【洋楽】カントリー・ミュージックの歴史【起源編】 – 洋楽まっぷ

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カントリー・ミュージックという言葉は1940年代までは「田舎者」を意味するヒルビリー・ミュージックとも呼ばれ、ブルース、南部のゴスペルやスピリチュアルなどの教会音楽、オールドタイム、アパラチア、ケイジャン、クレオールなどのアメリカン・フォークに端を発し、これに並行して、ニューメキシコ、レッドダート、テハーノ、テキサスカントリーなどを由緒に発展したウエスタン・ミュージック(西部劇音楽)を包括する大衆音楽のジャンルです。
洋楽という括りの中でも日本ではあまり耳にしない曲も多いですが、全米ビルボードではカントリーの専門チャートがあるくらい確立されています。
このシリーズではカントリー・ミュージックの歴史をその起源から掘り下げながら解説していきます。今回はその起源をご紹介。
カントリー・ミュージックのルーツは、アメリカ南部そしてアメリカ南西部の音楽伝統に遡り、その録音が確認できる1920年代初頭に遡ることが出来ます。
※アメリカ南部の中においても、ルイジアナ州、ミシシッピ州、アラバマ州、ジョージア州、サウスカロライナ州の5州はディープ・サウス(深南部)として定義され、サウス・ウェスト(南西部)とはミシシッピ川以西の南部3州(テキサス、オクラホマ、アーカンソー)とされています。
アメリカ植民地全般に、過去300年近くにわたってイギリス諸島(イングランド、スコットランド、アイルランド)、ヨーロッパ、アフリカ、地中海沿岸からの移民は独自の民族音楽や楽器を伴ってやって来たのですが、南部ではその他の地域(あるいは北部)とは大きく異なった変化、発展をし、独特なスタイルを作り出しました。
入植当初から南部に移住した人々は農業中心の生活に在り、それが単なる物質的冨を獲得することよりもさらに一段上の価値があるものとみなし、農業中心の生活を維持する為には、分裂を引き起こす原因となりそうなことを務めて避けようとする保守的な立場をとるようになりました。
また南部は基本的に黒人奴隷制度を基盤にした社会であり、19世紀前半に至り、反奴隷制運動の高まりに対して、南部人は一層自己防衛を強め、反対する人々には高い壁をつくり、自らを孤立させていきます。白人優位、南部人の理想とする農業社会を守るために、アメリカ合衆国が全般に急速に都会化、工業化して行ったのに反し、南部には昔ながらの停滞が続くことになります。これが理由で、南部では移民が伝えてきた民間伝承が他地域よりも比較的生きながらえ、その地域独自の音楽を発達させていくことになります。
※ヒルビリー・ミュージックの「hillbilly」とは、そもそも、南部の山地住民、田舎者を意味し、彼らの保守性・貧困を軽蔑する言葉であると聞きます。
アメリカ南東部のアパラチア地方に移住した人々の民族音楽はアパラチア音楽へと発展しました。山間地の人々に限られていたのではなく、国家の西方への拡大とともに、ミシシッピ川とルイジアナはカントリーミュージックの交差点(クロスロード)となり、ケイジャン音楽が誕生しました。
アメリカ南西部では、ロッキー山脈、アメリカ開拓時代、リオグランデ川を背景に、ネイティブアメリカン、メキシコ人、カウボーイ・バラードが生まれ、ニューメキシコ音楽、ウエスタン・ミュージック(西部劇音楽)、それに直結するレッドダート、テキサスカントリー、テハノ音楽が発展しました。
1920年代に登場したアトランタの音楽シーンはカントリー・ミュージックの初期のレコーディング・アーティストを輩出する上で大きな役割を果たしました。
カントリースタイルを持つ音楽が初めて商業的にレコーディングされた曲として知られているのが、1922年6月に発売されたフィドラーのHenry Gilliland(ヘンリー・ギリランド)とEck Robertson(エック・ロバートソン)の「Arkansas Traveler(アーカンソー・トラベラー)」と「Turkey in the Straw(藁の中の七面鳥)」。
Henry C Gilliland · AC (Eck) Robertson – Turkey in the Straw – YouTube
ボーカルを含む音源として初めてレコーディングされたとされているのが、フィドル奏者のFiddlin’ John Carson(フィドリン・ジョン・カーソン)による「Little Log Cabin in the Lane」。こちらは1923年6月にレコーディングされました。
The Little Old Log Cabin In The Lane Fiddlin John Carson – YouTube
バイオリン奏者のGid Tanner(ギド・タナー)は、後にカントリー・ミュージックとして知られるようになる初期のスターの一人です。彼のバンド、Skillet Lickers(スキレット・リッカーズ)は、1920年代から1930年代にかけて、最も革新的で影響力のあるストリングス・バンドの一つでした。
その最も著名なメンバーは、フィドル/ボーカルのClayton McMichen(クレイトン・マクミヘン)、同じくボーカルのDan Hornsby(ダン・ホーンズビー)、 ギター/ボーカルのRiley Puckett (ライリー・パケット)、ギターのRobert Lee Sweat(ロバート・リー・スウェット)。ギド・タナーとライリー・パケットの2人は1924年にコロンビアと契約し、メンバーを集め1926年に結成。初期のヒルビリー音楽をレコーディングしています。当時は音楽チャートなどもありませんでしたが、アトランタとノース・ジョージアを中心に活躍しました。
The Skillet Lickers-Turkey In The Straw – YouTube
カントリー・ソングをリリースした最初の女性ミュージシャンとして知られているのは、Samantha Bumgarner(サマンサ・バンバーナー)とEva Davis(エヴァ・デイヴィス)の「Aunt」。カントリー・ソングとして全国的なヒットを記録したのが、1924年にリリースされたVernon Dalhart(ヴァーノン・ダルハート)の「Wreck of the Old 97」と徐々にレコーディングするミュージシャンが増えた中、初期の重要なカントリー・ミュージシャンとして知られているのが「カントリー・ミュージックの父」と広く云われているJimmie Rodgers(ジミー・ロジャース)とCarter Family(カーター・ファミリー)。
ジミー・ロジャースはヒルビリー カントリー、ゴスペル、ジャズ、ブルース、ポップス、カウボーイ、フォークを融合させ、1928年にリリースされた「Blue Yodel(ブルー・ヨーデル)」は100万枚以上売り上げたとされています。
Blue Yodel – Jimmie Rodgers – YouTube
多くのミュージシャンがレコーディングできるようになった環境は、タレントスカウトの活動を行っていたレコーディングエンジニア、レコードプロデューサー、音楽出版者のRalph Peer(ラルフ・ピア)が大きな功績を残していると言えます。彼はオーケー・レコードのレコーディング・ディレクターとして雇われ、フィドリン・ジョン・カーソンを見つけてレコーディングするきっかけを作っており、1927年にはテネシー州ブリストルで開催された一連のレコーディング・セッション「Bristol sessions」を企画し、南部のいくつかの主要都市に訪れてはブルース、ラグタイム、ゴスペル、バラード、ストリング・バンドを見つけてはレコーディングを行っていきました。ジミー・ロジャースとカーター・ファミリーはこのセッションでレコーディングしています。
当時30歳だったジミー・ロジャースはそれまでになかった新しい技巧とスタイルを持ち込んで大変な人気を博しました。
その影響力は絶大で、「カントリーミュージックの父」と云われるにふさわしく、後の世代のカントリー音楽界を大きく変革しました。後代の芸能人にこれほど深く、しかもはっきりと認めることのできる影響を与えた歌手は少ないと思われます。
多くの人々が彼の歌を(レコードを通して)聞いてインスパイアされ、ギターを手にして歌い、彼に追従するものが続出しました。彼の登場以来、音楽を趣味や片手間ではなく、職業にしようとはっきり意識する者が増え、ヒルビリーは一層商業的なものとなって行きました。それにも増して、彼はギター、フィドルの名手でもなく、彼の個性的な歌唱スタイルそれだけの人気を博しました。
ジミー・ロジャースは健康を理由にテキサス州に居住、活躍の場を南西部に移し、しかもテキサス州を最大の誇りとしました。こうして、カントリー・ミュージックはジミー・ロジャースの出現以来、大きく南西部に移動しました。南西部の音楽要素が入り込み、南東部の伝統音楽的特質が失われて行きました。
彼のレコードの売り上げは飛びぬけており、その大部分は貧しい農民・工場労働者の多い南部州での売り上げでした。ヒルビリー、ゴスペル、ジャズ、ブルース、ポップ、カウボーイ、フォークを融合し、「Blue Yodel」など、多くを作曲、彼は初期カントリーミュージックにおける第一級のシンガーでした。彼の後に現れた歌手にはジミー・ロジャース流の歌い方をする者が増え、特に「Blue Yodel」の技巧に魅せられている者が多くいました。「Blue Yodel」はブルースの一変形であり、カントリーミュージックに黒人の影響がそれまで以上及び、それまでの民俗音楽の特質が一層失われたことになります。
同じくラルフ・ピアによって発掘されたカーター・ファミリーは、A.P. Carter(A.P.カーター)と妻のセイラ、それにA.P.の妹、Maybelle Carter(メイベル・カーター)の3人。メイベル・カーターのギター奏法は革新的なもので、近年に至るまでギターを覚えようとする者にとって彼女の奏法が目標となったほどでした。近年のフォーク・ギタリストもウディ・ガスリー(Woody Guthrie)などを通して彼女の影響を受けています。
彼らの歌そのものは、一般のアメリカ人が始めて耳にする伝承ものが多く、同時に教会で覚えたハーモニーを応用、人々に覚えやすく、命の長いものにしています。1927年から17年間、 The Cartersはアメリカ南東部の民俗と遺産を代表する約300曲のオールドタイムバラード、伝統曲、カントリーソング、ゴスペル賛美歌をレコーディングしました。メイベル・カーターは娘たちと共に家族の伝統を継承し、娘のJune(ジューン)はCarl Smith(カール・スミス)、Rip Nix(リップ・ニックス)、Johnny Cash(ジョニー・キャッシュ)と次々3回結婚して、それぞれの間にカントリー・シンガーになる子どもを授かりました。
このように彼らの影響は大きく、ラルフ・ピアの功績もありブリストルは「カントリー・ミュージックの発祥の地」と呼ばれるようになり、2014年にはカントリー・ミュージック発祥博物館が建設されました。
その他にも1928年と1929年の「Johnson City sessions」や、1929年と1930年のノックスビルのセッションも歴史的に重要な影響を与えているとの指摘もあり、さらに、1925年に東テネシー州マウンテン シティの町で開催された「Mountain City Fiddlers Convention」には、現代のカントリーミュージックの萌芽が感じられ、テネシー州東部の音楽を定義するのに役立ったとされています。
スチールギターを最初にカントリーミュージックに持ち込んだのは、1910年代、Bob Dunn(ボブ・ダン)がハワイ人から学んだという説、一方では、1922年にJimmie Tarlton(ジミー・タールトン)が西海岸で有名なハワイアン・ギタリストのFrank Ferera(フランク・フェレラ)から学んだという説があり、いずれにせよ早い時期に導入されました。商業的なレコーディングで初めて使用したとされているのはボブ・ダンで、1935年にウエスタン・スウィング・チューンの録音で使用しています。
カントリー・ミュージックの起源から1920年代までの歴史をご紹介しました。
紐解いてみると100年以上前に確立され始めた歴史ある音楽であることがわかると思います。
次回は1930年代の歴史を振り返っていきます。

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Writer この記事を書いた人

1920年代以来、ハリウッド映画、ジャズ、ブロードウェイと「Tin Pan Alley」音楽の時代でしたが、ラジオ放送開始と共にポピュラー音楽の時代が到来、後にはメンフィスに生まれたロックンロールを介して、米国は長らく世界のサブカルチャー(大衆娯楽文化)を支配して来ました。…が、ビートルズを機に「British Invasion(英国の侵略)」が始まり、世界に革命的な衝撃を与えました。このような大きな節目、歴史的転換期に遭遇したISAO(洋楽まっぷ専属ライター)が思いついたことを、気の向いたままに、深く掘り下げていきます。
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