ジョージ・ハリスンとエリック・クラプトン 広島で夢の共演 <さんいん洋楽愛好会> – 山陰中央新報社

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 「ホントかよ!」。最初は耳を疑った。ビートルズのギタリスト、ジョージ・ハリスンが、エリック・クラプトンと彼のバンドを従えて、来日するというのだ。しかも会場の一つは広島サンプラザ。行くしかなかった。
 時は1991年。中国横断自動車道尾道松江線はまだなく、中国道まで国道54号をひた走った。行きは期待、帰りは興奮に包まれ、片道3時間以上の道のりは、あっという間だった。
 この頃は大物の来日が次々と実現した。90年にはザ・ローリング・ストーンズ、ポール・マッカートニーが相次いで初の日本公演を果たした。70~80年代はどちらも薬物の使用歴が災いし日本に入国できず、公演がキャンセルになっていただけに、ファンには10年越し、20年越しの待望のステージだった。
 それを上回るサプライズが、ジョージとクラプトンの共演だった。当時、クラプトンは息子を事故で亡くし、失意の底にあり、活動を停止。クラシックギターで奏でる追悼歌「ティアーズ・イン・ヘブン」はこの頃生まれた。来日公演は、クラプトン側が長年の友人であるジョージを誘い実現したそうだ。
 演目は「サムシング」「ヒア・カムズ・ザ・サン」「マイ・スイート・ロード」などジョージの曲が中心。中ほどでジョージが退き、クラプトンがいくつか自曲を演奏した。その最後が「ワンダフル・トゥナイト」。「まさか! これやるの!」。ギターのイントロを聴き、興奮の針が完全に振り切れた。あまりにも有名なラブバラードなのだが、横恋慕の末、ジョージから奪った女性とパーティーに出掛ける前の様子を描写している。それをこのステージで歌うとは。
 もう一曲。「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」でも、興奮の針が飛んだ。ビートルズのホワイトアルバムに収録されたこの曲のギターソロはクラプトン。それをジョージの歌と共に生で聴いてしまったのだ。
 その後、ジョージは2001年に他界。クラプトンは77歳と高齢に達した。今にして思えば、あの広島は二度とお目にかかれない奇跡の公演だった。
  (示)
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