティックコメディというフレームで作れないかなと。
それで25歳の時に必死に企画書を書いたら、島谷さんが面白がってくれて、2ちゃんねるのスレッドの分厚いプリントアウトを持って回って役員たちを説得してくれたんです。東宝という会社の良いところは、後輩の企画を先輩が奪わないこと。企画者が最も大事にされるべきだというカルチャーがあるんです。
――普通に考えれば、まずは先輩の壁と戦うところから始まりますよね。原作権は問題なく取れたのですか?
川村:「電車男」は新潮社の郡司裕子さんという方が編集担当だったのですが、1本も映画を作ったことがない若造の提案を、どこか面白いと思ってもらえたようで原作権を託してくれました。
キャスティングやプロダクションの組み立ては、市川南さん、山内章弘さんら、東宝の先輩方が手伝ってくれましたし……。そういう方々の思いに報いるためにも、なるべく本を読もう、何かしら面白いアイデアをお土産に持っていこう……と考えていました。
――2005年に公開された「電車男」は興行収入37億円の大ヒットとなりました。その後、「スキージャンプ・ペア Road to TORINO 2006」「7月24日通りのクリスマス」などを企画されていますね。
川村:訳が分からないなりに作った「電車男」が大ヒットしましたが、バットを偶然振ったらホームランになったような感覚です。再現性がないんです。無我夢中で、どうやって作ったか分からないわけですから。「電車男」みたいな作品を当然期待されて作ったのですが、興行的な結果には繋がらない時期でした。
それで、「自己模倣みたいなことをやっていてはダメなんだ」と思い至りました。もともとサブカル的なものが好きだったので、「東宝でもやってみればいいじゃないか」と吹っ切れて作ったのが「デトロイト・メタル・シティ」です。
(C)2008「デトロイト・メタル・シティ」製作委員会
「音楽と映像を関係させる」というのが、自分の映画作りのテーマのひとつであり、武器だとも思っています。「デトロイト・メタル・シティ」は「ヤングアニマル」に掲載されていたのですが、版元の白泉社で編集担当をしていた永島隆行さん(現・同誌編集長)が、「スキージャンプ・ペア Road to TORINO 2006」を大好きでいてくれたんです。
結局、自分なりに3年間、試行錯誤していた時期に作ったものが誰かの目に留まり、それがきっかけで原作権を預けてもらえた。「7月24日通りのクリスマス」も原作者の吉田修一さんとの接点が生まれ、その後の「悪人」「怒り」に繋がっていった。
1本1本、しっかりと取り組んでいれば、その瞬間で興行という結果には繋がらないかもしれないけれど、どこかで伏線が回収されるような瞬間もあるのかな……とも思えた時期でした。
――「電車男」の興収37億円のあと、数年を経て「陰日向に咲く」が興収19.5億円、「デトロイト・メタル・シティ」が興収23.4億円と結果を残していきます。年齢的にも、多少の驕りはありましたか?
川村:僕は最初から生意気で、根拠のない自信ばかりあって、何も作っていないくせに先輩に偉そうなことを言っていました。だから、ヒットしたからといって偉ぶることもなかった(笑)。それが長くやってこられた理由なのかなとも思っています。
スタジオジブリ鈴木敏夫さんは「自分の仕事を他人事と思え」と仰っていますが、僕も映画がヒットしても、自分の手から離れた瞬間にどこか他人事で、自分のことじゃないような気分になるんです。映画は多くの方々と一緒に作っていますから、ヒットしても自分のおかげじゃないし、コケても自分だけのせいじゃない。
作り続けるって、どこかそういう「他人事」のマインドが必要なんじゃないかと感じるんです。だから、「俺が当てたぜ!」みたいな時期はなかったかもしれませんね。
――2010年に公開された「告白」では中島哲也監督、「悪人」では李相日監督と仕事をすることになります。当時30歳くらいですよね?
川村:僕にとって、映画作りの先生がいるとしたらこの2人かもしれません。20代の頃に持ち合わせていた技術や方法論なんて、素人に毛が生えた程度だったんだと思い知りました。
2人からは、映画作りのテクニック、方法論、そして精神性を深く学ばせてもらいました。ただ、2人の映画作りの方法論が真逆。対局の2人と、ほぼ同時に漢字2文字のタイトルの映画を作る……。勉強の場としては、最高でした。
(C)映画「告白」フィルムパートナーズ
(C)2010「悪人」製作委員会
下妻物語」「嫌われ松子の一生」を撮った後のキレッキレの中島哲也、「フラガール」を作った直後でバッキバキの李相日とつばぜり合いを繰り広げました。若気の至りですよね。圧倒的に才能ある2人と同時に……、今だったら無理でしょうね。精神的にも、体力的にも。
ただ、少なくとも2人に食らいついて勉強しようという気概だけはありました。人生で一番勉強したんじゃないかな。学生時代から、いかに授業をさぼろうか、楽して単位を取ろうか……なんてことばかり考えてきたけど、真剣に勉強しようと思ったのは2人との仕事がきっかけ。中島さんは脚本をどうやって作っているのか、李さんは現場でどういう演出をするのか。
そうは言っても、中島さんは本当に怖いし、李さんは粘りに粘って撮影が終わらないし、「この人たち、信じられないな」と思うことはたくさんありました(笑)。2人はプリプロダクションも凄いし、ポスプロの編集も勉強になることがいっぱい。15年ちょっとで映画を40本も作らせてもらいましたが、自分の中で「告白」と「悪人」は圧倒的な体験としてベースになっています。
――でも、その圧倒的な体験となった「告白」と「悪人」の企画を通すのは大変だったとか?
川村:2本とも、社内の会議では落選寸前の企画でした。「告白」は、内容的にコンプライアンスどころの騒ぎじゃないぞと大問題になったんですが、この時も高井英幸さん(元・東宝社長)が「これ面白いからやろうよ」と言ってくれて、ギリギリでゴーサインが出ました。
悪人」も危なかった。役員室の前で待ち構えて、「絶対に通してください!」と訴えた記憶がありますから。そんな話を山田洋次監督にしたことがあるのですが、山田監督も「男はつらいよ」の企画を通すために、役員室の前で城戸四郎さんに食って掛かったことがあるという話をしてくださって……。みんな、同じことをやっているんだなって思いました。
すれすれでしたが、あそこで企画を通してくれなかったら、僕の映画キャリアはまるで違ったものになっていたはずです。あの時、役員室の前で待てるか否か、そういう泥臭いことが出来るかって大きいと感じていますし、人よりも一手多くやるということを原理原則にしています。
――役員室の前で待ち構えるって、川村さんのパブリックイメージではやらなさそうですよね?
川村:李さんに「悪人」を撮り終わった後に「どうして粘るんですか?」と聞いたら、「俺は天才じゃないけど、粘ることは誰でも出来るから」って。「なるほどね……、いや、出来ない、出来ない。粘るにも程があるでしょう。どれだけ胆力あるんですか」と心の中でツッコミを入れました(笑)。
李さんの“粘り”にも言えることですが、実は「一手多くやる」って誰でも出来ることのように思えるけど、ほとんどの人には出来ないことなのだなあって感じます。
――客観的に見ると、この2本を動かしながら翌年以降の準備もしなければならない。時間の使い方、頭の中の整理の仕方って、一体どうなっているんですか?
川村:僕は、ひとつのことに集中して、それをやり切れる人の方が凄いと思うんです。人間って色々なことを考えているから、こっちで行き詰ったら、あっちで……みたいに、ひとつの中だけで正解を見つけたり、面白いものを発想するのは不可能だと感じています。
なるべく他のことからヒントをもらおうとしてアニメをやったり、本を書いたり、音楽の仕事をしてみたり。僕は天才ではないから、周囲からインスパイアを受けて“向こう岸”で使えないかと常々思っている。
そういう意味では、色々なことを同時にやっていなかったら、実現出来ていないことはいっぱいあるでしょうね。そういう頭の使い方をしていないと、アイデアなんて出て来ないんじゃない? と思うんですよ。
――「告白」「悪人」の翌年には、「モテキ」が公開され、興収22.2億円の大ヒットのみならず、新たな客層を呼び込みました。
川村:大根仁監督との仕事は「モテキ」を皮切りに、「バクマン。」(監督・脚本)、「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」(脚本)、「SUNNY 強い気持ち・強い愛」(監督・脚本)と続くわけですが、「モテキ」にはJポップが25曲も流れます。裏テーマは、カラオケでした。
ミュージカルを作りたいけれど、日本人がいきなり歌って踊ったら違和感を覚える。でも、カラオケへ行ったら、みんな立って歌って、踊っている。カラオケみたいなミュージカル映画を作れないかな……というところから始まっているんです。この経験は、後の「君の名は。」に繋がっていきます。
(C)2011映画「モテキ」製作委員会
バクマン。」では、サカナクションに音楽を担当してもらいました。ご本人たちとも色々と試行錯誤しましたし、大根さんのサブカルチャーや音楽的知識にも助けられました。映画と音楽をどう関係させていくかを突き詰めていったのが、キャリアの中期と言えるかもしれません。
あと、「告白」「悪人」の後に、「世界から猫が消えたなら」という小説を書いたんです。これが大きくて、執筆中に「ここで音楽が流れたらいいなあ」と思いながら書いているわけです。それで、「映画の武器って音楽なんだな」という、当たり前のことに気づかされました。その流れを受けての「モテキ」「バクマン。」「君の名は。」だったのかもしれません。映画だけやっていたら、そこに気づけなかったでしょうね。
(C)2011映画「モテキ」製作委員会
――「モテキ」が公開された2011年は、東日本大震災が発生した年でした。川村さんの中で価値観が変わることはありませんでしたか?
川村:震災が起こったとき、ちょうど大根さんと「モテキ」の本打ちをやっていました。6月に撮影が決まっていたんですが、「こんなに大変な時に法被着て、神輿に乗るような映画を作っていいんだろうか?」という話になりました。
「エンタメなんて、なくてもいいんじゃないか」。誰もが思った時期でした。でも、チャップリンが戦争中に映画を撮り続けたように、こういう時にこそ喜劇的な映画が必要になると思ったんです。
何か大きなことが起こると、母がクリスチャンで、聖書を読んで育ったことも影響して、「神が今までの流れを一度絶って、違うように生きよ」と仰っているように感じてしまう。そこで、アニメへ行くわけです。全く違うことをやってみようと思って。そして、小説も書き続けてみようと。
川村氏はこの後、細田守監督や新海誠監督らとアニメーション映画でも大ヒット作を生み出していきます。詳細は、連載最終回の後編でお届けしようかと思います。どうか、ご期待ください。
大塚史貴(おおつか・ふみたか)。映画.com副編集長。1976年生まれ、神奈川県出身。出版社やハリウッドのエンタメ業界紙の日本版「Variety Japan」を経て、2009年から映画.com編集部に所属。規模の大小を問わず、数多くの邦画作品の撮影現場を取材し、日本映画プロフェッショナル大賞選考委員を務める。

Twitter:@com56362672
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